誰にも言えないけど、寂しい夜があるを乗り越える方法

誰にも言えないけど、寂しい夜があるを乗り越える方法

司法書士という孤独な職業が抱える「夜の顔」

日中は次々に訪れる依頼者との面談や書類作成、登記のチェックに追われて、気づけばあっという間に夕方。しかし事務所のシャッターを下ろし、家に帰った瞬間、あの静けさが心にのしかかってくる。私のように独身で、日常的に誰かと深く話す機会の少ない司法書士にとって、夜の静寂は時に耐えがたいものになる。仕事で頭を使い続け、気を張り続けた反動が、夜にまとめてやってくるのだ。

日中の忙しさと夜の静寂のギャップ

昼間はとにかく動いているからこそ、自分が「寂しい」なんて思う暇もない。しかし夜になると、その動きが一気に止まり、急に自分の中の空白が浮かび上がってくる。仕事中は「依頼者のため」に全力を注いでいるが、自宅ではその役割もなく、誰からも求められていないような感覚に陥る。この落差が、余計に孤独感を強める要因になるのだろう。

終業後に押し寄せる虚無感

仕事を終えて事務所を出ると、なんとも言えない虚しさに包まれる。達成感があるかといえばそうでもない。むしろ「明日も同じことの繰り返しか…」と、胸の奥が冷えていくような感覚。家に帰っても誰かが待っているわけでもなく、テレビをつけて時間を潰すことが習慣になってしまった。こんなはずじゃなかった、という言葉がふと頭に浮かぶ夜もある。

人と接しているのに、どこか満たされない

司法書士という職業柄、多くの人と会話はする。でもそれは「仕事としてのやりとり」。お互いに役割を演じているともいえる。そこに本音や感情を持ち込むことは少なく、気づけば「誰にも本当の自分を話せていない」という状態が当たり前になっていた。表面的な会話では心は満たされない。人と接していても、孤独感が消えない理由はここにある。

「誰にも言えない」感情の正体

自分が感じている「寂しさ」や「虚しさ」は、誰かに打ち明けるには少し重たすぎる気がする。特に司法書士のような職業は、弱みを見せてはいけない、という無言のプレッシャーがある。「しっかりしてそう」と言われるほど、内心とのギャップが広がっていく。

相談される側の宿命

職業柄、人から頼られることが多い。登記や法律的な悩みだけでなく、時には人生相談のような話になることもある。でも、その反面、自分が相談する相手はいない。強く見せることが求められる仕事だからこそ、自分の弱さを見せる場面が極端に少ない。だからこそ、自分の中に「言えない感情」が積もっていく。

強がることが当たり前になってしまった

「大丈夫です」とか「なんとかやれてます」と、つい口癖のように言ってしまう。でも、本当はしんどい日もあるし、誰かに愚痴を聞いてもらいたい夜もある。なのに、そういう弱音を出すことが癖になっていないから、いざ誰かに言おうとしても、言葉が出てこない。自分で自分を閉じ込めてしまっているような、そんな感覚にとらわれる。

寂しさとどう向き合うか

寂しいと感じる夜を否定せず、むしろそれを「自分を見つめ直す時間」として使うことができれば、少しだけ気持ちが軽くなるかもしれない。無理に前向きにならなくてもいい。ただ、今の感情に正直になること。それが第一歩になる。

まずは「寂しい」と認める勇気

寂しさを感じることは、弱さではない。それは人間として自然な感情だ。でも、「自分だけがこんな思いをしている」と思い込むと、その感情はどんどん膨れ上がってしまう。私は最近、ノートに「今日の感情」を書き出すようにしている。「寂しい」と一言書くだけでも、なぜか少し安心するのだ。言葉にすることで、気持ちを客観視できるのかもしれない。

感情にフタをし続ける弊害

「寂しさなんて、気のせいだ」「考えすぎだ」と自分に言い聞かせ続けていた時期があった。でも、ある夜、突然涙が出たことがある。感情を無理に押し殺していた分、反動が大きくなったのだろう。それからは、無理に元気なふりをするのはやめた。感情には波がある。それを認めることは、決して恥ずかしいことじゃないと気づいた。

日常の中に安心できる習慣を作る

寂しさを完全に消すことはできない。でも、それを和らげる手段は作れる。大切なのは「自分が落ち着ける時間」を、意識して作ることだ。誰かと話すのも大切だけど、自分ひとりで過ごす時間にも工夫はできる。

帰宅後に「自分のためだけの時間」を用意する

以前は仕事から帰っても、なんとなくテレビをつけて、なんとなくスマホを見て…という夜が続いていた。でも最近は「21時からは自分のための時間」と決めて、お茶を淹れて好きな音楽を聴くようにしている。小さな習慣だけれど、心が整う実感がある。

