朝の依頼と消えたデータ
サトウさんの冷静な第一声
「変な依頼が来ましたよ、シンドウさん」
事務所に入ってきたばかりの私に、サトウさんはパソコンの画面を見ながら言った。
彼女の声には、わずかにいつもと違う温度が含まれていた。
USBメモリに残された謎のファイル
依頼人が差し出したのは、古びたUSBメモリひとつ。
中には一つだけ「KOKORO.TXT」というファイルが保存されていた。
私はマウスをクリックしながら、心の中で嫌な予感が膨らんでいくのを感じた。
依頼人は涙をこらえた女性
登記ではなく想いを記録してほしい
依頼人の女性は、目元をハンカチで押さえながら言った。
「このUSBの中身を、正式な書類にしていただけませんか。あの人の気持ちを、残したいんです」
感情を登記できるはずもないが、私は思わず口ごもった。
10年前の共有名義と過去の恋
調べてみると、彼女とその故人は10年前に一つの土地を共有名義で購入していた。
当時の登記理由は「同居を前提とした共同生活」だった。
だが、法的な関係ではなかった二人の想いは、どこにも記録されていなかった。
私道と私情の交錯
土地の一部がなぜか除外されていた
不思議なことに、登記簿の写しには、ある区画が一部だけ除外されていた。
私道としての扱いになっていたのだが、どうにも腑に落ちない。
私はそこに、なにか感情的な判断が潜んでいる気がしてならなかった。
司法書士は愛を証明できるのか
「愛を登記する欄は、ないんですよね」
ぼそりと呟いた私に、サトウさんは「そりゃそうでしょう」とため息をついた。
やれやれ、、、まったく、ドラマのような話は現実の事務所には似合わない。
亡き男が残した秘密のメモ
デジタル遺産と未練の痕跡
そのテキストファイルには、日付と共に短い一文が残されていた。
「君と過ごした日々を、ずっと記録していたよ」
ファイルは最終更新が一年前。彼が亡くなる数日前のものだった。
「わたしの愛も記録できますか」
その言葉が、彼女が私に向けて言った最後の問いだった。
私は何も答えられなかった。答える資格も、方法も持ち合わせていなかった。
ただ、心のどこかでその想いの重さを感じていた。
サトウさんの調査力が光る
過去の登記情報と現在の不一致
サトウさんは過去の登記情報と、現在の所有状況を丹念に照合していた。
「あった。ここ、住所の番地が微妙に違います」
彼女の指摘が、事件の核心を突くきっかけになった。
法務局職員との絶妙なやり取り
法務局の古株職員が呟いた。「あの人ね……最後まで、彼女の名前を残すことにこだわってた」
どうやら、私道の一部を彼女だけの名義にしようとしていたらしい。
しかしその申請は、彼の死によって途絶えていた。
不自然な名義変更の理由
恋人が家族に変わる瞬間
「事実婚」という言葉では足りない、けれど「他人」ではなかった。
名義変更には、そんな微妙な関係性が見え隠れしていた。
司法書士としてより、人としてどう関わるべきか、私は悩んでいた。
書類に潜む小さな矛盾
古い登記申請書に、修正テープが使われた痕跡があった。
「彼女の名前、一度書いてから消してますね」
書くことを躊躇った最後の瞬間が、そこに残されていた。
ついに明かされる想いの真相
登記にはできない証明
すべてを調べ終えた私は、彼の想いが“形式”よりも“記録”として残したかったことに気づいた。
制度ではなく、気持ちとして。
それは登記簿には刻めないが、確かに彼女の中にあった。
彼女が求めたのは結論ではなかった
彼女は泣きながら笑った。
「それで十分です。シンドウ先生、ありがとうございました」
私はなにもできなかった気がしていたが、それでもいいのだと思えた。
最後に書き込まれた一文
ファイルの最終行に残された記録
「君の笑顔が、僕の財産だった」
それが、USBの中に残された最後の一文だった。
登記簿には載らないが、きっと一番価値ある記録だった。
それは法的効力のない手紙だった
私はその文面を一枚の紙に打ち出して、そっと彼女に渡した。
効力はない。だが、それでも十分な「証明」だった。
紙を胸に抱く彼女の背中に、言葉をかけることはできなかった。
やれやれ、、、これも仕事か
サトウさんの無言の称賛
事務所に戻ると、サトウさんがコーヒーを差し出してくれた。
「珍しく、いい仕事しましたね」彼女はそう言いながら、にやりともせず席に戻った。
私はコーヒーを啜りながら、無言で天井を見上げた。
帰り道にふと思い出す名前
夜風が少しだけ涼しくなっていた。
信号待ちの間、彼女の名前をもう一度頭に浮かべる。
記録には残らないものが、一番心に残るものなのかもしれない。