朝の来客とUSBの忘れ物
朝一番、事務所のドアが乱暴に開いた。男はスーツのポケットを探りながら慌ただしく腰を下ろした。 「ちょっとだけ、話を聞いてほしいんです」と、それだけ言うとテーブルの上にUSBメモリを置いた。
机に置かれた銀色の記録媒体
金属製のUSBは少し擦り傷があり、使い込まれた様子だった。 男は名乗らず、手続きの相談を口にしたが、内容は要領を得なかった。 話が曖昧なまま、彼は「また来ます」と言い残して出て行った。USBを忘れたまま。
サトウさんの冷たい推測
「なんか、サザエさんのエンディングでタラちゃんが忘れ物してる時みたいですね」 サトウさんが言うと、僕はうなずいた。 「このUSB、妙に気になりますね。中、見ていいですか?」と、彼女はすでにパソコンに差していた。
依頼内容と不可解な沈黙
来客が話していた内容は、登記の名義変更らしいが、具体的な物件情報を語らなかった。 「住所も言わずに登記の相談って、ラーメン屋に来て『汁っぽいやつで』って言うようなもんですよ」 サトウさんの的確すぎる例えに、思わず苦笑いしてしまった。
登記の相談という名の口実
何かを隠しているような態度だった。おそらく彼は、登記よりもこのUSBに残された情報に意味があると考えている。 不動産の処分に絡むトラブル、もしくは遺言。可能性はいくつか頭に浮かんだ。 しかし、それを本人の口から語らせるつもりはなかったのかもしれない。
男の名前は記録になかった
僕は念のため、相談受付票や名簿を確認したが、彼の名前はどこにも残っていなかった。 まるで幽霊のように現れて、痕跡を残さず消えたその人物は、何を僕らに託したのか。 それを知る術は、今やこのUSBだけだった。
開かれたフォルダとひとつのPDF
USBの中は至ってシンプルだった。ひとつだけ「shoumei.pdf」というファイル。 「証明書、ですかね。まさかパスワード付きってことはないでしょうね」と言いつつ、開いてみる。 すると意外にもすんなり開いた。
パスワードに隠された意図
実はそのPDF、暗号化されていたが、解除パスワードは「yumi」。 「女の名前か、愛犬か…はたまた亡くなった娘か」と僕はつぶやいた。 「昼ドラの見過ぎですよ」とサトウさんは冷たく返したが、画面に映った内容に目を奪われた。
ファイルの最終更新者は誰か
プロパティを見ると、作成者名は「TSUNODA」とあった。 あの男は「田中」だと言っていたような気もするが、名乗らなかった気もする。 「これは本人の名前じゃない可能性が高いですね」と、サトウさんは冷静だった。
裏取りと登記簿の矛盾
PDFには不動産の売買契約書と、登記識別情報の控えが添付されていた。 だが、その不動産の登記簿をオンラインで確認すると、記載内容が違う。 一部、所有者の名が一致しないのだ。
不動産の名義に潜む罠
「これ、誰かが途中で名義を入れ替えてる。所有権移転登記の順番に不自然な点がある」 サトウさんの言葉に、僕も表示された履歴を追った。 たしかに、一件だけ添付情報が飛んでいる。
司法書士としての違和感
提出された登記原因証明情報に日付の空白があった。 通常、こんなことはまず起きない。 「この登記、作為的に何かが省かれてます。PDFがそれを示してるんでしょう」
サザエさん的日常にひそむ闇
まるで波平が家計簿を偽造してフネに責められるような展開だった。 一見ほのぼのした不動産売買が、実は誰かの財産隠しに使われていた可能性が高い。 「うちもたまには、コナンみたいな事件が来るんですね」
登記情報交換システムでの発見
司法書士会の交換情報から、似たようなケースが報告されていることが分かった。 不動産を一時的に他人名義に移すことで、差押えや債権回収を逃れるという手口だ。 件の登記は、まさにそのパターンに該当していた。
古い地番と偽造された証明書
PDFには旧地番の記録もあったが、現地番と一致しない。 登記簿の記載が新旧混在していることで、余計に混乱を招いていた。 そこに意図的な「誤記」を加え、別人名義に移したのだ。
サトウさんが見抜いた決定的な違和感
「このPDF、作成日は今年になってますけど、添付のスキャンは三年前の日付ですよ」 サトウさんの鋭い指摘に、僕ははっとした。 つまり、過去の資料を再編集して、あたかも現在のものに偽装しているのだ。
やれやれ、、、またかという感じだ
「こういうことやる人、結構いますよ。バレないと思ってるんですかね」 僕は額を押さえながらつぶやいた。 やれやれ、、、仕事が増えるのはごめんだ。
ファイル名に隠されたメッセージ
ふと気づく。「shoumei.pdf」という名前、逆から読むと「iemuohs」——「家を守る」? いや、偶然か? それとも、、、? 結局、それすらも謎として僕らの中に残った。
再訪した依頼者と崩れゆく嘘
3日後、あの男が再びやってきた。 だが、今回は明らかに態度が違った。 「やっぱり、あのUSB、見ましたか?」
逃げ腰の態度に見えた真実
彼は問い詰められる前に自白を始めた。 かつて父の名義だった土地を売却するため、兄に無断で書類を偽造したのだという。 「悪いことだと分かってた。でも、家を守るには…」
最後の一撃はサトウさんの一言
「家は人を守るけど、嘘は誰も守りません」 サトウさんの一言に、彼は肩を落とした。 「そのUSB、警察に出しますよ」と言うと、彼は静かにうなずいた。
PDFが語った過去と罪
結局、あのPDFは事件の証拠として十分な役割を果たした。 デジタルデータの中に、確かに人間の欲と罪が記録されていた。 司法書士としての職責が、久々に重くのしかかった。
廃業した登記所の職員名
添付されていた文書の一部に、すでに廃業した地方法務局職員の名があった。 それが決定的な偽造の証拠だった。 「過去の資料も、時に未来を変えるんですね」
記録は人を裏切らない
あらゆる書類と証明は、人が作ったものだが、人以上に正直だ。 嘘が入り込めば、すぐに浮き彫りになる。 それが、司法書士という仕事の難しさであり、誇りでもある。
司法書士としての正義とは
「これで少しは平和になりますかね」 僕がそう言うと、サトウさんは無言で書類整理を続けていた。 「…まあ、そう簡単にはいかないか」
事務所に残されたUSB
件のUSBは、警察への提出後、戻ってくることはなかった。 だが、その事件の記憶は、僕らの事務所に色濃く残った。 パソコンの電源を切るたび、あのPDFがふと脳裏に浮かんでくる。
書類の重みと責任の所在
今日もまた、誰かが玄関のチャイムを鳴らした。 書類一枚が人を救うことも、奈落に落とすこともある。 その重みを、僕は忘れないようにしている。
そして誰も訴えなかった
警察は男の事情と反省をくんで、事件化せず示談となった。 相続と人情の間で揺れる司法の判断。 僕は書類を閉じ、ため息をついた。
示談か告発かの分岐点
正義とは、時に線引きが難しい。 「法を守ることと、人を裁くことは違いますから」と、サトウさんが言った。 やっぱり、彼女はすごいなと思った。
終わらない書類と午後のコーヒー
コーヒーを淹れて、一息つく。 USBは消えても、また誰かが何かを持ってやってくる。 そう、司法書士に終わりなどないのだ。