地図から消えた一族
あの日、事務所のドアがきしんだ音を立てて開いた瞬間から、何かが始まっていたのだろう。夏の午後、冷房の効きが悪い室内に、男の影が差し込んできた。中年の男が深々と頭を下げ、封筒を差し出してきた。
「この土地、どこにも登記がないんです」と、男は言った。封筒の中には、黄ばんだ手書きの地図と、破れかけた家系図が入っていた。
奇妙な相談者が事務所にやってきた
男の名はサエキといった。聞けば、父の死後に見つかった家系図と土地に関する書類を見て、どうにも気になったという。問題の土地は山間部にあり、隣人も誰もいないような場所だった。
「固定資産税も来ないし、誰のものかもわからない。でも気味が悪いんです。何か隠れている気がして…」と、彼は言った。
境界線の向こうに広がる謎
事務員のサトウさんが、淡々と固定資産課や法務局に電話を入れはじめた。ぼくはその間、家系図を眺めていたが、どうにも枝が途中で切れていたり、書き足されたような跡がある。
境界の地図も妙だった。ある地点を境に、地番が一切振られていない。「地図混乱区域か、昔の山林のままか…」ぼくは頭を掻いた。
一枚の古い登記簿
法務局の資料室で古い登記簿を閲覧したとき、サトウさんがふっと声を上げた。「ここです。この番地、昭和十五年に抹消されてます」
理由は「合筆」とだけ記されていたが、合筆先の情報が消えている。まるで誰かが故意に痕跡を消したような。
相続人が存在しない土地
調査を進めるうちに、サエキ家の本家は昭和の初めに一家心中をしており、法定相続人がいないことがわかった。だがその後、どこかのタイミングで土地は誰かの名義になり、それも抹消されている。
登記簿の空白、家系図の不自然さ、そして地元の人々の沈黙。これはただの登記ミスではない。
サトウさんの冷静な推理
「本家の相続が終わっていない土地に、誰かが勝手に建てた別荘がある。そこに泊まった人が何人も気分を悪くして帰ってる。全部、土地の“呪い”のせいにされてますけど……」
サトウさんはメガネを押し上げて言った。「本当に呪われているのは、事実を知ってる誰かが、真実を隠すために口を閉ざしていることですよ」
やれやれ俺はただの司法書士なんだけど
まったく、どうしてこうも面倒なことばかり起きるのか。ぼくは机の上で資料をひっくり返しながら、小さくつぶやいた。
「やれやれ、、、幽霊よりも生きてる人間のほうがよっぽど怖いな」
姿を消した旧家の跡取り
旧家の次男だった人物が、どうやら昭和の末期に土地を密かに売却していた形跡がある。しかし売却先の名義が見つからない。
調べていくと、売却先の住所は架空だった。そして、そこに記された印鑑証明は偽造だった可能性が高い。
遺産の陰に隠された真実
調査を進めるうち、驚くべき事実が明らかになった。旧家の親族の一人が、他の相続人になりすまして書類を作成し、自分の名義にしていたのだ。
問題は、その登記が「嘱託によらず」抹消されていたこと。つまり誰かが裏から手を回して記録を消していた。
家系図と手書きの地図
サエキ氏が持ち込んだ手書きの地図と、登記簿上の位置を照合したところ、隠し通路のような山道が存在することがわかった。
その道は今では木に覆われていたが、昔は本家から隠れるようにして通っていたらしい。家系図の“欠落”の理由が見えてきた。
地主会の不自然な証言
地元の地主会に話を聞きに行くと、皆一様に「その土地のことは知らない」と口を閉ざした。中には明らかに目を逸らす者もいた。
「知っているけど話せない」そんな空気があった。ぼくらは地元の噂と記録から、少しずつ点を線に変えていった。
土地は誰のものか
最終的に、その土地は誰の名義でもなく、登記簿からも削除された“地図にない土地”として存在していた。だが、所有権がないわけではなかった。
失踪した跡取りの戸籍を調査することで、相続人の一人が特定できた。今は地方で農業をしている人物だった。
昔話のなかの嘘と本当
地元の語り部の老人がふと口にした。「あの家は呪われとるんじゃ。昔、人殺しがあったんじゃ」
それが真実かどうかは、記録には残っていない。ただ、その土地にまつわる“不気味さ”は、人の記憶と共に生き続けていた。
夜の山中に眠る境界杭
境界の確認のため、夜に山へ入った。サトウさんは懐中電灯を持ち、無言で先を歩く。やがて苔むした境界杭が、地面に突き刺さっているのを見つけた。
その杭が示していたのは、地図から消えた一族の真の領地だった。誰にも気づかれず、誰にも継がれず、ただそこにあった。
サトウさんの一撃で謎が解ける
「これ、旧民法時代の遺産分割が関係してますね。当時の慣習と判例を照らせば、名義移転が成立しなかった理由がわかります」
彼女の説明に、ぼくは何度もうなずいた。法的には複雑だが、筋は通った。あとはそれを整理して、依頼者に説明するだけだった。
あとは登記だけだという虚しさ
こうして謎は解けた。だが心のどこかに、奇妙な空白が残った。誰の記憶にも残されない土地、継がれなかった血筋、そして消された過去。
司法書士という仕事は、そういう「忘れられたもの」を拾い上げる仕事なのかもしれない。
それでも明日は仕事がある
翌朝、事務所には新たな依頼者が来ていた。ぼくは首を鳴らして、コーヒーを啜りながら椅子に座った。
「サトウさん、次はどんな地獄ですかね」
「離婚と信託のご相談です」
「やれやれ、、、」