登記簿に潜む契約の罠
朝の静寂を破る一本の電話
午前8時きっかり。コーヒーの香りもまだ事務所に満ちていない時間帯に、電話のベルがけたたましく鳴った。ディスプレイには見慣れない市外局番が浮かんでいた。面倒な予感を振り払いながら受話器を取ると、案の定、声の主は緊張した様子で「土地のことでご相談がありまして」と言った。
不可解な土地売買の相談内容
話を聞くと、相続した土地を最近売却したのだが、どうも買主がトラブルを抱えているらしい。しかも、契約が終わったはずなのに、また別の人物から「自分が所有者だ」と連絡が来たという。登記が完了していないわけではない。だが、何かが、おかしい。
依頼人の曖昧な記憶と不審な書類
来所した依頼人は、五十代の男性。記憶が曖昧で、契約の経緯も「たしか…そうだったはず」と濁してばかりだ。持参した書類も、コピーが不鮮明で、しかも契約書の日付に手書きの修正があった。「これは…」と呟いたとき、サトウさんが静かに顔を上げた。
サトウさんの冷静なファイル分析
「この日付、登記申請日より前ですね」サトウさんが言った。冷ややかな口調だが、彼女の指摘はいつも的確だ。言われて見れば、売買契約の日付と登記日が逆転している。これは単なるミスなのか、それとも…。机の上に広がるコピーの束を前に、私の脳裏にひとつの仮説が浮かんだ。
契約書に潜む微妙なズレ
改めて契約書を精査すると、売主の署名欄に見覚えのあるクセ字があった。それは、以前別件で関わった不動産業者のものに似ていた。まさか、あいつがまた…。まるでサザエさんの中で毎週波平が同じミスをするように、同じ業者がまた似た手口を使っていたのだとしたら。
かすかな記録の違和感
調査を進めると、登記情報提供サービスで表示された前回の所有権移転登記に、通常は記載されない「特記事項」が載っていた。「仮登記の取消しあり」——これは通常、あまり見ない記載であり、異様だった。どこかで帳尻を合わせようとした痕跡のように見えた。
怪しい登場人物の影
調べを進めるうちに浮かび上がったのは、以前問題を起こした不動産ブローカーの名前だった。名刺こそ持っていなかったが、彼の噂は地元で何度も耳にしていた。「まだやってたのか…」と私は呟いた。こういう輩に限って、しぶとくしつこく、隙を突いてくるのだ。
元所有者の失踪と意外な証言
さらに意外だったのは、売買契約書に記載されていた元所有者が、実際には行方不明で、数ヶ月前から所在不明だったことだ。近所の人に聞き込みをしたサトウさんが言った。「隣の奥さんが言うには、最後に見かけたのは春先だったそうです」。じゃあ、春以降の契約書って、一体…?
法務局で見つけた決定的な痕跡
私は法務局に走った。原本閲覧申請をし、閉架書庫から取り出された書類を確認する。そこには、訂正印の多用、筆跡の違い、そしてなによりも、同じ日付で複数の仮登記申請がなされた痕跡があった。まるで探偵漫画のような展開に、私の頭も冴えてきた。
暴かれる偽造のからくり
結局、売買契約は偽造だった。元所有者になりすました者が契約し、登記の仮申請を行い、すぐに売却していた。登記完了前に新たな売買が成立するように見せかける手法。これは「すれ違い登記」と呼ばれる手口に似ていた。司法書士を騙せるとでも思ったのか。
シンドウの閃きと逆転の推理
決定打となったのは、サトウさんが見つけた一枚の住民票だった。筆跡を分析し、偽造の契約書との照合を私が進めたことで、矛盾が浮かび上がった。住民票の届出日と契約日が整合していない。それに気づいた瞬間、「やれやれ、、、」と独り言のように呟いていた。
登記手続きの裏にあった思惑
どうやら、偽造者は不動産バブル崩壊後の資産整理を装い、あえて問題のある土地を安価で転売することで利益を得ようとしていたようだ。しかも、司法書士を名乗る偽者まで登場していた。完全に詐欺団の構図だった。これはもはや警察に委ねるべき段階だった。
サトウさんの一言が導いた結末
「通報しておきますね。証拠はすべてUSBにまとめておきました」サトウさんはクールにそう言って、席に戻った。その背中が、妙に頼もしく見えた。彼女の観察眼がなければ、ここまで早く真相には辿り着けなかっただろう。私はしみじみと思った。
依頼人の涙とほのかな救い
依頼人は、詐欺の片棒を担がされたことを知り、涙ながらに頭を下げてきた。「私、何もわかってなかったんです…」と。被害者でもあり加害者でもある立場に、自責の念が強く滲んでいた。だが、最悪の事態には至らなかったのが救いだった。
帰り道に交わされた皮肉な会話
「なんか、毎度事件ですね」「まあ、普通の登記の方が珍しいくらいだ」帰り道、サトウさんとの会話は皮肉っぽくもどこか心地よい。結局、今日もろくに昼食をとれずに終わったが、これが我々の日常というものだ。
やれやれで締めくくるいつもの一日
夕暮れの空を見上げながら、私はつぶやいた。「やれやれ、、、また明日も一波乱あるのかね」。だが、その言葉には、ほんの少しだけ満足感が混じっていた。正義なんて大それたものじゃない。ただ、ほんの少しだけ、誰かのために働けた。それで十分だった。