印影の中の嘘

印影の中の嘘

印影の中の嘘

朝一番の訪問者と封筒

まだコーヒーも飲んでいない朝九時、ドアのガラス越しに人影が見えた。 茶封筒を握りしめた中年男性が、おずおずと扉を開けて入ってきた。 「これ、父の遺言書と印鑑証明です。登記をお願いしたくて…」

書類の中にあるはずのない違和感

封筒の中から出てきたのは、A4の遺言公正証書と印鑑証明。 しかし何かが引っかかった。何だこの、違和感は。 それはまるで、夕飯のカレーがシチューの味だった時のような感覚だった。

サトウさんが見逃さなかった微妙なズレ

「あの印影、変ですよ」サトウさんが書類を睨みながら呟いた。 「登録番号は正しい。でも印影の傾き、去年のと違ってます」 あいかわらず彼女の観察眼は鋭い。サザエさんの波平の髪よりも確実だ。

届出印と印鑑証明の食い違い

念のため保管していた以前の登記申請書と照合してみた。 確かに同じ登録番号、同じ氏名。しかし、印影が僅かに右に傾いている。 「機械で押したのか、人が偽造したのか…」俺は眉間にシワを寄せた。

そもそも誰が印鑑証明を用意したのか

提出された印鑑証明の日付は、一か月前。 しかしその日、亡くなった父親はすでに入院していた。 となると…誰が区役所に行って、証明書を取得したんだ?

登記申請に潜むもう一人の依頼人

調査を進めると、申請書を持ち込んだ依頼人には兄がいることが判明した。 しかもその兄、数年前に家を出て音信不通だったという。 「まさか、そいつが…?」サトウさんが眉をひそめる。

元野球部の勘と犯人の筆跡

俺はあることに気づいた。遺言の受領欄の署名が、やけに丸っこい。 高校時代の野球部のスコアボード係だった俺は、文字にうるさい。 「これ、同じ筆跡じゃない。別人だな…」

管轄外の市役所が語った真実

本籍地のある隣町の市役所に電話をかけた。 「その日に印鑑証明を出したのは、確かに〇〇さんですが…」 職員が不思議そうに続けた。「受け取りに来たのは、別の男性でしたよ」

印影を巡る二重のトリック

偽造された印鑑証明と、公正証書風の遺言書。 犯人は、兄だった。父の死亡前に動き、証明書を手に入れ、偽造した。 だが、印影の角度までコピーできなかった。そこが命取りだった。

サトウさんの塩対応と真実への導線

「で、どうするんですか?警察に行きますか?」と彼女。 「まあ、依頼人には事情を話して…」 「やれやれ、またこっちが後始末ですか」塩の海のような対応に俺はむせた。

過去の登記に潜んでいた伏線

思えば一年前、父親の所有権移転でも妙な急ぎ方をしていたらしい。 その時は気づかなかったが、今思えば兄が画策していたのかもしれない。 人は印鑑を押すけれど、その影に潜む意図までは押せない。

事務所に戻った俺が見つけた小さな手がかり

デスクに戻ると、見慣れない手紙が置いてあった。 差出人は件の兄だった。「すべてを話します」とだけ書いてある。 やれやれ、、、ようやく腹を割る気になったか。

嘘の証明と偽りの遺言

偽の遺言、偽の証明、でも本当の罪は「家族を信じられなかったこと」かもしれない。 兄は財産のために弟を出し抜いたが、最後は自ら名乗り出た。 「書類が真実を語るとは限らない」司法書士として、俺はそう思う。

解決後のラーメンとサトウさんのひとこと

「今日はラーメンですか?どうせまた煮卵ダブルですか?」 「いや…今日はチャーシューで」俺はなんとなく照れ笑い。 「まあ、疲れたでしょうからね。黙って食べてください」彼女の声は相変わらず冷たい。

誰のための証明だったのかを考える夜

証明とは誰かのためのものだ。信頼の、あるいは疑いの裏返し。 印影ひとつで運命が変わるなんて、やっぱり書類の世界は侮れない。 夜の事務所で一人、俺はコーヒーをすすった。砂糖はなしだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