午後三時の登記所で起きたこと
その日は妙に蒸し暑く、登記所の空気もどこか淀んでいた。午後三時ちょうど、待合に響く悲鳴がその沈黙を引き裂いた。
「誰か!ここに人が倒れてる!」と叫ぶ女性職員の声が、静まり返った空間を震わせた。登記所の一角、相談ブースの陰に一人の男性が倒れていた。
その男は、先ほどまで受付で何やら揉めていた人物だった。事件のにおいが、ふわりと広がった。
静寂を破った男の悲鳴
彼の名は高瀬。地元の不動産業者で、やたらと口が悪く、登記官からも煙たがられていた。
突然倒れた高瀬のそばには、折りたたまれた申請書と朱肉が転がっていた。目は見開かれたまま、どこか遠くを見ていた。
死因は不明。だがその場にいた誰もが、それが単なる偶然ではないことを感じ取っていた。
受付簿に残された最後のサイン
受付に残された記録には、14時56分、高瀬の名前と不動産の所有権移転登記の手続きが記されていた。
ただし、申請理由の欄には不自然な空白。そこだけが妙に白く、あとから何かを消したような跡があった。
「これ、何か変じゃないですか?」――サトウさんの冷静な声が、事件の核心に静かに踏み込んだ。
事件のはじまりと司法書士の憂鬱
登記所からの連絡を受けて現場に駆けつけた私は、ため息をひとつついた。何も好き好んで殺人現場に出向きたいわけではない。
「またか、、、やれやれ、、、俺が行かなきゃ誰が行くってんだ」――内心そう愚痴りながら、現場に立った。
司法書士は便利屋じゃない。だが、なぜかこういう時だけやたらと呼ばれるのだ。
やれやれ、、、また面倒ごとだ
高瀬の遺体を見下ろしながら、ふと彼の手元の書類を覗き込んだ。そこには、よく知る書式の委任状があった。
しかし、署名欄の筆跡が2種類ある。それも、まるで筆跡鑑定を挑発するような不自然な混在。
「これは、、、誰かが途中で手を入れたな」――そう直感した。
うっかり印鑑を忘れて気づいた違和感
私は自分の鞄を見て印鑑を忘れたことに気づいた。「やっちまったな」と思いながら机を借りに行くと、別の司法書士が声をかけてきた。
「あの高瀬さん、さっき別の書類で揉めてましたよ」
その一言が、私の中の違和感を確信に変えた。
サトウさんの冷静な観察
「シンドウさん、この申請書、添付書類が一枚多いです」
そう言ってサトウさんが差し出したのは、明らかに本件とは無関係な売買契約書の写しだった。
ただ、その書類の一部にだけ、見覚えのある名前が混じっていた。「あれ?これ、、、俺が数年前に関わった案件だぞ」
「見てなかったんですか?」の冷たい一言
「もしかして、登記官も気づいてたんじゃないですか?」とサトウさんが言う。
「ま、私は最初からちょっと変だなと思ってましたけど」――そう言いながら涼しい顔だ。
「あんたさあ、、、」と返す気力も失せる。完全に彼女の方が一枚も二枚も上手だ。
登記申請書の間違いに潜む真実
私はもう一度、申請書をじっくり見直す。すると、住所欄の番地が旧表示のままになっていた。
通常、現在の表記でなければ補正が求められる。だがこの書類はスルーされていた。
それはつまり、内部に協力者がいたということだ。しかもそれは――
登記所の裏に広がる人間模様
思い当たる人物がいた。かつて高瀬と一緒に仕事をしていた元同僚の名が、ちらつく。
彼は現在、登記所に籍を置く非常勤職員として働いていた。偶然にしては、出来すぎている。
そして、その人物は事件の直前まで、高瀬と密室で何かを話し込んでいたという証言が出た。
元同僚との再会と消えた申請者
「あれ、あの人ならさっき帰ったはずですよ」と職員は言うが、出入口のログにはその記録がない。
