朝の来訪者
怪しい依頼と古びた通帳
雨の匂いがまだ残る朝、事務所のドアが重たく開いた。差し出されたのは、角の擦り切れた通帳と一枚の信託契約書。「父の死後、この口座の存在を知りました」と言ったその女性は、どこか怯えていた。
契約書の内容は明らかに不自然だった。受益者も委託者も同一人物。信託契約として成立しているのかすら怪しい。俺の眠気は一気に吹き飛んだ。
信託契約書の矛盾
委託者と受益者が同一人物?
普通、家族信託は財産を管理させるために第三者が関与する。しかしこの契約書では、委託者である父と受益者も同一になっている。さらに受託者は不自然に遠縁の甥。法律的には可能だが、実務ではあまりに稀。
「なんでこんな構成にしたんでしょうね」とぼそりと呟くと、後ろからサトウさんが「あえてそうした理由があるってことでしょう」と切り捨てた。やれやれ、、、朝から塩対応かよ。
秘密口座の痕跡
取引明細の謎
古びた通帳には、数十万円単位の入金と出金が繰り返されていた。ただし不思議なのは、毎月決まって20日に必ず10万円ずつの出金があること。出金先の名前がすべて「ムラタ」の名義。
「ムラタ、、、親族にはいませんでしたよね?」と尋ねると、依頼者はかすかに首を横に振った。隠し事をしている目だった。名探偵コナンならこの場面で「謎はすべて解けた」と言うのだろうが、俺にはまだ霧の中だった。
故人の意思か誰かの仕掛けか
サトウさんの冷静なツッコミ
俺が机の上に資料を広げてうんうん唸っていると、サトウさんがノックもせずに入ってきた。「その『ムラタ』って、登記でたまに見かける名義じゃなかったですか?」と言いながら、自分のノートPCを開く。
登記簿の履歴を調べてみると、たしかに似た名義が複数出てくる。どうやらこの『ムラタ』は実在する不動産業者で、信託契約と別に動いていた形跡がある。
通帳が語るもうひとつの顔
三つの口座の名義人
追加で持ち込まれた遺品の中に、通帳があと二冊見つかった。いずれも父の名義だったが、出金先がすべて別人。中には「サエキユリコ」という名もあり、こちらもまた謎の存在だった。
「これ、資金洗浄ですかね」とサトウさんがまたさらりと口にする。サザエさんなら「まぁカツオったらまたそんなことして〜」で済むんだろうが、こっちは下手すりゃ金融庁案件だ。
家族の断絶と再構築
誰が誰のために信託したのか
改めて依頼者に尋ねると、亡父とは長年疎遠だったという。祖父の死をきっかけに父が全財産を一人占めしたらしく、兄弟間でも断絶があったらしい。信託は家族のためではなく、自分のための逃げ道だった。
その逃げ道が今、家族の中に潜んでいた憎しみとともに発覚したのだ。司法書士として関わるのは法の整合性だけだが、人の心のねじれまでは解けない。
動き出す司法書士の推理
遺産分割と信託のねじれ
俺は法務局に申請されていた過去の信託登記記録と、遺産分割協議書の内容に矛盾があることに気づいた。信託財産に含まれていた土地が、協議書ではなぜか分割対象に含まれていた。
「信託財産は本来、相続対象にならないんだけどな…」と呟くと、サトウさんが「誰かがわざと協議に含めてますね。これは動機になりますよ」と、冷静に指摘した。
消えた金はどこへ
やれやれ、、、また面倒な展開だ
調査の末に分かったのは、信託財産が複数口座に分散され、少しずつ現金化されていたことだった。ムラタ、サエキ、そして実在しない名義の口座。そこに金は流れ、どこかへ消えていった。
「やれやれ、、、また税理士の出番かよ」とため息をつきながらも、俺は関係機関への連絡準備を始めた。どうやらこの信託には、かなり大掛かりな仕掛けが含まれている。
過去の登記簿に隠された手掛かり
登記識別情報の誤魔化し
登記簿の一部には、手書きで追記された識別情報の控えが残されていた。これは明らかに正式なものではない。誰かが本人確認を免れるために、偽の識別情報を使っていた可能性が高い。
不正登記とまでは言えないが、司法書士の俺としては、無視できる問題じゃない。この記録が残っている限り、誰かが口座と不動産をつなげる細工をしていたのは明白だった。
最後の通帳記帳
口座は語る 真実を
依頼者とともに銀行に足を運び、記帳をお願いすると、最後の取引履歴に見覚えのある名前が出てきた。「ナガイマサミ」。亡父の元愛人だったという女性の名前だった。
「たぶんこの人が受益者の代行として動いていたんでしょう」と俺が言うと、依頼者はただ静かに頷いた。通帳が語ったのは、隠されていた家族のもう一つの顔だった。
サトウさんの決断
実印と暗証番号の意味
サトウさんは最後に一言、「この信託、形式的にはギリギリ合法ですが、ほぼ脱法ですね」と淡々と告げた。そして、依頼者に手渡したのは、保管してあった実印と封印された暗証番号。
「どんな信託も、最後は信じる人間次第です」。その言葉に、依頼者の目からぽろりと涙がこぼれた。口座よりも大事なものを、ようやく取り戻せたのかもしれない。
真相の暴露とその代償
信託が守ったものは何か
最終的に税務署と金融庁にも報告が行き、いくつかの資産は調査対象になった。ただ、信託契約そのものは父の死とともに終了していたため、法的な責任を問うことは難しかった。
信託が守ったのは財産ではなく、家族の間の嘘と秘密だった。そしてその代償として、愛情や信頼といった目に見えないものが、どこかへ失われていった。
依頼人の涙と微笑
司法書士にできること
最後に事務所を訪れた依頼者は、小さな花束を置いていった。「父のこと、少しだけ理解できた気がします」と言い残して帰っていった。その背中は、最初に来たときよりも少しだけまっすぐだった。
俺はその花を見つめながら、そっと呟いた。「信じることと託すことは、似て非なるものなんだな」と。司法書士にできるのは、ほんの一部の“整理”だけなのかもしれない。
帰り道のぼやき
やっぱりオレには向いてないよなあ
夜道、コンビニの明かりがやけにまぶしく見えた。俺は缶コーヒー片手に空を見上げたが、星ひとつ見えなかった。「やっぱりオレには向いてないよなあ」と独り言。
でもどうせ明日も、誰かが扉を叩いてくるんだろう。やれやれ、、、それが仕事ってもんか。