恋にだって申請窓口があればよかった
日々、申請書を見ているとふと思う。これが恋にも使えたら、どれだけ気が楽だろうかと。恋愛のスタートに「好きです」とただ伝えるのは、いまだに私には難しい。司法書士という職業柄、何事も書面があって、署名押印があって、手続きが完了して、ようやく成立する。それが日常だから、感情だけで何かを伝えるというのが、どうにも苦手なのだ。だからこそ、「恋愛申請書」なるものがあったなら、どれだけ心の負担が減ったことだろうと思ってしまう。
司法書士が恋に落ちるときも手続きが欲しい
例えば、気になる女性ができたとしよう。お客様かもしれないし、近所のスーパーでいつも会う店員さんかもしれない。普通なら会話の中で距離を縮め、徐々に想いを伝える流れになるのだろうが、私はそうはいかない。恋の第一歩を踏み出すにも、つい「申請用紙はどこですか?」などと心の中で探してしまう。書面がなければ落ち着かない性分なのだ。恋においては、この感覚が大きな障壁になることが多い。
好きです通知書の様式第一号
かつて、どうしても想いを伝えたくて、冗談交じりに「好きです通知書」なる書類を作ったことがある。書式はしっかりとしたA4サイズ、項目には相手の名前と、私の連絡先、想いを伝える理由、提出日、そして「YES or NO」のチェック欄も添えた。実際に提出などできるわけもなく、机の引き出しにそっとしまった。だけど、あれほど自分の想いに正直になれた瞬間もなかった。書面の中だけでも、気持ちを形にできたのは救いだった。
受理印を押してくれる人はどこに
その通知書には「受理印欄」も設けていた。たとえ気持ちに応えてもらえなかったとしても、受け取ってもらえた証がほしかったのだ。どこかで自分の存在が認められる感覚が欲しかったのだろう。実務では何百枚と受理印を押してきたが、自分の心に押された受理印は、いまだにひとつもない。それが寂しくてたまらない時がある。誰かに「確かに受け取りましたよ」と言ってもらえるだけで、救われる人間は、きっと私だけじゃない。
恋愛は無方式行為だからこそ怖い
法律の世界には「無方式行為」という概念がある。つまり、形式がなくても成立する行為。恋愛もまさにそれだ。書面も届出も不要、ただ心が動けば始まり、終わるときも通知なしに終わる。それが怖い。仕事では登記に期限があり、内容に不備があれば補正ができる。だが恋は、補正もできなければ再申請の受付もない。やり直しのきかない関係の中で、自分だけが置いてけぼりになる。そんな場面を、何度も経験してきた。
断られる自由がある現実
「好きです」と伝えた結果、断られる。それは相手の自由だとわかっている。だが、こちらにはその自由を受け止める準備ができていないことが多い。登記なら、却下理由が明確に返ってくる。「添付書類が不足しています」「印鑑証明書が古いです」といった具合に。だが恋の拒絶には理由がない。ただ、受け入れられなかったという事実だけが残る。その不確かさに、私はいまだに慣れることができないでいる。
気持ちの不受理申出制度がほしい
住民票には「不受理申出制度」がある。勝手に婚姻届を出されないように事前に拒否する仕組みだ。恋愛にも、そんな制度があったらどんなに気が楽か。「この人には想いを寄せないでください」という事前通知があれば、無駄に期待してしまうこともない。アプローチしてもいいのか、避けるべきかが分かれば、少なくとも恥をかくことはないだろう。だが現実には、そうしたサインは曖昧で、受け取り手の解釈次第。だからこそ、私は一歩踏み出すのが怖い。
独身男性の心の登記簿は空欄が多い
私の登記簿謄本には、所有権も地役権もない。比喩としての心の登記簿も同じだ。過去に登記されたような恋愛関係もなく、誰かと共有した思い出もなく、ただ空欄が並んでいる。それが悪いことだとは思わない。でも、たまに思うのだ。誰か一人だけでも、私の名前を登記してくれたら、と。私の存在を、誰かの記録に残したかった。きっとそれは、司法書士である前に、一人の男としての本音なのだと思う。
手続きが得意でも恋の段取りはできない
私は申請手続きならお手のものだ。役所の窓口でもスムーズに通す自信がある。だが恋となると、どこに窓口があるのかもわからない。申請期限も、必要書類も、そもそも様式すら存在しない。相手の気分ひとつで通るかどうかが決まるような世界に、どうしても足がすくんでしまう。だから、誰かに恋をしても、頭の中で段取りばかり考えてしまい、気持ちが置いてきぼりになることが多い。まるで、提出書類は完璧でも、出し忘れるような感じだ。
申請書は通るのに想いは通らない
日々、登記や契約書は問題なく通る。それなのに、なぜこんなにも「想い」は通らないのだろう。心の中では「こう伝えたい」「こう接したい」と思っていても、実際に行動に移す勇気がない。そしてタイミングを逃してしまう。相手が恋人を作ったと風の噂で聞いたとき、「あのとき出しておけばよかった」と後悔する。まるで申請期限を過ぎた手続きのように、無効となった想いは、もう戻ってこない。
提出したくても提出先がない
恋愛において、「誰かを好きになる」という気持ちは湧いてくるのに、それを届け出る場所がないことに、いつも困る。仕事なら「法務局」「市役所」といった明確な提出先がある。でも恋は違う。気持ちを渡す場所も、渡し方も、正解がない。だから、迷ってしまう。誰かに相談するわけにもいかず、ただ自分の中に溜め込んでいく。そしていつしか、その気持ちは風化して、何もなかったことになる。それが一番つらい。
印鑑証明書よりも本人確認が難しい関係
恋愛では「本人の気持ちを確認する」のが一番難しい。仕事では印鑑証明書や本人確認書類で確認が取れる。だが恋の世界では、どれだけ会話をしても、相手の本音までは分からない。笑顔の裏にある本心、優しさの裏にある線引き。それらを読み違えると、大きな誤解につながる。私は何度もその誤解を恐れて、声をかけるのをやめてきた。もしも、恋にも「本人確認の明確な方法」があれば、もう少し勇気が出せたのかもしれない。