相続書類より相手の気持ちを読みたい夜
夜の司法書士事務所にて
時計の針は20時を回っていた。外は真っ暗、でも机の上の蛍光灯だけはいつものように無機質に光っている。サトウさんが淹れたインスタントコーヒーはすでにぬるく、僕はまた今日も同じような書類と向き合っていた。
サトウさんの溜息と書類の山
「先生、今夜も例によって“重たい”案件ですね」
そう言いながらサトウさんが渡してきたのは、遺産分割協議書と、何通かの戸籍と印鑑証明。手続きそのものは難しくない。ただ、依頼人の顔色が晴れない。ずっと何かを飲み込んでいる表情だった。
申請書より重い会話の空気
「お父様は、どんな方でしたか?」
僕が聞くと、彼は一瞬黙り、次にこう答えた。
「……無口でした。家でもほとんど何も言わない人で」
言葉よりも、その“間”が語っていた。申請書にはそんなこと、一文字も書かれていない。
「この人、泣いてましたよ」
依頼人が帰ったあと、サトウさんがぽつりと漏らした。
「さっきトイレから戻ってくるとき、目を拭ってました」
彼女の観察力はたいしたもので、時に僕より依頼人の本音を掴む。
登場人物の誰もが何かを隠している
きっかけは一通の遺産分割協議書
依頼人は長男で、妹との相続について相談に来ていた。
「妹は財産なんていらないって言ってます。でも、それで本当にいいんでしょうか」
彼の声音は、相続人というより、兄としての迷いに満ちていた。
封筒に残された走り書き
提出された資料の中に、一枚だけ手紙のようなメモがあった。
『兄さんへ 全部あげるって言ったけど、本当は少し寂しい』
相続という言葉の外にある感情が、そこには残っていた。
妹の態度と兄の沈黙
「妹さんの本音、伝わってないんじゃないですか?」
僕の問いかけに、彼は黙ったままだった。言葉にならない気持ちが、事務所の空気を重たくしていた。
書類の裏にある感情を読む
形式上の署名捺印ではない何か
サインと印鑑だけでは、解決しない問題がある。まるで名探偵コナンのトリックのように、表面を整えた裏で何かが隠れている。
言葉にならないメッセージ
「あの妹さん、たぶん兄さんと話したかっただけなんですよ」
サトウさんが言うとおりだった。争いではなく、会話のきっかけが欲しかったのだ。
筆跡に滲む葛藤
署名の文字は震えていた。そこにあるのは法的効力よりも、迷いだった。
サトウさんの観察眼
「先生、この人たち、争いたくないんです」
彼女は僕よりも早く気づいていた。相続問題と見せかけて、これは和解のチャンスだった。
鋭い指摘と優しさの同居
時々思う。僕よりこの事務所を仕切っているのは、サトウさんかもしれない。
依頼人の涙の理由
話していない真実の存在
「妹に電話してみます」
彼が言った時、ようやく重たい空気に小さな風穴があいた。
心の整理が先に必要だった
「遺産分ける前に、気持ちを整理しないとダメですね」
それは僕じゃなく、依頼人自身の言葉だった。
相続は事件より人間を映す鏡
僕らが見ているのは数字ではなく感情
書類には家族の歴史が詰まってる。だからこそ、僕ら司法書士は時に探偵のような役割を担う。
戸籍謄本には載らない関係
血のつながりよりも、心の距離のほうがずっと測りにくい。
やれやれのひと言で始まる解決
本当の対話を引き出す瞬間
「やれやれ、、、また書類より心のほうが重たい夜か」
でも、それがこの仕事の醍醐味でもある。
司法書士は調停者でもある
依頼人同士が歩み寄るとき、僕たちの役目は終わる。僕らは舞台装置だ。
書類を超える信頼とは
判を押す前の沈黙に耳を澄ます
書類が揃っても、心が揃わなければ意味がない。
感情が動いた時、手続きが進む
心が通ったとき、不思議と印鑑を押す手も迷わない。
夜が明ける頃に
最後に笑った依頼人の表情
「ありがとうございました」
彼が笑って帰ったあと、僕もようやく息をついた。
その笑顔を見たくてこの仕事を続けている
モテなくても、独りでも、この仕事があれば少しは救われる。
今日の相続書類もまたドラマだった
サトウさんの鋭さと僕の無力さと
「先生、もっと気持ちを読む訓練したらどうですか?」
サトウさんの言葉に苦笑いする。
モテなくても人の気持ちは読めるようになった
たぶん、少しは。
でもサザエさんで言えば、僕はノリスケさん止まりだ。