プロローグ
静まり返った登記所の朝
月曜の朝、役所の登記所にはいつも通りの静寂があった。だがその日は、妙な違和感が空気の中に漂っていた。古びた蛍光灯の下で、何かがずれている気配をシンドウは感じ取っていた。
一通の電話がすべての始まり
その違和感は、一本の電話で確信に変わった。受話器の向こうから聞こえた女性の声は震えていた。「先生、登記が、仮登記が…消えているんです」──その言葉は、平穏を破るには十分だった。
不穏な依頼人
女の名はミヤケカナコ
依頼人はミヤケカナコ。細身のスーツをきっちり着こなし、目元に緊張がにじんでいた。差し出された登記事項証明書には、確かに仮登記の記載がなかった。いや、それだけでなく──跡形もない。
消えた仮登記の謎を追う
普通、仮登記が消えることなどない。抹消されたならその旨の記録が残る。しかしこれは、はじめからなかったかのような扱いだ。登記所のシステム上のミスか? それとも意図的な抹消か?
調査開始
登記事項証明書に残された違和感
シンドウは証明書をじっと見つめた。あるべき欄が不自然に空白だ。微妙にフォントの揃い方もおかしい。事務所に戻ると、過去に取得した写しと比較し、その違いに目を細めた。
不動産業者の証言と矛盾
不動産業者のオヤジは、のらりくらりとはぐらかす。「仮登記? いやあ、そんなもんあったっけな」──その態度はあまりにも不自然だった。だが彼の机には、見覚えのある朱肉の跡が残っていた。
サトウさんの鋭い指摘
書類の書式が変だと言う
「先生、これ……この様式、去年のじゃありません」ファイルを指差すサトウさんの目は鋭い。「今年からこの書式、レイアウト変わってるんです。だから、この証明書は新しく作られた偽物です」
公図と地積測量図の不一致
さらに彼女は古い地積測量図と公図を並べ、「ここ、境界が違いますよ」と冷静に言った。確かに一本の細道が、まるであとから描き足されたような不自然さで地図に現れていた。
手がかりは昔の登記簿に
昭和の筆界が呼ぶ影
調査のため、登記所の地下保管室に足を運ぶ。埃をかぶった昭和50年代の登記簿をめくると、そこには「仮登記あり」の記載と、不可解な訂正印の跡が残されていた。誰が、いつ、何のために訂正したのか。
土地家屋調査士の過去の失敗
地元のベテラン土地家屋調査士が語った。「あの時、ミスがあったんだよ。仮登記の番号を二つ入れ違えてさ。役所に言ったけど、結局うやむやにされた」──それは、消された仮登記の伏線だった。
シンドウの過去と重なる影
元野球部時代の後輩の名前
調査士の名を聞いた瞬間、記憶が蘇った。中学時代の野球部で後輩だった男の名前だ。あの頃はまっすぐだった彼が、こんな形で関わっているとは思わなかった。
あのときの一筆が今を繋ぐ
「確か、あいつ、あの土地の隣に住んでたな……」とシンドウは呟く。思い出したのは、練習帰りにふざけて書いた隣地の筆界線。まさか、それが今の証拠につながるとは思いもしなかった。
サトウさんの独断行動
事務所に届いた封筒の謎
シンドウが戻ると、事務所には一通の茶封筒が届いていた。「先生、これ、今朝ポストに入ってました。差出人は……故人ですよ」サトウさんの声が少し震えていた。
差出人は故人の名前だった
封を開けると、中には仮登記の原本コピーと訂正箇所の証拠。しかも、その筆跡は、既に亡くなったとされる土地所有者のものだった。まるで、死者が証言したかのようだった。
犯人の正体
仮登記を消した理由
仮登記を消したのは、不動産業者と調査士の共謀だった。仮登記の存在が土地売買の妨げになっていたため、書式を偽造して削除し、役所に訂正を依頼したのだ。目的は転売による巨額の利益だった。
背景にある遺産争いの闇
土地の本来の相続人は、ミヤケカナコだった。しかし、それを隠すために登記を塗り替え、遺産を奪おうとした者がいた。証拠はすべて、サトウさんが封筒の中に見つけた一通のメモにあった。
解決編
シンドウの読みが的中する
シンドウは法務局に出向き、封筒の中の資料と登記簿の訂正履歴を突き合わせた。担当官も顔色を変える。訂正の正当性はなく、調査士と業者に対する告発が正式に受理された。
真実は地元の過去に眠っていた
結局、仮登記は正式な手続きによって復元され、土地はミヤケカナコのもとに戻った。地元の因縁と不正は、昭和の埃とともに掘り返され、ようやく決着を迎えたのだった。
エピローグ
静かな午後とコーヒーの香り
事務所の午後、サトウさんが入れたコーヒーの香りが漂う中、シンドウは一息ついた。「サザエさんの波平さんばりに、毛が逆立つ事件だったな」とひとり言ち、椅子にもたれた。
やれやれ今日も事件が終わった
「やれやれ、、、」シンドウは目を閉じた。大したことはしていないと思っていたが、過去と現在をつなぐ一手になったことは、少しだけ誇らしかった。事件は終わった。だが日常は、また戻ってくる。