「なんでそうなったの?」って言われてつらい

「なんでそうなったの?」って言われてつらい

「なんでそうなったの?」の破壊力

司法書士という仕事をしていると、説明責任は常につきまとう。「なんでそうなったの?」という言葉は、たしかに疑問の形をしているが、受け取る側としては責められているような気持ちになってしまうことがある。もちろん相手に悪気はないのだろう。でもこちらはミスをした自覚があるぶん、自己防衛と羞恥心が合わさって、胸の奥がズーンと重くなる。たった一言が、心を追い詰めるのだ。

たった一言で心が折れる瞬間

たとえば、登記申請で法務局から補正の連絡が来たとき。自分の確認不足で、添付書類に不備があった。慌ててクライアントに連絡し、事情を説明したところ、電話の向こうから「なんでそうなったの?」と軽く言われた。それだけで、全身の力が抜けるような気がした。こちらが何時間も悩んで、どう伝えようか言葉を選んだ末の報告だったからこそ、その一言はキツかった。

責めてないのはわかってる、でも

頭ではわかっている。「なんでそうなったの?」は単なる質問であって、責める意図はない。でも、感情はどうしてもそう受け取ってしまう。言い訳に聞こえないように説明しなきゃと思って、余計にしどろもどろになる。「すみません、確認が漏れてまして……」としか言えなくなって、自己嫌悪だけが残る。こういうやりとりが何度かあると、もう誰とも話したくなくなる。

冷静な言葉が一番刺さる時がある

怒鳴られるより、淡々と「なんで?」と聞かれるほうが、よっぽどこたえる。とくに、自分の失敗を自覚しているときにはなおさらだ。高校のとき、親に怒られるよりも「あなた、どうしてこんなことしたの?」と冷静に言われたほうが泣きそうになった記憶がある。それに近い。司法書士になって何年経っても、人からの言葉の受け止め方って変わらないものなんだなと思う。

司法書士という職業と「説明責任」

司法書士は、依頼者との信頼関係が命だ。その信頼は、正確な業務遂行と、丁寧な説明によって築かれる。でも、その「説明」はいつも楽なものとは限らない。むしろ、うまくいかなかったときほど、言葉の重みは増す。そして何より難しいのは、相手が納得してくれるように、ミスを認めつつ、信頼を損なわないように説明することだ。

言い訳せずに伝える難しさ

言い訳に聞こえない説明って、ものすごく難しい。事実だけを述べても、それが言い訳っぽくなることもあるし、逆に謝りすぎても信用を失う。たとえば、「補正の原因は当方の確認不足でした。すぐ対応します」とだけ伝えても、「ちゃんとチェックしてないんだな」と思われる。じゃあどうするか?相手の性格や関係性、過去のやりとりを思い出しながら、伝え方を探るしかない。

お客様に納得してもらうための表現力

事実+誠意+解決策。この三点を意識して話すようにしている。たとえば「本件の登記に必要な添付書類について、過去の類似案件と同様の扱いを想定していたため、記載が漏れてしまいました。至急、修正して対応させていただきます。」といった具合に。うまく伝わると、相手も「わかった。大変だけどよろしく」と言ってくれる。でもこれはもう、場数でしか身につかない。

ミスを責められてるわけじゃないのに苦しい理由

責められてないのに苦しい——それは、司法書士が“信用を商売にしている”職業だからだと思う。つまり、自分の価値そのものがミスによって傷つけられる感覚になる。だからこそ、「なんで?」の一言が自己否定と結びついてしまう。「お前は信用できない」とは言われてないのに、そう受け取ってしまう。自分で自分の心を追い詰めているのかもしれない。

事務所の小さな出来事が心に残る

ある日、うちの事務員さんが書類の整理をしていて、「これ、ファイル間違ってましたよ」と言ってきた。ちょっと落ち込んでたので、「ああ、ごめんね、なんでそうなったんだろうね」と言ったら、彼女が笑いながら「先生が疲れてたんですよ」と返してきた。そのやりとりで、なんだか救われた気がした。責めるでもなく、笑い飛ばすでもなく、ただ一緒に受け止めてくれた。

事務員さんとのやりとりに救われることもある

正直、誰とも話したくない日もある。でも事務員さんは、そんな雰囲気を察して、何も言わずにお茶を淹れてくれる。「なんでそうなったの?」じゃなくて、「今日は天気いいですね」くらいの雑談を挟んでくれる。こういう日常の些細なやりとりに、ものすごく助けられていることに、最近ようやく気づいた。

一緒に乗り越えた「あの失敗」

昔、ある不動産登記で地番を間違えて申請してしまったことがあった。修正には法務局との交渉と、お客様への謝罪と説明が必要で、本当に胃が痛かった。そのとき、事務員さんが「一緒にやりましょう」と言って、申請書類の再作成を手伝ってくれた。二人で夜遅くまで事務所に残って作業したあの夜のことは、今でも忘れられない。

自分を責めすぎないために

「なんでそうなったの?」という言葉に傷ついたとしても、それをずっと引きずっていたら仕事にならない。だから最近は、自分にこう言い聞かせている。「誰だって失敗するし、それをどう挽回するかが大事なんだ」と。簡単なことではないけれど、自分を守るためには必要な考え方だと思う。

「しょうがない」を肯定する勇気

「しょうがない」と言うと、投げやりに聞こえるかもしれない。でも、「しょうがないけど次は気をつけよう」という前向きな「しょうがない」もある。完璧主義の人ほど、自分を許せない。でも時には、自分に優しくなることも必要だ。司法書士だって人間なんだから。

それでも前を向けた日を思い出す

今でも「なんでそうなったの?」と言われるたびに凹む。でも、乗り越えた日もある。何度も謝って、誠意を尽くして、最後に「大変だったね。ありがとう」と言われた日。そんな日を思い出して、「ああ、またやっていけるかな」と少しずつ気持ちを立て直す。傷つくことはあっても、完全に折れない自分でいたいと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。