他人の人生が整っていく音がする
人生が整う音が聞こえる朝
「また今日も、婚姻届か」
郵便受けに挟まっていた書類の束をめくると、封筒の一番上に“婚姻届の証人欄の記入をお願いします”と、丸文字の手紙が添えられていた。差出人は中学の後輩、いわゆる“リア充代表”の一人である。
事務所の窓を開けると、隣の家から花束を抱えた若い夫婦が出てきた。ご丁寧に赤ちゃんまで乗せて。人生コースを着実に歩いている感じが、朝の青空によく似合っている。
「おめでたいですねぇ」
事務員のサトウさんが、湯気の立つコーヒーを差し出しながら、呟くように言った。
「はいはい、よかったですねぇ…」
やれやれ、、、そうつぶやくと、背もたれに体を預けた。机の上には、登記簿と不動産の書類。これもまた、誰かの人生が“整っていく”音に違いない。
僕の人生はどこで迷子になったのか
昼下がり、ひと息ついてスマホを開けば、同級生が海外転勤だの、社長就任だの、指輪片手の写真を上げている。
「佐藤優子さんが名字を変更しました」
Facebookの通知がチクリと胸を刺す。昔好きだった人だった。
「家、買ったそうですよ。駅近の新築一戸建て」
サトウさんが何気なく口にした。
ああ、そうだよ。
おれはいったい、どこで“詰んだ”のか。
事件は祝福の裏で起きていた
そんな折、相談に来たのは見知らぬ中年男性。手には結婚式場の封筒と、青ざめた顔。
「娘の婚約指輪が、なくなりまして…」
婚約者は一流企業勤務。式場は海の見えるチャペル。まるでサザエさんの最終回かよ、と心の中でツッコんだ。
「盗まれた可能性があると?」
「元彼が式に出る予定でして…あの男がどうも怪しいんです」
これは久々に燃える依頼だ。司法書士の守備範囲じゃないが、サトウさんがもうスイッチを入れていた。
サトウさんの推理は切れ味がいい
「冷蔵庫の中、ケーキの箱に鍵が入っていたのが不自然なんです」
サトウさんは、式場の控室写真を見ながら指差す。
「あとこのLINE、既読時間が妙に早すぎる。誰か他の人が読んでます」
彼女の視線は、プロファイリング漫画の探偵のようだった。
「この招待状の配置も、変ですね。写真の左奥に何か隠してたんじゃ」
彼女の指摘に、相談者の顔色が変わった。
真実が顔を出すとき
結局、指輪を持ち出していたのは、元彼ではなく、花嫁の妹だった。
「お姉ちゃんばっかり幸せになって、悔しかった」
そうつぶやいた彼女の声は震えていた。
祝福の場に、比較の苦しみが混ざっていた。誰かの人生が整っていく音は、誰かの心を軋ませることもある。
「やれやれ、、、これは司法書士より家庭裁判所の出番ですね」
背広を直して席に戻ると、机の上にまた婚姻届の封筒が積まれていた。
エピローグ
「先生、これも婚姻届です」
「了解。…俺の人生も、そろそろ整ってくれるとありがたいんだけどな」
サトウさんは、笑った。
「整うって、たいてい自分以外の話ですもんね」
窓の外、結婚式の鐘が鳴っていた。今日もまた、誰かの人生が音を立てて“整って”いく。
そして俺は、またその証人欄に名前を書く。
静かで、どこか虚しい、小さな探偵劇場の幕は今日も下りた。