春霞の午後に訪れた依頼人
午後三時を回ったころだった。事務所のドアが重たく開き、春の空気とともに女が入ってきた。白いスーツに身を包んだその姿は、どこかTVドラマの登場人物のようだった。
「離婚の件でご相談がありまして」と彼女は言った。口調は丁寧だったが、その奥に何かを隠しているように見えたのは、長年の勘だった。
やれやれ、、、今日もまた一筋縄ではいかない案件か。俺は肩をすくめて、椅子をすすめた。
開かれたドアと緊張した空気
彼女の名は神崎ミホ。夫との別居が半年続いており、財産分与に関する公正証書を交わす予定だったが、話が急にこじれたという。
「夫が“約束しただけ”とごねてるんです。でも確かに口頭で、家は私のものだって——」
サトウさんがさっと視線を上げた。その反応が、何かに気づいたサインだった。
交わされたはずの約束
神崎が語るには、夫は数ヶ月前、手書きのメモに「家は君に譲る」と書いていたらしい。ただし、そのメモは破棄されたとのことだった。
「紙切れ一枚で何が証明できるっていうのよ」
それでも彼女は怒っていた。約束が法に勝つべきだと、そんな顔をしていた。
公正証書よりも甘かった証言
「そのとき録音とかは?メールでも?」と聞くと、神崎は唇を噛んだ。
「何も残っていません。ただ…あの日の夜、夫がメモを書いているのを、マンションの管理人さんが見たって」
サザエさんで言えば、波平が書斎でこっそり手紙を書いてる感じか。だが、その手紙は波平のカツオへの説教と違って、証拠にならない。
署名なき契約の落とし穴
俺たち司法書士は、証拠がなければ動けない。感情は証明にならないのだ。
「でも信じてたんです。彼の“誓い”を」
神崎の言葉は、まるで過去の自分に言い聞かせるようだった。
記録に残らぬ約束の意味
その夜、俺は一人で書類の山に向き合いながら考えていた。
記録に残らない誓いとは何か。ただの言葉遊びか、あるいは情の証明か。
「やっぱり、あの約束は甘すぎたんだよな」俺はつぶやいた。
一枚のメモ用紙が語る過去
翌朝、サトウさんが神妙な顔で手帳を差し出した。
「管理人さんに聞きました。あの日、夫がエントランスで落とした紙を拾ったそうです」
そこには、薄く消しかけた文字で「この家をミホに」と書かれていた。
別れ話と遺産の行方
俺はメモを光にかざした。ボールペンのインクが、無理に消された跡をにじませていた。
これは証拠とは言い難いが、状況証拠としての価値はある。何よりも、消したという行為自体が裏付けになる。
「ここから攻めましょうか」サトウさんがぽつりと言った。
やれやれ、、、本音はどこだ
俺は深く椅子に座り込んだ。やれやれ、、、またギリギリの勝負か。
だが、どこかで嬉しくもあった。人の本音が法を越える瞬間、それが見えたときにしか、司法書士の腕は光らない。
俺はゆっくりとうなずき、神崎に連絡を入れた。
うっかりが導いた決定的証拠
夫は「そんな紙知らない」と否定したが、メモの裏にあった自分の名前入りの飲食店レシートが決定打となった。
「これは俺の財布から出たやつだ」と言った瞬間、彼は自ら“甘い約束”の存在を認めたことになる。
うっかりも、時には味方になるのだ。
そして迎えた静かな結末
結局、神崎と夫は示談で合意し、公正証書を作成。家は彼女の所有となった。
「本当にありがとうございました」と彼女は微笑んだが、その笑顔もどこか寂しげだった。
証書より甘い誓いが、証書に変わった瞬間だった。
甘さは罪に変わるのか
俺は机の上のレシートを見つめた。人は言葉を軽く扱いすぎる。でも、その軽さが時に重さを生む。
そして、重くなったときにはもう、誰かが傷ついている。
だからこそ、俺たちの仕事が必要なんだ。
サトウさんの淡々とした一言
「シンドウ先生、またコーヒーこぼしてますよ」
俺は慌てて書類をどけた。やれやれ、、、最後のうっかりは俺自身だった。
でもまあ、今回は俺も少しは活躍しただろう。元野球部の底力ってやつだ。