明日も仕事か…のループ

明日も仕事か…のループ

止まらない「明日も仕事か…」のため息

月曜日の朝だけじゃない。火曜も水曜も、気づけば毎朝「明日も仕事か…」という言葉が心の中に湧いてくる。誰かに押しつけられている仕事じゃない。自分で選んだ司法書士という仕事だし、事務所も自分で立ち上げた。でもその自由さが時に重くのしかかってくるのも事実。特に地方の一人事務所では、誰にも愚痴をこぼせないまま、ため息だけが増えていく。そんな日々の繰り返しに、何度も「これでいいのか」と思いながらも、今日もまた机に向かっている。

朝起きた瞬間から疲れている感覚

アラームの音と同時に感じるのは、眠気よりも「今日も一日が始まってしまった…」という絶望感。司法書士としての仕事は、表向きは堅実で地味だが、実際は書類の山に埋もれ、期限に追われ、ミスが許されないプレッシャーとの戦いだ。布団の中で「あと5分…」と何度も繰り返すが、時間は容赦なく進む。目覚めてすぐに感じるのが「もう疲れてる」って、なんだか人生の体力が常に赤ゲージみたいだ。

布団から出たくない司法書士の本音

たまに思う。もし今、寝坊して誰にも会えない時間まで寝続けたら、何が起きるんだろうって。登記の締切は守らないといけないし、銀行の対応もある。でもそのすべてから解放された朝がもしあるとしたら…。現実にはそんな自由はない。寝ていても、心はすでに「次の案件どうしよう」と考えてしまう。自分で選んだ道とはいえ、毎朝布団の中で「間違えたかな…」と思わない日はない。

天気が良くても心はどんより曇り空

外が晴れていても、心は晴れない。むしろ「こんなに天気が良いのに、どうして俺は事務所に缶詰なんだろう」と余計に気が滅入る。昔は天気がいいとちょっと散歩でもしようかという気持ちになったものだが、今はそんな余裕もない。業務が落ち着くまで、青空もただの無関係な背景でしかないのだ。

やることが多すぎて一日が短すぎる

「今日はこれだけやろう」と朝に予定を立てても、気づけば電話対応や急な依頼でまったく進まず、夜になっている。Todoリストはむしろ増えていて、「何も終わってない…」とため息をつくのが日課。小さな事務所だから、事務員に頼るわけにもいかない。結局、自分がやるしかない。結果、1日の終わりに残るのは疲労と自己嫌悪だけだ。

「終わってない…」で一日が終わる

もう何年も「今日も全部終わった!」なんて日、ないかもしれない。書類の整理、依頼者への連絡、法務局への提出物…。一つ片付けても、またすぐ次が来る。まるでエンドレスに流れてくる皿をひたすら洗い続ける皿洗いのバイトみたいだ。しかも、ミスは許されない。そのプレッシャーで、眠る前にも「あれ、あの登記、間違えてないか?」と目を開けたまま考え込む。

タスク管理アプリも追いつかない

何度も試した。Googleカレンダー、Notion、Todoist…。でも結局は、頭の中で常に「やることの洪水」が暴れている感覚からは逃れられない。通知に追われ、チェックを入れても安心できず、ふと「あ、これもやってなかった!」と心臓がキュッとする。アプリは便利だけど、心の安心までは管理してくれない。

誰も代わってくれない現実

フリーランスのように自由そうに見えるかもしれないが、現実は違う。全責任は自分にあるし、誰も助けてはくれない。事務員は一人だけで、専門的なところは自分がやるしかない。土日も祝日も関係なく、依頼はやってくる。断るという選択肢もあるが、それは売上を捨てるということでもある。結局、誰も代わってくれないという現実に、歯を食いしばるしかない。

責任の重さに押しつぶされそうになる瞬間

司法書士の仕事は、書類一枚のミスが何十万円、何百万円の損失につながることもある。しかも、依頼者はその重みを知らない。「簡単にできるでしょ」と言われるたびに、笑顔の裏で冷や汗をかいている。責任感は持っているつもりだが、時々それが重すぎて、潰れそうになる瞬間がある。

