布団に入ると始まるもう一つの業務時間
昼間、あれだけバタバタと働いて、ようやく寝ようと布団に入ったのに、頭の中では今日の出来事や明日の予定が回り出す。完全にスイッチが切れないまま、眠気だけが遠のいていく。ふとした瞬間に「あの書類、ちゃんと出したか?」と疑念がよぎり、もう心が休まらない。こういうときほど、手元にスマホがあるのが逆効果で、確認してしまうとさらに目が冴える。司法書士として独立してから、寝る=業務終了、ではなくなった。布団に入ってからが、静かな自問自答タイムになっている。
やり残した仕事が頭の中で再生される
夜になると、日中の会話や作業の断片が、まるで巻き戻しのように浮かんでくる。たとえば、登記の申請で電話対応した依頼者の一言が引っかかって、それをきっかけに「そういえばあの物件、筆数の確認ちゃんとしたっけ?」と過去のチェックミスを疑い始める。すると、関連ファイルを思い出し、確認の必要性を感じてしまう。もう完全に眠れない。事務員がいるとはいえ、最終的な責任は自分。そう思うと、脳内での再生は止まらない。
「あれ提出したっけ」と起き上がる深夜
深夜2時、布団の中で思い出した一つの登記申請書類。提出したはず…と思っても、不安は募るばかり。スマホで確認すればいいだけの話かもしれないが、それでも「明日でいいか」と思えないのが、この仕事の性か。それで結局、事務所に戻ったこともある。田舎の小さな事務所、夜中に電気を点けてガサゴソ書類棚を漁る姿は、さながら怪しい住人だ。誰も見ていないのに、やけに背中が寒かったのを覚えている。
結局メールを開いてしまう悪い癖
せめて睡眠を確保するために「夜は業務用メールを開かない」と決めたはずなのに、気になってしまうと手が勝手に動く。通知を切っても、Gmailを開いてしまう。そこに「至急お願いします」とか「確認漏れかもしれません」といった件名が並んでいると、もう地獄。明日の朝やればいいとわかっていても、そうできない。一人で事務所をやっていると、守ってくれる「就業時間」なんてないのだ。
休日を迎えるたびに心がざわつく理由
普通の人なら「休みはうれしい」と感じるはずなのに、私の場合、むしろ不安になる。特に月末や期日直前の土日、心のどこかで「今のうちに処理しておかないと」と焦りが募る。事務員はしっかり休んでいるが、私は家にいても気が休まらない。テレビを見ても、風呂に入っていても、「あの案件、大丈夫か?」という声が耳の奥から聞こえてくる。たとえ物理的に何もしなくても、精神的には常に業務中というのが実情だ。
休んでいるのに責任が肩に残っている
司法書士という仕事は、登記が終わるまで気を抜けない。依頼者に「任せます」と言われるほど、逆にプレッシャーになる。だから休日も、責任感の残り香を肩に感じながら過ごす羽目になる。「この時間に誰かが連絡してきたらどうしよう」「急ぎの案件が動いたらまずいな」と、どこかしら気が張っている。実際に連絡が来ることは稀なのに、心はずっとスタンバイ状態。これでは、体は休めても心が休まらない。
寝ても覚めてもタスクに追われる日々
夢にまで出てくる書類仕事。判を押す音やFAXの音で目が覚めることもある。そこまで来ると、もう自分の脳内から仕事を排除するのは難しい。たとえば日曜日、近所の喫茶店でぼんやりしていたら、店内に流れていたBGMが、なぜか法務局の待合室と同じだった。それだけで「あの登記…」と思い出して、気が抜けていた時間が台無しに。仕事を忘れようとしても、生活のあちこちに紛れ込んでくる。これは職業病というより、慢性的な“気の張り疲れ”だと思う。
ひとり事務所経営の限界点を知る
誰かに任せられれば、こんなに心がすり減ることもないのかもしれない。でも、うちは地方の小さな事務所。事務員はいるが、任せられる範囲には限りがあるし、結局「自分が確認しなければ」という思いが勝ってしまう。誰にも文句を言われない代わりに、誰もフォローしてくれない。自由と引き換えに、孤独と常時責任モードを手に入れたようなものだ。
夢の中まで働いている気がする朝
