寝る前になると、なぜか人生の後悔が押し寄せてくる夜
静かな夜、布団に入ってようやく一息つく時間。そんなときに限って、過去のことが頭をよぎります。日中は目の前の業務に追われて考える暇もないのに、夜になると不思議なほどクリアに思い出す「あの時の選択」「あの時の一言」。それが妙にリアルで、心をざわつかせるのです。司法書士という仕事柄、日中は人の手続きや書類と向き合ってばかりですが、夜になると途端に「自分」という存在がむき出しになる。そんな夜が、定期的にやってきます。
今さら変えられない人生なのに、なぜこんなに思い出すのか
過去の出来事が、まるで昨日のことのように頭に浮かぶ。しかも、反省とか改善ではなく、「後悔」のかたちで思い出されるのが面倒なんですよね。たとえば、20代後半、独立するか迷っていたときに相談した先輩に、「お前にはまだ早い」と言われて引っ込んだ話。あのとき押し通していたら、もっと早く今の立場に立てていたのか、それとも潰れていたのか。そんな答えのない問いを、夜な夜な自分に投げてしまう。
ふとした瞬間、頭に浮かぶ「あの選択」
夜って、妙に感傷的になりますよね。たとえば、風呂上がりにふと湯気が引いていくのを見て、急に「若いころの勢いって、ああいうもんだったのかも」と思ったり。誰にも迷惑をかけていないはずなのに、自分の人生の決断ひとつひとつが、「正しかったのか?」と心の奥をつついてきます。司法書士として独立するまでにいろいろありましたが、もっと人に頼ればよかった、もっと図々しくなればよかった、そう思うことばかりです。
ひとり時間が多すぎるから?司法書士という職業の構造的孤独
この仕事、意外と孤独なんですよ。もちろんお客様はいるし、事務員さんもいるけれど、基本的に「自分で考えて、自分で決めて、自分で責任を取る」。話し合いで結論を出すことが少ないぶん、間違いも後悔も全部、自分の中で処理しないといけない。だからこそ、寝る前に脳内会議が開かれてしまうんです。机に向かっているときは合理的でいられるのに、枕に頭をつけた瞬間から、感情の波に飲まれるような時間が始まります。
頭の中で繰り返す「ああ言えばよかった」「なぜ断れなかったのか」
言葉って、タイミングを逃すとずっと残るんですよね。依頼者に対してきちんと伝えられなかった一言、職員さんにかけるべきだったねぎらいの言葉。そんなものが頭の中でリプレイされて、「もう遅い」と知りつつも気になって仕方ない。夜になると、なぜかその再生ボタンが勝手に押されるんです。
失敗した登記のやり直しはできても、人間関係はそうはいかない
登記ミスなら、訂正の手続きをして終わり。でも、人の心に関わることは、訂正がききません。言い方ひとつで相手の信頼を損ねてしまったこともありました。普段は自分を正当化してなんとか乗り切ってますが、夜になると「あれは失礼だったな」とか「もう少し気を配れたかも」と、自分の中の冷静な部分が責めてくる感じです。こういうのって、誰に話しても「気にしすぎだよ」で終わるから、余計に辛いんです。
昼間は我慢できるのに、夜は感情が勝ってしまう理由
日中は忙しさが感情のブロックになってるんですよ。とにかく案件こなして、書類まとめて、電話に出て、判を押す。そうして自分の感情に蓋をしてる。でも夜になると、ブロックが外れて感情の波が一気に押し寄せる。もう誰とも話す必要もないし、静かすぎる部屋にいると、昔の言葉や失敗がこだまのように響いてくる。疲れてるはずなのに、なぜか脳だけ元気で、寝かせてくれない。
過去の選択に「意味があった」と思いたい気持ち
ここまで悩むのって、たぶん「今の自分を肯定したいから」なんでしょうね。あの時の判断には意味があった、今につながっている、そう思えたら少し楽になる。でもそれがうまくいかない夜が、たまにある。なぜあんな遠回りをしたのか、なぜ無理して耐えてしまったのか。そんな問いが、自分を苦しめる。
なぜ私は司法書士になったのか、初心を振り返ってみる
