ある表題に違和感を覚えた朝
その朝、机の上には登記申請書の封筒がぽつんと置かれていた。差出人の名前には見覚えがあるが、内容に違和感がある。表題部に記された土地の所在地が、どうにも引っかかった。
「この場所って……確か、あの空き地じゃなかったか?」独り言のように呟いたその瞬間、足元をサトウさんがスッと通り抜ける。「また妙な依頼ですか?」と、半分興味なさげに訊いてきた。
彼女の口調にはいつも通りの塩がまぶされていたが、直感は間違っていなかった。何かがズレている。何かが。
封筒に記された不一致
封筒に貼られた宛名は「中村建設」。だが、申請書内の申請人は「仲村建設」となっていた。これは単なる打ち間違いか、それとも意図的なものか。
書式は完璧だ。だがそれが逆に不自然に思えた。普段なら何かしら誤字や捺印漏れがあるのが人間だ。完璧すぎるものには、何かしらの仕掛けがある。
「これ、もう少し掘ってみましょうか?」とサトウさん。俺は深く息を吐いて、うなずいた。「やれやれ、、、結局こうなるんだよな」
サトウさんの冷静なツッコミ
「仲村建設って、うちの市内には存在していませんよ」とサトウさん。すでに調べていたらしい。あの塩対応の奥には、戦闘モードの探偵が潜んでいる。
「でも、土地は存在するんですよね?それが妙です」彼女はPC画面を指さした。地番は確かに実在するが、所有者の履歴が不可解だった。
「前の名義人が行方不明になって、その後すぐに『中村建設』が登記したように見えます。でも、登記原因が抜けています」
依頼人は誰なのか
書面を送ってきた人物は実際に存在するのか。俺は確認のため、電話番号にかけてみた。しかし出たのは留守番電話。録音された機械音が一度だけ鳴った。
「もしもし、司法書士のシンドウです。お送りいただいた登記申請書について、いくつか確認したいことがございます。至急ご連絡ください」
録音を終えたあと、俺は手元の資料を見つめた。送信元の住所すら存在しない建物だ。ここまで来ると、まるで怪盗キッドが偽のトランプでゲームを仕掛けてきたかのようだ。
登記申請書に潜む罠
申請書の内容は、一見すると完全に整っている。地番、地目、面積、所有権移転原因——すべてが揃っている。だが、ある一点が奇妙だった。
「この印影、微妙にズレてませんか?」サトウさんが示したのは代表者印。スタンプは完璧でも、力の入り方が甘い。「業者が押したなら、もっと均一になるはずです」
「つまり、個人が“業者を偽って”押した可能性があるってことか」俺は冷や汗を感じ始めていた。登記に関わる俺が、いつの間にか舞台の中心に立たされていたのかもしれない。
会話が噛み合わない理由
唯一連絡がついたのは、元の土地所有者の親族だった。彼女の話では、本人は数年前から行方不明だという。「まるで夜逃げのように消えました」
登記がされていたのは、まさにその失踪直後。しかも、登記原因は贈与となっている。しかし贈与契約書は見つからなかった。形式だけが揃い、中身が空っぽなのだ。
「これはね、表紙だけコナンで中身は波平さんの説教回みたいなもんですよ」と俺が言うと、「その例え、逆に難しいです」とサトウさんが鼻で笑った。
役所と法務局のズレた見解
俺は市役所の登記担当に電話をした。彼らの記録では「中村建設」が土地を所有していることになっている。しかし、登記簿には「仲村建設」と記載されていた。
「これは……単なる記載ミスでは?」という職員の言葉に俺はうなずきかけたが、すぐに思いとどまる。「いや、それでは辻褄が合わない。両方の書類に違う会社名があるのはおかしい」
一方、法務局は「申請書のとおり処理しました」の一点張り。書類が整っていれば、それが偽物だとは言えない——それが制度の盲点だった。
紙の表題とデータの齟齬
俺は机に戻り、申請書のコピーと登記簿を並べた。表題部に記された所在地の地番が、実際の地図とは微妙にズレていたのだ。
番地の末尾が「三」と「参」で表記ゆれしている。これはPC入力では気づきにくい。つまり、元々の登記を誰かが意図的にズラした可能性がある。
「これ、まるでミスを装ったトリックじゃないですか?」とサトウさんがつぶやいた。その一言で、俺の中で何かがつながった。
聞き込みはコンビニから
該当地番のそばには古びたコンビニがあった。そこの店長に訊くと、意外な証言が得られた。「半年前くらいに、作業服の男たちが土地を囲って測量してたよ」
その測量会社の名前をメモして確認すると、「中村建設」として実在していた。ただし、代表者名は申請書の名前と違っていた。なりすましが濃厚だった。
「これは……土地をかすめ取ろうとした計画的な登記偽造だな」俺はつぶやき、すぐに警察と法務局に通報の準備を始めた。
サザエさん的すれ違い
最終的に分かったのは、「中村建設」は実在していたが、申請書を書いたのは関係ない第三者だったということ。そしてその第三者は、行方不明の元所有者の弟だった。
彼は兄の失踪をきっかけに、土地を勝手に登記しようとしたらしい。まるでサザエさんで「波平のハンコ」を勝手に使ってカツオが押した、みたいな話だ。
登記の世界では、それが犯罪になる。勝手にハンコを押せば、それはもう怪盗レベルの犯行だ。
名字が同じ別人問題
さらに調べたところ、「仲村建設」という名前の法人は存在していたが、すでに解散済みだった。その社名を使っていたのは、弟が以前勤めていた会社だった。
つまり、存在しない法人名を使い、実在する建設会社を装って登記を行おうとしていた。ダブルネームの詐欺だ。まるで二人のキッドが登場する回みたいだ。
すべてがつながり、ようやく俺の中で事件は一本の線になった。
申請者の正体にたどりつく瞬間
弟はすでに所在不明だったが、手口の痕跡から身元を突き止めることができた。偽造された印鑑証明のコピーから、古いアパートの一室にたどり着いたのだ。
警察が動き出し、ようやく件の申請は無効として抹消された。正しい登記が戻ったとき、俺はホッとしたというより、肩の力が抜けた。
「……俺、何でこんな面倒なことやってんだろうな」
そしてシンドウは走り出す
「シンドウさん、次の登記、もうお客さん来てますよ」サトウさんの声にハッとする。ああ、休む間もない。
俺は判子と申請書を握りしめて立ち上がった。これが俺の仕事だ。誰も気づかない罠に、真っ先に気づいてしまう。やれやれ、、、この性分、治りそうにない。
外に出ると、夏の空がやけに眩しかった。今日もまた、一歩踏み出さなきゃならないらしい。
最後のページが語る真実
登記簿の一番下に、小さく修正履歴が記されていた。「誤記訂正」——たったそれだけの記載に、今回の事件のすべてが詰まっているように思えた。
タイトルと中身が違う申請書。その“ズレ”が、事件の始まりだった。人間の嘘も登記の齟齬も、必ずどこかに現れる。
そして、それに気づくのが俺の役目なんだと、ようやく少しだけ胸を張れる気がした。