静かな事務所で今日も時が流れていく
午後三時。うちの事務所は今日も例によって静かだ。コピー機の音もなく、電話も鳴らない。ただ自分のキーボードを叩く音と、事務員さんが書類をめくる紙の音が微かにするだけ。ふと、パソコンの時計に目をやると、15時15分。何も起こらないまま、時間だけがきっちりと進んでいる。昔はこんな静けさに憧れたこともあったが、今はもう、静けさの中に自分の老いが混ざっている気がする。
時計の針だけが動いている
午前中の慌ただしさも、午後になると一気に落ち着いてくる。裁判所への書類提出も終え、登記も一段落。なのに、気持ちはなぜか重い。誰にも急かされない環境が、逆に心の隙間を広げていく。あれほど嫌だった“無言のプレッシャー”が今では少し恋しいと思うこともある。時計の針だけがコツコツと進み、自分だけが取り残されていく感覚に陥るのだ。
仕事はしているのに手応えがない
一応、今日も案件はいくつか片付けた。書類も整え、期日も守っている。それでも、胸の奥にぽっかり穴が開いているような感覚がある。登記簿謄本を見て「間違いない」と頷く瞬間はあるが、それで何かが報われた感じはない。達成感が、ここ数年どこかへ行ってしまったように思う。
電話の音すら恋しくなる午後三時
昔は「また電話かよ」と思っていた。今は「誰か、間違い電話でもいいから掛けてきてくれ」と願うくらいだ。鳴らない受話器を見つめながら、ぼそっと「静かすぎるなあ」とつぶやく。そんな自分の声にすら、ちょっとびっくりしてしまうくらい、今日も事務所は静かで、そして、変わらない。
会話がない日もあるという現実
事務員さんとは、それなりにうまくやっているつもりだ。でも、気づけば今日はまだ「おはようございます」しか交わしていない。必要なことは伝えてあるし、仕事もちゃんとしてくれている。でも、人間って「業務上の会話」だけだと、ものすごく孤独になるものだ。独身のおっさんには、特に効く。
事務員とのやりとりは業務連絡のみ
「この書類、今日中に法務局へお願いします」「承知しました」それだけ。雑談をしようと思えばできる。でも、彼女にも気を遣ってしまう自分がいる。職場の空気を壊したくないとか、変に思われたくないとか。そうやって距離をとっていたら、気づけば“遠慮の壁”ができていた。
誰にも求められていない気がする瞬間
この仕事は、誰かの役に立っているはずだ。登記も、相続も、確かに必要な手続きだ。でも、感謝の言葉がない日が続くと、「自分は誰かに求められているのか」と不安になる。若い頃はそんなの気にせずガンガン働けたが、今はちょっとした無言の無視が、胸に響く。
気づけば老眼鏡が手放せなくなった
数年前まで「まだ若い」と思っていた。でも、契約書の文字が見えにくくなり、老眼鏡を使うようになってから、一気に「歳を取った」と自覚するようになった。眼鏡をかけるたびに、自分の衰えを目の当たりにする気分だ。静かなオフィスで、そっと老いていく感覚。それは思っていた以上に現実的で、ちょっと切ない。
鏡に映る顔にハッとする
トイレでふと鏡を見ると、目の下にクマ。ほうれい線が深くなっている。誰かに何か言われたわけでもないのに、その姿に自分自身が驚く。「あれ、こんな顔だったっけ?」と。でも、それが今の“司法書士・俺”のリアルな姿だ。
頭の隅でこんなはずじゃと思っている
もっと華やかな仕事をする予定だった。もっと人に感謝される仕事になるはずだった。でも現実は、ひとり静かに書類と向き合う日々。成長も刺激も感じられず、ただ日常に流されていくばかり。夢がなかったわけじゃない。でも今は、その夢の記憶すらぼんやりしている。
昔の写真が目にしみる理由
アルバムの中の自分は、笑っている。大学の卒業式、野球部の合宿、初めて事務所を開いた頃。あのときの笑顔に戻れる気がしない。でも、どこかで「もう一度何かをやり直せないか」とも思っている。その一方で、動き出す気力が出ない。老けていく自分を、ただ見つめているだけだ。
仕事は嫌いじゃないけど好きでもない
司法書士の仕事は、世間から見れば堅実だし、信頼されていると思われがちだ。たしかに、資格もあるし、食いっぱぐれも少ない。だけど、日々の業務に心を動かされることが少なくなってきた。ルーチンに埋もれて、「自分がこれを本当にやりたいのか」と、ふと我に返ることがある。
頑張っても報われるとは限らない世界
お客様に感謝されることもある。けれど、こちらが必死になって動いたときに限って、クレームが入ったりする。時間をかけても、費用の説明をしても、理不尽に怒鳴られることもある。「人のために頑張ること」が必ずしも報われない現実に、少しずつ心が摩耗していく。
誰かの人生の裏方という立ち位置
登記も相続も、主役は依頼人。司法書士は、言わば“黒子”だ。目立たなくて当然。でも、40代も半ばになり、「誰かのため」に生きることに、ほんの少し虚しさを感じてしまう日がある。もちろん誇りもある。だけど、それだけではやっていけない時がある。
愚痴を言える同業者がほしい
本音を言える人が少ない。地元の同業者とは顔見知りでも、なかなか腹を割って話す機会はない。東京の勉強会にも最近は顔を出していない。「誰かと仕事の愚痴を言い合いたい」それだけのことが、案外、孤独な司法書士には大きな支えになる気がする。
野球部だったあの頃の自分に言いたいこと
夏の甲子園を夢見て白球を追っていたあの頃。練習はきつかったけれど、仲間がいた。声を出し、汗をかき、打席に立ち、ベンチで叫び、走って、転んで、立ち上がった。あの頃の自分が、今の自分を見たら何て言うだろう。「お前、それでいいのか」って笑いながらバットを渡してくれるかもしれない。
あんなに汗を流していた日々
泥だらけのユニフォーム、痛む膝、真っ赤な顔。だけど、毎日が充実していた。目標があって、ライバルがいて、明日が楽しみだった。今の自分には、あの頃のようなエネルギーがあるだろうか。きっとない。でも、思い出すことくらいはできる。そして少しだけ、背筋を伸ばせる気がする。
今は身体より心が疲れている
体力は落ちた。でも、今の疲れはそれだけじゃない。どちらかと言えば、心がじわじわと疲弊している。人との関係、将来の不安、仕事の限界、孤独。汗をかいて走っていた頃とはまったく違う種類の疲れが、肩や背中にのしかかっている。
背番号の代わりに背負う登記簿の重さ
昔は背番号を背負っていた。今は登記簿を背負っている。責任は重い。でも、その重さに押し潰されそうになる日もある。書類を抱えながら、「このまま定年までいけるのか」と不安になる。だけど、背負うものがある以上、まだ立っていなければならない。誰にも気づかれずとも、踏ん張るしかないのだ。