大学を卒業して、なんとなく「資格があれば食える」と思って始めた勉強。だけど、どこかで「人の役に立ちたい」という気持ちがあったのは事実です。思えば、親戚の相続でトラブルになったとき、「こんなときに相談できる人がいればいいのに」と思ったのがきっかけだったかもしれません。あの頃の自分を思い出すと、まだ真っ直ぐだったなと苦笑いしつつ、少しだけ誇らしくなります。
あの頃の自分に声をかけるなら「お疲れ」と言いたい
この仕事、思った以上にタフです。人の事情に寄り添いながら、冷静に書類を処理する。誰かの「ありがとう」で報われることもあるけど、それよりも多いのは無言のプレッシャーと責任感。そんな中でここまで続けてきた自分に対して、「よくやってるよ」と声をかけたくなる夜もあります。あの頃の自分に戻れるなら、「ちゃんと寝とけ、無理するな」と言ってやりたいですね。
仕事での成功よりも、誰かと笑って話せる時間が欲しかった
事務所は安定してるし、収入だって生活には困らない。でも、それだけじゃないんですよね。気兼ねなく話せる相手がいて、気がついたら深夜になってた…みたいな時間に憧れる。結婚してるわけでもないし、飲みに行く友人も多くはない。だから余計に、寝る前の時間に思うんです。「この仕事、孤独だな」って。
月末の申請ラッシュより、話し相手の不在が堪える
忙しいこと自体は悪くないんです。むしろ、手が空いてると不安になります。でも、忙しさでごまかしてるだけなのかもしれないなと思うことも。誰かとくだらない話をして、「ああ、なんか元気出た」って笑える時間。そういうのがある人が、ほんとはいちばん強いのかもしれません。私は、ちょっとそっちに憧れてるんでしょうね。
同業者とたまに話すと「みんな同じ」だと少し安心する
たまに参加する研修や会合で、同世代の司法書士と話す機会があります。そこで出る話って、結局「忙しい」「眠れない」「最近笑ってない」みたいなことばかり。でも、それを聞くと安心するんですよ。「自分だけじゃないんだ」って。たぶんみんな、寝る前に人生を反芻してるんだと思います。そういう意味では、共通言語が「後悔」って、ちょっと面白いですよね。
「寝る前に悩むのは、自分を見捨ててない証拠かもしれない」
何も考えずに寝られたら楽でしょう。でも、考え込んでしまうのは、まだ自分を諦めてないからかもしれません。「もっとこうしたい」「次はこうありたい」って思ってるから、後悔するし反省する。そう思えば、夜の反省会も、ちょっとだけ肯定してやってもいいのかもしれません。
ちゃんと向き合ってるからこそ、つらい時間がある
もし心がすり減って何も感じなくなってたら、寝る前に反省なんてしないですよね。感情が動くということは、まだ踏ん張ってる証拠。司法書士として、自分の感覚が鈍くなっていくのが怖いからこそ、こうやって夜な夜な考えてしまう。少し痛いくらいが、ちょうどいいのかもしれません。
開き直る勇気も、司法書士には必要なスキルかもしれない
いつまでもクヨクヨしてもしょうがない。そう思って翌朝にはまた机に向かっている自分がいます。毎日が真面目すぎるから、ちょっとはいい加減になってもいい。多少の鈍感力と、開き直りの技術。それも、この仕事を長く続けるための処世術かもしれません。
明日もまた、誰かのために手続きをする自分へ
こうしていろいろ悩んだ夜でも、朝はやってくるし、仕事もやってくる。結局はまた書類を作って、印鑑を押して、登記を出す。その繰り返しの中で、「誰かの役に立ってる」感覚だけが、かろうじて自分を支えてくれます。寝る前に思い出す後悔も、少しは意味があるのかもしれないと信じて、今日もそっと目を閉じます。
人の人生を支える裏方としての誇り
目立つこともないし、感謝される機会も少ない。でも、誰かの人生の節目に関わるというのは、重みのある仕事です。誇りを持っていい。そう言ってもらえる場面が少ないからこそ、自分で自分に言い聞かせてあげるしかない。たまにはそれで十分なんだと思います。
小さな後悔と、小さな満足が混在する日常
完璧じゃない一日、でも何かしらやりきった感じがある。それでいいんじゃないかと、最近は思うようになりました。人生って、いつだって中途半端で、不完全で、それでも前に進んでる。そんな自分を、少しずつ許していけたら、夜も少しは穏やかになるかもしれません。