締切のある書類に囲まれた毎日
司法書士という仕事は、とにかく書類との戦いだ。登記、遺言、契約関係の確認……一つ一つに期限があるし、うっかりすれば損害賠償や信用の失墜にも繋がる。だからこそ、カレンダーにはびっしりと締切が並ぶ。朝起きてまず確認するのはメールよりも今日の提出物、という生活をもう何年続けてきただろうか。紙と向き合っている時間が長いほど、誰とも話さずに1日が終わることも少なくない。忙しいはずなのに、ふとした瞬間に心にぽっかりと穴が空くのだ。
目の前の山積みの案件
今日だけで3件の登記と、1件の遺産分割協議書のチェック。事務員さんには電話対応をお願いしながら、こちらは黙々と書類と格闘する。効率よく片付けているつもりでも、終わったと思った瞬間に新しい依頼が舞い込む。その繰り返しだ。「人気があるってことですよ」と言われるけれど、机の上に積み重なる書類の山は、時にプレッシャーでしかない。終わりが見えない、でもやらなきゃいけない。だから、今日も息をつく暇もなくパソコンに向かっている。
処理すれば終わるはずのもの
書類の仕事は、少なくともゴールがある。提出すれば完了、判子をもらえば完結。だから頭を使って順番に処理していけば、いつかは山が減る。その「終わる」という感覚に救われることがある。目に見えて片付くから、自分が仕事をしている実感もあるし、誰かの役に立っているんだという自己肯定感にもつながる。だけどその一方で、ふと終わった瞬間に訪れる静けさが、時にたまらなく寂しい。
それでも机の上はすぐに埋まる
どんなに頑張っても、書類はまた増える。昨日きれいに片付けたと思った机の上には、朝にはまた新しい書類が乗っている。終わっても終わっても湧いてくるような感覚。まるでエンドレスのループ。しかもそれが「誰かと分け合える」ものでもないから、自分の中に溜まっていく。片付けても、また孤独に戻る。その繰り返しが、なんとも言えず虚しく感じる日もある。
期限がないものほど重くのしかかる
書類には明確な締切があるから、逆にありがたい。終わりがあるから取り組めるし、気持ちの切り替えもできる。でも、孤独には終わりがない。誰かが「それ、今日までね」と線を引いてくれるわけでもない。気づいたら背負っていて、いつまでも手放せない荷物のように、自分の中に残り続ける。仕事が忙しければ気づかずに済むけれど、ふとした瞬間にずしりと重みを感じてしまう。
誰にも求められない時間
日曜の午後。予定もなく、テレビの音だけが響く部屋。誰にも呼ばれず、誰からも連絡が来ない。「休める日」と思えば贅沢なのかもしれないが、どこか取り残されたような気分になる。仕事中は誰かのために動けるし、必要とされる実感もある。でも休みの日は、自分が存在しないような気さえしてくる。自分の存在価値が、書類の有無で決まってしまっているようで、苦しくなる。
会話のない昼休み
コンビニで買った弁当を、一人で事務所の机で食べる。事務員さんが休憩に出ている時間、ただ黙ってご飯をかきこむ。スマホでニュースを眺めるふりをして、画面に映る知らない人たちの笑顔を見て、どこか遠い世界に感じる。昔はもっと誰かと話して笑っていたような気がするけれど、今はそれが思い出のようになってしまった。自分は「話す相手がいない側」の人間なんだと、改めて気づかされる。
スマホの通知が鳴らない日
LINEもメールも、今日は一度も鳴らない。通知音が煩わしいと思っていた頃もあったけれど、今はその音すら恋しい。誰かに頼られること、誰かから声をかけられることが、こんなにも自分を支えていたんだと、音のない一日が教えてくれる。書類の締切通知だけが鳴って、それに追われるだけの毎日。でも、心が欲しがっていたのは「あなたは元気?」の一言だったりする。
独りで働くことの自由と引き換え
開業して好きに働けるようになった。それは確かに自由だった。誰に指示されるでもなく、好きな時間に仕事ができる。でもその自由の裏には、孤独という副作用があった。選んだのは自分だけれど、だからといって全てを受け入れられるわけじゃない。自由と引き換えに、誰とも共有できない寂しさが増えていった。
好きにできるはずなのに