ホットミルクとラジオ、ひとり夜の儀式

寝る前には、ホットミルクを飲みながらAMラジオを聴くのがマイルール。昭和のような習慣だが、これが案外落ち着く。どこか遠くで誰かが話している声に耳を傾けると、「一人じゃない」と思える瞬間がある。

スマホではなく紙の読書が効いた話

スマホの光は、心をどこか焦らせる。だから最近は紙の本を読むようにしている。1ページ1ページをゆっくりめくる感覚が、頭の中の雑音を静かにしてくれる。本の中の登場人物に共感したり、反発したりする中で、自分の感情も整理されていくようだ。

人とのつながりを諦めない

どれだけ一人の時間を整えても、人とのつながりがまったくないと、心は枯れてしまう。だからこそ、自分に合った「つながりの形」を模索することが大事だと感じている。

職場外のコミュニティを探す

司法書士の仕事だけに閉じこもっていると、世界がどんどん狭くなる。そこで、地域のランニングサークルに顔を出してみた。誰も私の職業を知らない場所で過ごす時間が、思った以上に心を軽くしてくれる。最初は気後れしたが、行ってみて本当によかったと思っている。

町内会も捨てたもんじゃない

正直、面倒だと思っていた町内会の集まり。でも、近所のおじさんたちと話しているうちに、ふとした一言に救われたこともあった。「俺も昔は一人だったよ」という言葉が、なぜか心に染みた。人は思ったより、誰かの孤独に寄り添える生き物なのかもしれない。

趣味を通じた「ちょうどよい距離感」

趣味のカメラを通じて知り合った人たちとは、深く踏み込みすぎない関係が心地いい。必要以上に干渉されず、それでいて「お、いい写真撮れてるね」と声をかけてもらえる。その距離感が、自分にはちょうどいい。人付き合いが苦手な人ほど、趣味仲間を持つと救われる気がする。

事務員さんとの距離感と本音

うちには一人だけ事務員さんがいて、正直すごく助かっている。でも、妙に気を遣ってしまい、あまり砕けた話もできていない。「もっと気楽に話せたらな」と思いつつ、距離を詰めすぎるのも不安で…というのが正直なところ。

気を遣いすぎて何も言えない自分

ミスを指摘したいときも、逆に自分がミスしたときも、変に遠慮してしまう。「嫌われたら困るな」とか「言いすぎたかも」とか、考えすぎてしまう。そういう自分に、時々疲れる。でも、それでも一緒にやってくれている彼女には、本当に感謝している。

世間話ひとつで気持ちが救われることも

ある日、ふとした雑談で「最近ドラマ観てますか?」と聞かれた。たったそれだけの会話が、なぜか妙に嬉しかった。仕事の話ばかりじゃなくて、こういう他愛のない会話が、孤独感を和らげてくれるのだと実感した。

寂しい夜を「使う」発想の転換

寂しい夜は辛いけれど、それを「悪」と決めつけずに、むしろ活用できるものとして捉えるようにしている。夜だからこそ見えてくることもある。

夜の静けさは思考の時間に変えられる

夜の静寂は、雑音がないからこそ、自分の本音が聞こえてくる。昔の夢を思い出したり、これからやってみたいことが浮かんできたり。そんな時間にメモを取るようにしていると、不思議と前向きな気持ちが芽生えるときもある。

書き出してみることで客観視できる

ノートに気持ちを書き出すことは、自分にとっての小さなセラピーになっている。「寂しい」「不安だ」「疲れた」——その言葉を見ているうちに、「ああ、自分はこういう気持ちを抱えていたんだ」と気づく。感情は外に出すことで、少しだけ形が見えてくる。

寂しさの先にあるもの

寂しさに向き合った夜の先には、意外な発見が待っていることもある。自分の中の静かな願望、忘れていた価値観、そして誰かの役に立ちたいという思い。それらに気づけるのは、寂しさがあるからこそなのかもしれない。

本当の意味での「独立」とは

独立して事務所を構えたとき、「自由になった」と思った。でも、自由と孤独は表裏一体だった。だから今は、物理的な独立ではなく「心の自立」を意識するようにしている。寂しさを抱えつつも、それをうまく扱える人間になりたいと思っている。

誰かのためにできることが見えてくる

寂しさを知っているからこそ、同じように悩んでいる誰かの気持ちにも気づける。だからこそ、このコラムを通じて、少しでも誰かの「寂しい夜」を軽くできたら——それが今の自分にできる、ささやかな役割だと思っている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。