朝の相談者
事務所のドアがカランと音を立てて開いたのは、ちょうど午前九時を少し過ぎた頃だった。 私はいつものように冷めたコーヒーを片手に、机に散らばった書類を睨んでいた。 目の前に現れたのは、小柄でやや神経質そうな女性。手には一通の封筒を握っていた。
遺言書の違和感
「これ、叔父の遺言書なんですが……なんだか変なんです」 封筒から出された文書には、形式上の不備はなかった。だが、違和感は確かにあった。 不自然に整った署名、そして妙に新しい朱肉のにじみ。素人目にも奇妙なそれは、私の勘を刺激した。
名前を聞いて手が止まる
「叔父さんのお名前は?」 「ミツル、ナカムラミツルです」 その名を聞いた瞬間、私は思わずペンを落とした。つい先月、山林の名義変更で訪れた人物と一致する。あの時の、どこか急いでいた様子が脳裏に蘇る。
依頼者の姪の証言
彼女はナカムラ氏の姪で、遺言書の内容に納得がいかないという。 「叔父はそんなこと、絶対に言わない人でした」 血のつながりがあるからこそわかる感覚。侮れない。
火葬の前日に見たもの
「火葬の前の日、叔父の部屋で封筒が破られていたんです」 その時に見た文面と、今ここにある遺言書の内容が違うという。 何かがすり替えられている――その直感は正しかった。
封筒の中身が違っていた
「当時の遺言は、私と妹に半分ずつ財産を…」 だが、今の遺言には全財産が遠縁の男性に渡るとある。 誰かが封筒を開け、中身を差し替えた。そう考えるとすべてが腑に落ちた。
過去の登記記録を洗う
私は法務局のオンライン登記簿システムにアクセスし、過去の動きを洗い始めた。 山林の名義が変わった日付と、遺言書の日付はわずか一週間しか違わない。 この短い間に、何かがあったのだ。
遺産となった山林の売却履歴
売却先の会社は、地方の名ばかり法人。代表者名は記録されていたが、その人物はどこにも実体がない。 これは典型的なペーパーカンパニーだ。 「サトウさん、ちょっとこの会社、追ってくれる?」
怪しい印鑑証明の存在
サトウさんは無言でうなずき、すぐに調査に入った。 戻ってきたのは、驚くべき報告だった。 「代表者の印鑑証明、死亡したはずのナカムラ氏のものと一致してます」
サトウさんの冷静な推理
彼女は表情一つ変えずにファイルを机に置いた。 「これ、筆跡が一致してないんです。たぶん、誰かが真似た」 言われてみれば、書き慣れていない不自然さがにじんでいる。
筆跡と朱肉の矛盾
さらに、朱肉の成分も異なる可能性があるとサトウさんは指摘した。 「遺言書の印影、明らかに新しい朱肉です。亡くなる直前の人間がこんな綺麗に押すかしら」 やれやれ、、、こういう時に限って、筆跡鑑定の費用がかさむんだよな。
元野球部が見抜いた罠
だが、ここで私の元野球部としての勘が生きた。 署名の日付の部分にある数字の「二」の書き方が、どうにも不自然だった。 「これ、ボールペンじゃないな。プリンターか、スタンプの類だ」
意外な真犯人との対面
私は姪の話をさらに聞き込み、真犯人にたどり着いた。 それは、叔父の世話を名目に入り浸っていた遠縁の男性――つまり遺言の受取人だった。 「ちょっと、お話いいですか? 司法書士のシンドウです」
家族の中の裏切り
彼は最初しらを切っていたが、最後には観念した。 「こんな田舎で一人で死なせたくなかっただけなんだよ」 その言葉に、姪はただ静かに首を横に振った。
遺志を無視した動機
彼の動機は単純だった。長年の世話の見返りが欲しかった。 だが、遺言をねじ曲げることは、遺志を殺すことだ。 その重さを、法は許さない。
ラストシーンの解決
調査の末、元の遺言書の控えが、公証役場にて発見された。 それにより、正式な意思が認定され、山林は姪と妹に分配されることとなった。 「ちゃんと残してたんだな…やっぱりナカムラさんらしい」
本物の遺言書の保管場所
公証役場の古いキャビネットの奥で見つかったその一枚は、黄ばみながらも力強い筆致だった。 人の思いは、時に紙一枚に宿る。 その重みを、我々司法書士は決して軽んじてはならない。
静かに明かされる遺志
事件が終わった後、私は事務所の椅子に深く座り込んだ。 「やれやれ、、、やっぱり人の欲ってやつは、厄介だな」 横で黙々と書類を整理するサトウさんに、少しだけ感謝しながら。