終活のはずが自分の棚卸しになっていく
もともとは、登記のお客さんから「先生もそろそろ終活した方がいいよ」と言われたのがきっかけだった。笑って流したけど、ふと夜になって自分の机を見渡した時、確かにこのまま死んだら事務所はカオスになるだろうなと思った。遺言書の準備でもしておこうか、と軽い気持ちで始めた終活。ところが始めてみたら、出てくる出てくる「今の自分」の見直し項目。あれ、こんなに自分のこと整理できてなかったっけ、と少し焦りさえ感じた。
遺言書よりも先に気になるものがあった
遺言書のフォーマットをネットで探して、さぁ書こうかとペンを取った。でも、誰に何を残したらいいのか、そもそも何を持っていたかすら定かじゃないことに気がつく。引き出しを開けると古い通帳や保険証券のコピーが山のように出てきて、それを整理するうちに、何となく気が重くなってきた。こんなものを事務員に整理させるなんてありえない、というより、誰にも見られたくない。そこで、遺言書よりもまずは「今の自分の棚卸し」から始めることにした。
机の中のメモ帳と高校時代の写真
作業の途中、ふと出てきたのが高校時代の野球部の集合写真と、何冊ものメモ帳だった。中には、お客さんの名前や打ち合わせ内容だけじゃなく、誰にも見せたことのない“自分の反省”が書かれていた。「今日も無愛想だった」「もう少し優しい言い方ができたはず」といった短文の羅列。忘れていた自分の声に、少し胸が詰まった。高校時代のユニフォーム姿は少し誇らしかったが、その頃から何も変わってない気もした。
あの頃好きだったものが何ひとつ残っていない
さらに奥から出てきたのは、昔読んでいたマンガやCD。そういえば、音楽を聴くのもマンガを読むのも好きだったのに、いつの間にか仕事に追われ、趣味を全部棚上げしてきた。今では部屋にあるのは法令集と事務用品ばかり。好きなものが一つも見当たらない部屋を見渡して、自分は誰のために働いてきたんだろうと、なんとも言えない虚無感に包まれた。終活というより、むしろ“生き直し”が必要なんじゃないかとすら思った。
独身の終活は誰に向けて書けばいいのか
終活ノートを書こうとすると、必ず出てくるのが「誰に何を残すか」という項目。独身で身寄りがないとなると、この問いが重くのしかかる。せめて事務員さんに迷惑をかけないように、と思って書き始めたが、それでも「誰かに必要とされていたか」という問いと否応なく向き合うことになる。残す相手がいないという現実が、自分の空白と向き合う時間になった。
家族がいない人間の終活という現実
結婚もしないまま45歳。親も高齢で、兄弟も疎遠。いざというとき頼れる人がいないという事実は、普段仕事にかまけて意識しないようにしていた。だけど終活はその“ごまかし”を許さない。預貯金、保険、契約書…すべてに“誰に引き継がせるか”が問われる。結局、自分のことを心から心配してくれる人間って、いるのかなと考えるたび、書く手が止まった。形式上の準備より、精神的な空白の方がずっと大きかった。
形式より感情を優先したノート作り
そんなときは、無理に「誰に何を」なんて考えず、「自分の言いたいことを書こう」と方向転換した。遺言書でも財産目録でもない、ただの“自分ノート”だ。楽しかったこと、苦しかったこと、まだ終わってない夢。中には、酔った夜に思わず泣いてしまったことも書いた。誰かに読まれるわけじゃなくていい。書くことで、自分がちょっとずつ軽くなっていく気がした。
仕事のことばかり書いてる自分に気づく
ただ、気づけば書いているのは全部「仕事」のことだった。あの案件は大変だった、このお客さんは印象深かった。やっぱり自分の人生は仕事中心だったんだなと、嬉しいような、寂しいような気持ちになった。仕事に全てを注いできたけど、それって本当に自分の人生だったのか。何のために働いてきたのか。このまま「働くだけの人間」として終わっていいのか。ふとそんな不安が胸に広がった。
日々の仕事に追われて自分を後回しにしてきた
開業してからずっと、休む暇もなく働いてきた。人の登記はきっちり片付けるのに、自分の住所変更や保険の確認は放置。いつも「時間ができたらやろう」と思っていたけど、そんな“あとで”は永遠に来ない。今回、終活を通じて、ようやく自分のことを“仕事”として扱う時間を作れた。皮肉だけど、やっと“自分の登記”に着手した気分だった。
お客さんの登記は完璧でも自分の名義変更は放置
例えば、引っ越しして5年経つのに、印鑑証明の住所がそのままだった。火災保険の名義変更も、まだ前のものになっている。お客さんには「こういうのちゃんとやっておかないとダメですよ」と偉そうに言ってきたのに、自分のこととなるととことんズボラだった。思えば、自分の手続きには“納期”がない。誰も困らない。だから後回しにしてきた。でも、これって自分を雑に扱ってる証拠だと、気づいてしまった。
書類の山の中に眠る後回しの人生
事務所の奥にある引き出し。何年も開けてなかったその中には、やりかけの申請書類、途中で挫折した資格講座の教材、そして“未来のために”と書かれたノートがあった。見れば、10年前の自分が「今年こそ体を鍛える」「人ともっと関わる」と書いていた。達成できたものは…ゼロだった。未来の自分に投げた希望が、見事に無視されていた。なんだか申し訳なくて、笑えてきた。
事務員さんのひと言にハッとさせられた
そんなある日、事務員さんがふと「先生って、自分のことは後回しにしますよね」と言った。まさにその通りで、図星だった。自分では気づかないうちに、ずっと“優先度最下位”だったらしい。自分をちゃんと大切にしよう、と言われて初めて、それが“誰かのため”にもなるとわかった。元気じゃない先生に頼みたいお客さんなんて、いないんだと。
野球部出身の俺が泣いた日
高校時代、坊主頭でグラウンドを駆け回っていた自分が、まさか終活ノートの前で泣く日が来るとは思わなかった。でも、それほどまでに、自分のことを置き去りにしていたのだと思う。強くあること、頼られること、そればかりを優先して、自分の弱さや寂しさを押し込めてきた。終活はそれを“解凍”する時間でもあった。
終活ノートに「後悔したこと」を書いたとき
「あの時、謝っていればよかった」「あの人に連絡を取っていればよかった」——そんな言葉が自然と出てきた。終活ノートは、過去を許す作業でもある。書いて、涙が出て、ちょっとだけ楽になる。その繰り返しの中で、自分の人生に少しだけ“温度”が戻ってきた気がした。硬く冷たい登記簿ばかり見てきた目に、久しぶりに人間の感情が映った。
勝ち負けばかり見てきた人生の代償
野球で勝つ、仕事で結果を出す。負けを恐れ、失敗を恥じる生き方をしてきた。そのおかげで、独立して事務所を持つことはできた。でも、心のどこかではずっと「これでいいのか」と思っていた。誰にも見せられないノートの中だけで、自分の弱さを出せたことで、ようやくその問いと向き合う覚悟ができた。
勝てなかった恋愛と向き合う勇気
最後に思い出したのは、告白せずに終わった恋だった。野球ばかりして、仕事ばかりして、気づけば誰にも想われることなく45歳。負けるのが怖かった。でも、今は少しだけ思う。「負けてもよかったから、やってみたかった」と。終活は、過去にケリをつけることじゃなく、今を生き直すこと。そんなふうに思えるようになった。