冷蔵庫より心が空っぽだった夜に思うこと

冷蔵庫より心が空っぽだった夜に思うこと

何も入っていない冷蔵庫を開けたときのあの感じ

仕事がひと段落して、夜も遅くなってから帰宅する日が続いている。疲れ果てて帰ってきて、何か食べようと冷蔵庫を開けた瞬間、そこにはペットボトルの水と賞味期限切れの卵だけ。思わず「うわ…」と声が出た。でも、それよりももっと重たく感じたのは、自分の心の中も同じように空っぽだったことだ。誰かと笑い合った記憶も、安心できる居場所も、しばらく思い出せない。ただ冷たい庫内の空気が、今の自分の気持ちをそのまま表しているようで、余計に寒くなった。

食べ物ではなく何か別のものを探していた

腹が減っていたはずなのに、冷蔵庫の扉を開けたときの気持ちは「何か食べたい」じゃなかった気がする。むしろ、「何かに満たされたい」という気持ちの方が近かったのかもしれない。冷凍庫の奥にあるカチカチの餃子でも、レトルトのカレーでも、それを食べれば空腹は満たせる。でも、心の空洞を埋めるには何も足りていなかった。昔は、帰ると誰かが「おかえり」と言ってくれた家が欲しいなと夢見ていたこともあった。今はもう、そういう夢さえ、冷蔵庫の奥に押し込めてしまったかのようだ。

たぶん誰かの気配とか優しさとか

結局のところ、自分が欲しかったのは物じゃなかった。あたたかいごはんよりも、誰かが自分のために何かを用意してくれていたという事実。優しさの残る食卓。話し相手。そんな当たり前のようなものが、年を重ねるごとに遠くなっていく。司法書士という職業柄、依頼人の人生の終わりに関わることも多いが、他人の孤独を目の当たりにしていながら、自分の孤独にはいつも鈍感でいようとしていた。でも、静かな部屋で一人、冷蔵庫の前でぼうっとしていると、その鈍感さが一気に剥がれてしまう。

そして見つからないことに慣れてしまった自分がいた

いつの間にか、何もない冷蔵庫にも驚かなくなっていた。何もない食卓、ひとりきりの夜、誰からも来ないLINE。そういう日常に慣れてしまった自分がいることに気づいたとき、少し怖くなった。慣れることは生きる上で必要かもしれないけど、心が空っぽでも平気なふりをすることが当たり前になるのは違うと思う。空腹は何かを食べれば満たせるけど、心の空腹はごまかし続けると、どんどん見えなくなる。それが、いちばん厄介だ。

仕事はあるのに満たされない理由

司法書士としての仕事はありがたいことに順調だ。案件もある、報酬もある。でも、それで満たされているかと言えばそうじゃない。忙しさに紛れて、自分の感情を棚に上げ続けてきた結果、内側には何も残らなくなっていた。誰かのために動き続けているのに、ふとした瞬間、自分の存在意義を見失ってしまう。冷蔵庫を開けたあの夜、そんな矛盾が一気に押し寄せた。

感謝されても虚しさが残る夜がある

登記の手続きを無事に終えて、依頼者から「助かりました」「本当にありがとうございます」と言われるたび、胸に灯がともる。でもその火は、すぐに風に吹かれるように消えてしまう。感謝の言葉は嬉しいのに、心の奥がずっと冷えているような感覚。それはたぶん、「ありがとう」をくれる人が、日常にいないからかもしれない。仕事相手じゃなくて、もっと身近な誰かに必要とされたかったのだと思う。

依頼は増えても孤独が減るわけじゃない

ここ最近は不動産の相続や会社設立の案件が多くて、事務所は忙しさの真っ只中にある。事務員も一人で、何かと手が回らない。でも忙しければ孤独が紛れると思っていたのに、むしろ逆だった。忙しいほど、会話の余白は減っていき、ただの作業の繰り返しになる。人と接しているのに、孤独が深まっていく。それがこの仕事の一番の罠かもしれない。

営業の電話より雑談の一つが欲しかった

営業の電話はよくかかってくる。「ホームページを見て…」「御社にぴったりの集客方法を…」。でも、そんな売り文句より、誰かが「最近どう?」って聞いてくれる方がよっぽど心に響く。野球部時代、試合のあとにくだらない話で盛り上がってた、あの時間が懐かしい。ああいう何でもない会話が、今の生活にはない。仕事に追われるほど、そういうものが遠くなる。

忙しいだけの毎日が心を乾かしていく

仕事があるのはありがたい。でも、気づけば「今日もコンビニ弁当」「また椅子で寝落ち」そんな日々が続いている。たまに鏡を見ると、自分でも「疲れてんなあ」と思う。食生活も睡眠もバラバラ。気力が出ないのも当然だ。だけど、誰かに心配されることもないし、自分で自分を管理するしかない。そうしているうちに、ますます心が乾いていくのを感じる。

食事の優先順位がどんどん下がる

食べることは生きる基本のはずなのに、今の自分にとっては「とりあえず腹が膨れればいい」程度のものになっている。冷凍のチャーハン、インスタントの味噌汁、それで一日が終わってしまう。昔はちゃんと味を感じていたのに、今は「時間がもったいないから早く済ませたい」が先に立つ。心がすり減っている証拠かもしれない。

冷凍うどんとレトルトカレーが主食になった

冷凍うどんは便利だ。何も考えずにお湯を沸かして、めんつゆをかけるだけ。レトルトカレーも温めればすぐに食べられる。味も悪くない。でも、食べ終わったあとにどっと虚しさがくるのはなぜだろう。誰かと食べるご飯のありがたさって、こういうところでじわじわと感じる。そう思っても、結局また一人で食べている。

それでも仕事は止められない理由とは

こんな毎日でも仕事は辞められない。むしろ、この仕事だけが今の自分を形づくっている気がする。司法書士としての役割、責任、期待。そこに自分の存在を預けているようなものだ。だからこそ、心が空っぽになっても動き続けてしまう。でもそれって、本当に幸せなんだろうか。そう思う夜もある。

そんな日々に必要なのは小さな救い

全部を変えるのは難しい。でも、ほんの小さな「ほっ」とする瞬間があれば、それだけで心は少しだけ満たされる気がする。仕事帰りに飲む缶コーヒー、事務員さんの一言、朝のラジオ。そんなささやかなものが、意外と自分を支えてくれていたりする。完璧じゃなくても、ちょっとした救いが日常にはある。

事務員との他愛ない会話が心に沁みた日

ある日、事務員がぽつりと「先生、最近顔色悪いですよ」と言ってきた。心配というより、冗談まじりのその一言が、思いのほか沁みた。誰かに見られていること、気にかけてもらえること。それだけで、自分は一人じゃないんだなと思える。そういう一言って、本当にありがたい。

元野球部のくせにメンタル弱い自分に気づく

野球部時代、精神力にはそこそこ自信があった。真夏の練習も乗り越えてきたし、厳しい先輩にも耐えた。でも今の方がきつい気がする。大人になると、泣くことも叫ぶこともできない分、しんどさが内側に溜まっていく。打たれ強さって、たぶん違う形で鍛え直さなきゃいけないんだと思う。

それでもまた冷蔵庫を開ける朝が来る

どんなに心が空っぽでも、朝は来る。そして、また冷蔵庫を開けて、何もない現実と向き合う。でもそのたびに、「今日こそは何か買って帰ろう」と思えるなら、それで十分かもしれない。少しずつ、自分を取り戻す。それが、いまの自分にできることだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