目覚ましが鳴る前に目が覚める。しかも、目が覚めた瞬間に「あの案件、昨日のうちに送ったっけ?」と考えている。もはや夢の中で働いていたような感覚すらある。これはもう、休んでるのか働いているのかわからなくなるレベル。寝ている時間すら、自分の仕事の延長になっていると思うと、いったいどこで“業務終了”になるのか。線引きが曖昧すぎて、自分の時間がどんどん侵食されていく。
起きた瞬間に「今日やること」が浮かぶ
昔は目覚ましを止めて、まず「あと5分…」と思っていたのに、今は違う。目が覚めた瞬間に、頭の中でToDoリストが展開されていく。登記の申請準備、相談者への返信、郵送物の確認…と頭が自動で回り出す。体は布団の中にいるのに、頭はすでに事務所に出勤している。そんな自分に気づいて、ため息が出る。「これはちょっとおかしいかも」と思いながらも、もう止まらない。
もう頭が勝手にToDoリスト化している
ひとつの案件を抱えると、連鎖的に思い出す。あの書類を出すには、あの確認が必要で、それをするには誰それに電話して…という思考が、朝の目覚めから始まってしまう。仕事の優先順位を決めるというより、気になる順に勝手に並んでくる感じだ。最初は便利かと思っていたが、いざ自動化されると「休む余地」がなくなる。本当に脳みそが24時間営業しているようで、自分が一番驚いている。
眠れぬ夜が増えるほど愚痴が溜まっていく
誰にも言えない疲れがたまっていくと、自然と愚痴が増える。でも、愚痴を聞いてくれる相手もそんなにいない。事務員にあれこれ話すわけにもいかないし、同業者とは変なライバル意識があって本音を出しにくい。となると、結局一人で抱え込んで、布団の中でブツブツ言っている自分がいる。そんな夜は決まって、眠りも浅く、翌日もどんよりした気分になるのだ。
誰にも言えないまま蓄積する疲れ
「大丈夫?」と聞かれても「大丈夫」としか言えない。自営業って、そういうものだと思っていた。でも、実際には「全然大丈夫じゃない」と心の中で叫んでいる自分がいる。本当は誰かに話したい。でも、弱音を吐くのが苦手で、気づけば溜め込みすぎている。そんな状態が続くと、夜眠れないのも当然だ。体がいくら疲れていても、心が休まらない限り、眠りも浅くなる。
事務員に言っても伝わらないもどかしさ
日中、ちょっとした愚痴をこぼしても、事務員にはピンと来ない。「そんなに大変なんですか?」と悪気なく言われると、逆に落ち込む。責任の重さも、プレッシャーの質も違うのだから仕方がない。でも、それがまた孤独を助長する。「自分だけが背負ってる」と感じると、ますます心が閉じていくのがわかる。
本音は誰に吐けばいいんだろう
男のくせに、なんて言葉はもう古いのかもしれない。でも、どこかで「弱音を見せたら負け」という思いがある。夜中に枕を濡らすほどではないけれど、本音を吐き出せる場があったら、少しは眠れるのかもしれない。そんなことを思いながら、また今日もスマホを見て、メールをチェックしてしまうのだ。
眠れない時間が教えてくれたこと
ずっと「働いてこそ価値がある」と思っていた。でも、眠れない夜が続いたことで、ようやく気づいた。「自分を守らないと、誰も守ってくれない」ことに。睡眠は贅沢ではなく、必要なもの。多少の不安があっても「今日は休む」と決める勇気が、案外一番の解決策かもしれない。今は、そう信じている。
本当は少し休みたいという気持ち
人のことばかり気にして、自分のことを後回しにしてきた。でも、心の奥では「ちょっとだけでもいいから、何も考えずに眠りたい」と願っている自分がいた。仕事が好きとか、やりがいがあるとか、そんな言葉でごまかしていたのかもしれない。心が疲れすぎる前に、ちゃんと休む。それもまた仕事のうちなのだと、最近やっと思えるようになった。
「やらねば」が自分を追い詰めていた
眠れない夜に共通していたのは、「やらなきゃ」「間に合わせなきゃ」と自分を追い込む思考だった。誰もそんなことを強制していないのに、自分で自分を締め付けていた。責任感が強すぎるのかもしれない。けれど、無理を続けた結果、効率も気力も下がるなら本末転倒だ。今日も仕事はある。でも、今夜は少し深く眠れたら。それだけで、明日もまた頑張れる気がする。