登記のミスは命取り。だから気が抜けない

「ちょっと確認すればわかるだろう」と思っていたことが、後々大問題になることがある。住所の表記ミスや、相続人の名前の誤記…。補正通知が届くと、その一枚で1週間分の心労が押し寄せてくる。夜遅くまで何度も確認しながら、「これで間違いないよな…」とブツブツ言ってる自分が情けなくなる。

補正通知を見るたびに心臓が縮む

ポストを開けて補正通知が見えた瞬間、鼓動が早くなる。まるで爆弾処理班みたいに、慎重に開封して、内容を確認する。軽微なミスならまだ救われるが、時に根本的な手続きミスを指摘されることもある。そのたびに「もう辞めたい」と思う。けれど辞められない。なぜなら、辞めても食っていける自信も、次の道もないからだ。

「これでよかったのか」と夜中に考える

真夜中、誰もいない事務所でひとり。パソコンの画面をぼーっと見つめながら、ふと「自分は何をやってるんだろう」と考えることがある。結婚もしていないし、子どももいない。家族ともうまくいってない。唯一の拠り所だった仕事も、今では心の重荷になっている。そう考えると、ふいに涙が出そうになる夜もある。

ひとり事務所の孤独な夜

地方での一人事務所は、ただでさえ孤独だ。近くに同業者がいるわけでもなく、気軽に相談できる相手もいない。日中は依頼者に囲まれていても、夜になると静寂が全身を包み込む。テレビをつけても、SNSを見ても、どこか心が満たされない。誰かに「おつかれさま」と言われたいだけなのに、その一言をもらえる相手すらいない。

SNSに流れる他人の幸せが刺さる

たまに息抜きにSNSを開くと、目に飛び込んでくるのは家族との写真、旅行の投稿、子どもの成長記録…。別にうらやましいとは思っていないつもりだった。でも、見続けているうちに、ぽっかり空いた心の隙間にそれらが刺さる。何かを成し遂げた実感もなく、ただ日々をこなしている自分がどこかみじめに思えてしまう。

「いいね」はもらえず、愚痴だけ増える

自分もたまに、業務の小ネタや愚痴を投稿してみる。でも、反応はほとんどない。「いいね」どころか、既読スルーされているような感覚に陥る。それでも誰かに聞いてほしくて投稿してしまうのは、たぶん本当に孤独だからだと思う。結局、「いいね」はもらえず、スマホを閉じたあとの虚しさだけが残る。

それでも明日はやってくる

どれだけ落ち込んでいても、朝は必ずやってくる。カーテンの隙間から差し込む光が、「さあ今日も始まるぞ」と容赦なく告げてくる。正直、逃げ出したい日もある。でも、それでも机に向かうのは、きっとどこかで誰かが自分を必要としてくれているからだ。ほんの少しでも、誰かの役に立てるなら、それだけが救いになる。

明日も依頼人は待っている

こちらの心情などおかまいなしに、依頼者はやってくる。電話が鳴り、書類が届き、訪問がある。そんな中で、ふとした瞬間に「先生、助かりました」と言われることがある。その一言のために頑張ってるのかもしれない。誰にも評価されなくても、その人のためにはなったという実感が、かろうじて自分を保たせてくれる。

ちょっとした「ありがとう」が救いになる

言葉一つで人は変わる。依頼者の「ありがとう」、事務員さんの「今日もおつかれさまです」、コンビニの店員の「またどうぞ」。そんな何気ない一言が、どれだけ心を救ってくれるか。高い報酬や名誉よりも、今はその一言の方がずっと価値があるように思えてくる。

事務員さんのひとことに泣きそうになる日も

ある日、事務員さんが「先生、最近顔色悪いですよ。無理しないでくださいね」と言ってくれた。その瞬間、張りつめていた糸がぷつんと切れた。泣きはしなかったけど、危なかった。誰かが見てくれてる、その事実だけで、人間はなんとか踏ん張れるのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