消された相続人

消された相続人

第一章 見えない依頼人

無言の来訪者

ある秋の日の午後、事務所のドアがかすかに開き、細身の男が一歩だけ足を踏み入れた。視線は泳ぎ、名を名乗ることもなく、ただ一枚の封筒を机の上にそっと置いた。その動作には、何かを押し殺したような緊張がにじんでいた。
封筒の中には、委任状らしき文書が入っていた。だが、どこか不自然だった。書かれている名前、住所、そして押印の印影に、微妙な違和感があった。私の勘がざわつくのは、たいていこういう時だ。
男は一礼すると、そのまま振り返って出ていった。まるで、用件は封筒の中にだけあったかのように。

委任状に残された謎

封筒の中の委任状には「相続登記の件」とあった。だが、依頼人の名前が不自然だった。戸籍上では存在しない名前。まるで、存在を後から継ぎ足されたような印象を受けた。
「シンドウさん、これ……日付も微妙にズレてます」と、サトウさんがすかさず指摘してきた。そう、彼女はそういう細部にやたら強い。私はそのあたりのチェックが苦手なので、内心助かっている。
私が感じていた違和感は、まさにこの“微妙なズレ”だった。なぜこの男は、こんな書類を持ってきたのか。そして、彼は本当に“相続人”なのだろうか。

第二章 古い遺言書と新しい事実

亡き父の二つの顔

調べを進めていくうちに、被相続人である父親は二度結婚していたことがわかった。最初の妻との間に子が一人。そして、その子は家を出て、所在が分からなくなっていた。
「つまりこの依頼人は、第一子の代襲相続人ってことになりますね」とサトウさんが淡々とまとめる。うーん、なるほど。だが、待てよ。第一子が“亡くなった”という記録が、どこにもない。
サザエさんで言えば、タラちゃんの戸籍が急に波平の次に繋がっているような、そんな奇妙さだ。

戸籍に潜む空白

本籍地を追って戸籍を取り寄せると、驚くべきことに第一子の名が途中で消えていた。まるで、存在しなかったかのように記載が抹消されている。除籍でもなく、転籍でもない。記録の欠落。
「誰かが操作してますね、これ」とサトウさんはにべもなく言い切る。私もその意見に頷くしかなかった。だが、こんな雑な細工で司法書士を騙せると思ったのだろうか。
やれやれ、、、俺を誰だと思ってるんだ。

第三章 名義の継承と影の相続人

代襲相続の定義とは

民法上、代襲相続はあくまで本来の相続人が死亡している場合に発生する。今回のように、本来の相続人の“行方が不明”では適用されない。
ところが、依頼された登記内容にはしれっと代襲相続が成立しているかのような記述があった。つまり、登記上のトリックを使って、ある人物を“消した”上で、自分が相続権を得ようとしているのだ。
このあたりの知識は、いわば登記の裏を知るものだけが気づける“罠”だ。私は元野球部だったが、こういう変化球だけは読み損なわない。

隠された出生の真実

調査の末、第一子が実は隠し子であり、母親は戸籍に記載されていないまま密かに育てられていたことが判明した。地元では有名な資産家だったが、裏で何人かの女性と関係を持っていたらしい。
依頼人は、その隠し子の子ども、つまり実の孫だった。だが、それを証明する書類もなく、彼は登記に必要な「資格」を捏造するしかなかったのだ。
「でもさ、それって正義なのか?」私はぼそっと呟いた。サトウさんは「正義と登記は別物です」と言い放った。まったく、その通りだ。

第四章 サトウの推理と私のため息

女は戸籍を読み解く生き物

サトウさんは数十枚の戸籍謄本とにらめっこしていたが、数分後には「いました。行旅死亡人届で処理されてます」と一言。第一子の“死”は、正式な形では処理されていなかったのだ。
そしてその場所は、なんと都内のホームレス保護施設だった。遺体の処理と火葬は市の費用で行われ、家族の確認はされなかった。
「これ、DNA鑑定で証明できますかね?」私の問いにサトウさんは「家裁に申し立てれば、可能です」と冷たく答える。やれやれ、、、頼りになるけど、ちょっと怖いな。

やれやれ、、、これも仕事か

私は嘆息して椅子に深くもたれた。司法書士の仕事は登記だけじゃない。人の嘘と正義の狭間で、どちらにも加担しないように立ち回らなきゃいけないのだ。
だけど、これが“仕事”だ。誰かのためになっているのか分からなくても、とりあえず今日も目の前の書類を一枚ずつ片付けるだけ。
誰もいない事務所にカリカリとボールペンの音が響く。この音が、今の俺の“正義”だ。

第五章 黒塗りの登記簿

相続登記が語る意志

結局、依頼人は本当の相続人ではなかった。ただし、被相続人は彼に何らかの遺贈をしようとしていた形跡があり、遺言書の控えが一部出てきた。
だが、それは法的に有効なものではなかった。彼に残せるものは何もない。冷たいが、これが登記の世界の現実だ。
「ドラマなら涙の再会とかあるんですけどね」とサトウさん。そう、これはドラマじゃない。現実はもっと灰色だ。

封印された兄の存在

彼の父、つまり被相続人の“第一子”である人物は、すでにこの世にいない。そしてそのことを誰にも知られないまま、ひっそりと葬られた。
依頼人は、ただその事実を“誰かに知っていてほしかった”のだ。だから、書類を作り、登記を依頼した。本当に欲しかったのは財産ではなかったのかもしれない。
そう思ったとき、少しだけ胸が痛くなった。

第六章 終わりなき家族の争い

告白は誰のために

後日、依頼人から手紙が届いた。そこには、「本当のことを知ってくれてありがとう」とだけ書かれていた。
彼にとって、相続とは“居場所”を求める最後の手段だったのだろう。告白は、遺産のためではなく、自分がこの世に繋がっている証明だったのだ。
静かに手紙をたたんで引き出しにしまった。誰にも見せることはないが、たまにこういうことがあると、まだ続けてもいいかもな、と思ってしまう自分がいる。

司法書士にできること

司法書士は、過去を掘り返す仕事じゃない。けれど、誰かの背負った過去の断片を拾い上げることはある。
今日もまた、誰かが持ち込んだ紙切れ一枚で、人の人生を垣間見る。その重さに目をそらしたくなることもあるけれど――
やれやれ、、、結局、最後に活躍するのは、俺なのかもしれない。

最終章 消された相続人

サインされなかった真実

あの委任状は、結局登記には使われなかった。書類は破棄し、依頼人の存在も公式には記録されなかった。だが、私の中でははっきりと彼の姿が刻まれている。
人は記録されなくても、生きた証をどこかに残していく。たとえそれが、わずかな司法書士の記憶の中であっても。
この件は、誰の目にも触れることはない。ただ、確かに“そこにあった”という事実だけが、ひっそりと残された。

それでも生きる人のために

事務所の窓から秋の風が吹き込んできた。書類が一枚、ふわりと宙を舞って、床に落ちる。私はそれを拾い上げ、笑ってつぶやいた。
「さ、次はどんな書類が飛んでくるのやら」
今日もまた、代襲されることのない人生たちと向き合いながら、私はペンを取る。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