朝の来訪者
その朝、まだコーヒーに口をつけていないうちに、来客があった。年配の男性で、やけに緊張した面持ちをしていた。話を聞けば、祖父の代から続く土地に、どうにも納得のいかない点があるらしい。
いつも通りに始まったはずの一日
「またか」と内心ため息をつく。毎度のことながら、土地の問題というのは人の感情がこじれて現れるのが常だ。だが、この依頼人の目は何かを訴えていた。数字では説明できない“違和感”だ。
登記簿に残された不自然な痕跡
早速登記簿を確認すると、確かに妙だ。合筆されているのに、元の地番の名残のような記述が所々に見える。まるで誰かが“元の形”を隠すように、急いで処理したような印象を受けた。
依頼人の語る不安
「祖父が生前、大事にしていた畑が、地図から消えたんです」と彼は言った。地図は物理的に正しくても、心の記憶とは一致しないことがある。土地の記録と記憶の間には、時として深い溝がある。
祖父が守ってきた土地の違和感
昔のことだ。だが依頼人の言葉には真剣さがあった。「あの土地は絶対、隣とは別だって言ってました」と。その主張は単なる思い込みなのか、それとも――。
合筆された土地の裏に何があるのか
合筆。それは一見合理的な処理のようでいて、時として“痕跡の抹消”でもある。古い記録の中に“何か”が紛れている気がした。私はうっすらと背筋が冷えるのを感じた。
サトウさんの冷静な分析
「シンドウさん、これ、位置座標がズレてます」とサトウさんが淡々と言った。パソコン画面には、古い地図と現行の地番情報が並べられていた。ズレているのは、境界線だけではなさそうだった。
座標と地図情報の違和感
昔の測量が甘かったのか、あるいは意図的なものか。筆界点のデータが微妙に食い違っていた。だが、決定的な何かが足りなかった。「やれやれ、、、また公図とにらめっこか」私はつぶやいた。
昔の公図を引っ張り出す手間
倉庫からホコリまみれの公図を引きずり出した。ページの間に、古びた測量士の印が押された紙がはさまっていた。これは、旧筆界の“証拠”になりうるものだった。
謎の境界線
新旧地図を重ねると、一本の線が現れた。今の登記には存在しない、幻のような筆界線。だがその線の向こうに、確かにかつての地番が存在していた。
存在しない筆界点
登記簿には記載がない。だが物理的な杭が、まだ畑の端に打たれたままだった。それはまるで、消された記憶が「ここにあった」と訴えているようだった。
まるで誰かが隠そうとしたかのように
私は無言で頷いた。合筆の処理があまりに雑だった。しかも、署名が地元でかつて問題を起こした行政書士のものだった。どうやらこの話、ただの勘違いでは終わりそうにない。
浮かび上がるもう一人の所有者
閉鎖登記簿を漁っていたサトウさんが、ふと指を止めた。「ここ、筆界変更の前に共有者がいた形跡があります」その名義人は、依頼人の祖父とは全く別の人物だった。
名義が消えたまま残された印影
封筒の裏に押された印影が一致した。その人物は登記簿からは消えているが、確かにその土地に関与していた。「土地を奪われた」と感じた祖父の記憶は、妄想ではなかったのだ。
合筆の前にあった“誰か”の意思
地元の政治家とつながりのあった人物の名前だった。登記簿の記載には現れないが、裏で何かが行われたとしか思えなかった。
登記記録の深層へ
これは、登記簿という名の“物語”の再読だった。法律の文字では語られない、土地と人の過去を掘り起こすような作業だ。私の背筋が自然と伸びた。
閉鎖登記簿から拾い上げた断片
証拠としては弱い。だが、積み重ねれば説得力となる。サトウさんの目は鋭く、私はただその導きに従って調査を進めた。
司法書士だけが知る“消せない記憶”
地図からは消えても、記録には残る。そして記憶の中にさえ残る。それを扱うのが我々の仕事だ。土地の声を聞く、それが司法書士というものだ。
見えてきた真相
過去の所有者が一時的に名義を預かっていた。そしてその後、なぜか登記手続きが合筆によって“上書き”されていた。意図的な操作。それが真実だった。
なぜ筆界を曖昧にしたのか
その土地には、将来的に値上がりが見込まれていた。だからこそ、合筆して所有者を一本化したかったのだろう。合法ではあるが、限りなく黒に近い灰色の処理だ。
地元の古老が語った埋もれた過去
「あの畑は、昔は分け合って使ってたもんじゃよ」古老の言葉が、証拠として補強された。記憶は脆いが、消え去りはしない。
告発と継承
依頼人は悩んだが、最終的に声を上げることを決意した。過去を否定するのではなく、受け止めたうえで“正しい状態”に戻す。それが彼の選んだ道だった。
依頼人が選んだ「正しい線」
登記訂正と境界確定訴訟の準備を始めた。「時間はかかりますけど、祖父に胸を張れるようにします」と彼は静かに語った。
誰も知らない真の筆界へ
そこに線はない。だが人々の記憶が、その場所を“土地”として認識していた。だからこそ、その境界を可視化する意味がある。
サトウさんの一言
「それ、最初から気づいてましたけど」
私は椅子からずり落ちそうになった。……いや、実際にずり落ちた。「やれやれ、、、」と言って頭をかいた。彼女には敵わない。
塩対応の中にある確かな信頼
淡々としているようでいて、彼女は常に核心をついている。私のようなうっかり者にとって、これほど心強い存在はない。
記憶は記録に勝てるか
その問いに、私は未だに答えを出せていない。ただ、記憶の声を無視してはいけない――それだけは確かだ。
過去を継ぐものとしての責任
私たちは記録を扱う仕事だ。しかし、その背後にある物語に耳を傾けることで、初めて“真実”に触れられる気がする。
合筆された線にこそ残る真実
それはただの線ではない。そこには人の想いと記憶がある。それを消してしまうのは、あまりに惜しい。
誰も知らない地図
その日、私は一枚の地図を描いた。公式のものではない。だが確かに、そこに存在したものを描いた地図だ。
記憶と記録が交差するその先に
その交差点で、私たちは仕事をしている。司法書士とは、記憶を記録に変える仕事なのかもしれない。
司法書士としての矜持
やれやれ、、、今日もまた、何かが始まりそうだ。
次なる依頼に備えて
デスクに戻ると、新たな依頼書が届いていた。登記簿謄本とにらめっこする準備をしながら、私は背筋を伸ばした。
登記簿を閉じ、また日常へ
事件は終わったが、日常は続く。地味で地道な作業。でも、そこにしかないドラマも確かにある。
やれやれ、、、今日も書類の山だ
私は溜息をつきながら、そっと書類を一枚めくった。