つまり、その人物はまだ建物内のどこかにいる。そして、何かを隠そうとしている。
「さては、、、」私は警備室に駆け込んだ。
登記官の曖昧な証言
登記官に話を聞いてみると、どうにも歯切れが悪い。「いやあ、たくさんの書類があって、、、正直覚えてないんですよね」
だが、その言い方にはどこか焦りが見えた。私は机の引き出しを一瞥し、思わず目を細めた。
そこには、見覚えのある朱肉と、偽造された認印の印影が押された紙片があった。
鍵を握る登記識別情報通知
決定的だったのは、ひとつの登記識別情報通知だった。
通常、通知は所有者本人にしか渡されないはずだ。だが、現場に残されたその通知には、偽造の痕跡があった。
それも、相当手の込んだ方法で。
数字の配列に潜むメッセージ
登記識別情報の数字列に、ひとつだけ桁が多い箇所があった。
「これ、まるでナゾトキアニメじゃないですか」とサトウさんは鼻で笑った。
だが、数字を逆から読み、漢数字に直すと「タカセシネ」という文字が浮かび上がる。
消された登記理由証明情報の罠
さらに、申請書の写しには、あるページだけが明らかに修正されていた。
本来は売買による所有権移転だったが、そこには贈与と書かれていた痕跡がある。
この矛盾が、事件の本質を浮かび上がらせた。
全てをつなぐ司法書士の推理
私は事件のピースをすべて並べ直し、一枚の絵を組み立てるように推理した。
「つまり、高瀬は元同僚と結託し、他人名義の不動産を横取りしようとしていた。そして、裏切られた」
その裏切りは、登記所という“表の顔”を利用して行われた。
「これは、書類が語っている」
「証人はいなくても、紙が嘘をついてる」――そう私は言った。
証拠のすべては、整えられすぎていた。そして、その過剰な丁寧さこそが、真犯人の焦りを物語っていた。
「やっぱりな、やりすぎなんだよ」
三時の記録と死亡推定時刻の矛盾
最後の決め手は、タイムスタンプだった。死亡推定時刻は14時48分。だが、申請書の記録は14時56分。
つまり、彼が死亡したあとに、誰かが書類を追加していたということになる。
――それが、彼を殺した者だ。
真相と、午後の静寂
犯人は確保された。あの元同僚だった。彼は最後にこう呟いた。「アイツが裏切ったんだ、、、俺じゃない」
誰もが悪意を抱え、それを偽装するために書類を使った。その皮肉が、司法書士としての私の胸に重くのしかかった。
だが、真実は書類に残る。嘘をつかない筆跡が、そこにあった。
サトウさんの一言が引き金だった
「登記簿に勝手に命を足すのは、ダメですよ」
サトウさんの冷ややかな一言に、私は苦笑するしかなかった。
「俺が命を吹き込むのは、せいぜい甲区欄までだよ」
記録の中にあった殺意
記録が語る嘘、そして死が語る沈黙。司法書士はその間を歩く存在だ。
時には法と人のあいだに立ち、時には沈黙の行間を読む。
今回もまた、その行間に――殺意があった。
そして、再び日常へ
事件は終わった。だが、登記所には今日も新たな申請者がやってくる。
私は机の上の朱肉を片付けながら、ふと空を見上げた。
「やれやれ、、、次は何の騒ぎだ」
登記簿は何も語らないけれど
記録は、残る。ただ、そこに何が書かれているかを読むか読まないかは、読み手次第。
私はそう思いながら、静かに今日もまた、書類に向かった。
サトウさんの無言のため息が、背中から突き刺さるようだった。
「やれやれ、、、やっぱり俺の出番か」
事件が起きるたび、結局巻き込まれるのは私だ。
だが、それも悪くないと思っている自分がいる。
そう、司法書士ってのは、事件の記録を読み解く探偵でもあるのだから。