仕事の進め方も、休むタイミングも、全部自分で決められる。誰にも文句を言われない。それなのに、どこか息苦しい。思い通りにしているはずなのに、なぜか満たされない。野球部時代は、監督に怒られながらも仲間と過ごす時間が楽しかった。今は誰にも怒られない代わりに、誰からも声をかけられない。それは思っていたよりもずっと孤独なことだった。
孤独は自己責任という風潮
「一人が好きなんでしょ」「誰にも縛られないのがいいって言ってたよね」そんな言葉を、どこかで言われたことがある。でもそれは今の自分には、言い訳にしか聞こえない。孤独を選んだのではなく、ただ流れの中でそうなってしまっただけ。なのに、まるで自業自得のように扱われるこの空気が、余計に人を黙らせる。「自分で選んだんだろ」と言われたら、それ以上言葉が出ない。
自業自得のようで黙り込む夜
寝る前の時間、電気を消すと急に音がなくなる。その静けさに耐えきれず、テレビをつける。バラエティ番組の笑い声が虚しく響く中で、自分だけ取り残されているような気分になる。「こんなはずじゃなかった」と思っても、戻る場所もないし、話せる相手もいない。だから、今日も何も言わずに布団にもぐり込む。それがいつの間にか習慣になっていた。
期限付きの仕事に救われる瞬間
それでも仕事があるから、今日も起きることができた。誰かが困っているから、それを解決するために動ける。司法書士の仕事は、社会と自分をつなぐ細い糸のような存在だ。もしこれがなかったら、自分はどこかに消えていたかもしれない。期限がある書類は、逆に言えば「必要とされている証」でもある。その事実に、何度も救われてきた。
やるべきことがあるというありがたさ
たとえ孤独でも、やることがあるというのはありがたい。期限があるから締切を守らなきゃいけない。誰かのために動くから、自分の存在が意味を持つ。役所に書類を届けて、依頼者の「助かりました」という一言をもらうたびに、「自分もまだ必要とされている」と感じられる。それだけで、もう少し踏ん張ってみようと思える。
誰かの役に立てる仕事
仕事を通して、誰かの不安を取り除けたり、問題を解決できたときは、やはり嬉しい。直接感謝されることもあれば、黙って去っていく人もいる。それでも、書類という形で誰かの人生の一部に関われるのは、この仕事ならではのやりがいだ。そう思える時は、孤独であることも少しだけ忘れられる。
だから辞めずに続けている理由
いろんなことがあるけれど、それでも司法書士を続けているのは、やっぱりこの仕事が好きだからなんだと思う。好きというより、もう自分の一部になっているという方が近いかもしれない。書類に追われている間だけでも、心の隙間を埋めてくれる。孤独を完全に消せないとしても、それと共に生きていく方法を、この仕事は教えてくれる。
孤独に終わりがなくても前に進む
孤独には締切もゴールもない。だからこそ、終わらせようとするのではなく、抱えながらでも歩き続けるしかないのだと思う。仕事を通して誰かと関われることが、少しずつ自分の支えになっている。大丈夫、まだやれる。書類と共に過ごす日々の中で、そんな小さな確信を得ながら、今日もまたパソコンの前に座っている。
書類を片付けながら心も整える
不思議なもので、机の上が整うと心も少し軽くなる。書類を一枚一枚片付けながら、自分の気持ちも整頓されていくような感覚。仕事は「終わる」から、達成感がある。その積み重ねが、心の乱れを落ち着かせてくれる。小さな達成の積み重ねが、自分を支えているのだと思う。
ひとりでいることを責めないでいい
世の中には、独りで生きている人がたくさんいる。だから、自分だけが特別孤独だと思わないようにしている。独りでいることは、悪いことじゃないし、間違いでもない。ただ、少し寂しいだけ。そんな自分を責めないで、認めてあげることが大事なんだと思う。完璧じゃなくていいし、強がらなくていい。弱さも含めて自分だから。
いつか誰かに届く文章を
こうして書いている文章も、どこかの誰かに届けばいいと思っている。同じように孤独を感じながら働いている人、同じように誰にも言えずに悩んでいる人。そんな誰かの心に、小さな共感の火が灯ればいい。書類のように期限はないけれど、孤独な思いが文章として届くことで、誰かの救いになることもあると信じたい。