朝の来訪者
いつもより少しだけ早く事務所に着いた朝、コーヒーを淹れた直後にチャイムが鳴った。ドアの外には、黒い帽子を深くかぶった中年の男が立っていた。無言で差し出された登記簿の写しには、見慣れない名前が記されていた。
名乗らない依頼人
男は名を明かさず、ただ一言「これを調べてほしい」とだけ言った。しかもその態度はどこか演技めいており、まるで劇団ひとり芝居のような不自然さがあった。シンドウは警戒しつつも、その登記簿を机の上に広げた。
仮登記の謎を告げる声
写しには、仮登記として記載された所有者の名があったが、現在の登記簿にはその人物の痕跡は一切なかった。まるで一度現れて、跡形もなく消えた幽霊のようだった。「この仮登記、何かがおかしい」と、男は小声で呟いた。
シンドウの違和感
一見、形式上は整っていた。しかし、その仮登記の設定日は現所有者の死亡日よりも前になっていた。これは偶然にしては不自然すぎる。「普通、登記ってこんな流れで消えるか?」とシンドウは眉をひそめた。
登記内容に潜む矛盾
さらに見ていくと、登記申請者の代理人欄に名前の記載がなかった。こんな初歩的なミスがあるはずがない。まるで、わざと空欄にしたかのような印象すら受けた。手書きの部分に筆跡の揺らぎも感じられた。
資料に現れた別人の名
土地の過去の資料を調べていくうちに、一枚の謄本にだけ「ナガタ ヒロユキ」という全く関係のない名が浮かび上がった。まるで名探偵コナンのトリックのように、脇役に見せかけたキーパーソンのようだった。
サトウさんの冷静な分析
「筆跡、これ全部同じ人ですね」
背後から低い声で告げられ、シンドウは驚いてコーヒーを吹き出しかけた。塩対応のサトウさんは、すでに数枚の書類を比較して筆跡の一致を見抜いていた。無表情のまま、淡々と指摘してくる。
同一筆跡の疑い
筆跡鑑定まではいかないが、明らかに癖字が一致していた。名前の「タ」の書き方に独特のクセがある。これは、一人の人間が複数の登記に関与した痕跡ではないか? 疑惑は深まった。
役所での過去の申請履歴
役所の台帳を調べると、過去にナガタと名乗る人物が同一地番に複数回関与していたことがわかった。しかも申請日は、まるで何かを隠すようなタイミングばかりだった。「この人、いったい何者ですかね」サトウさんが珍しく呟いた。
関係者への聞き込み
現地調査のため、登記上の旧所有者の家を訪ねた。応対したのは高齢の女性で、やや記憶が曖昧な様子だったが、何度か「ナガタ」という名前を繰り返していた。「あの人、よく手伝ってくれてたのよ」
元所有者の沈黙
だが、それ以上の情報は引き出せなかった。女性は、何かを恐れているようにも見えた。あるいは、誰かに口止めされているのか? シンドウは「カツオがやらかした時のフネさんみたいだ」と思いながら、無言で頭を下げた。
近隣住民の証言
さらに近所の住民に聞き込みを行うと、「ナガタさんは便利屋だった」との証言が複数得られた。その立場を利用し、家主から書類を預かったり、署名させたりしていたらしい。「それって、まさか……」とサトウさんの顔が強張った。
仮登記をめぐる過去の争い
過去にこの土地をめぐる遺産相続争いがあったことが判明した。正式な遺産分割協議が行われる前に、仮登記だけが先行していたのだ。それはまるで、怪盗キッドが予告状を出す前に宝石を持ち去るようなやり口だった。
隠された遺産分割協議書
紙の束の中から、破かれた協議書が見つかった。それは明らかに原本の一部で、日付や押印が改ざんされていた。「これ、偽造ですね」とサトウさんがさらりと告げた。やれやれ、、、また厄介なことになった。
消された印鑑証明の痕跡
偽造の証拠をさらに固めるため、役所に保存されていたコピーを確認したところ、原本には存在したはずの印影が消えていた。「これ、誰かが後からこすったな……」サトウさんがファイルを閉じた。
決定的な証拠の発見
男が最初に持ってきた封筒の裏に、小さな隠しポケットがあった。中には折り畳まれた契約書が挟まっており、それこそが事件の核心だった。サザエさんのエンディング曲のように、すべてが急展開で明らかになった。
封筒の中にあった契約書
契約書には、ナガタが「仮登記後に正式譲渡する」と記された手書きの念書が添えられていた。本人の署名と拇印、そして目撃者として旧所有者のサインまであった。もう、逃げられない証拠だった。
筆跡と印影の一致
念書に記された筆跡と、過去の申請書にあった筆跡が完全に一致していた。さらに印影も微妙な欠けまで同じ。「これで決まりですね」とサトウさんが言った。珍しく口元が少しだけ緩んだ。
依頼人の正体
再び事務所を訪れた依頼人に、証拠を突きつけた。「これで、あなたが仮登記を悪用して土地を奪おうとしたことが明らかになります」シンドウの言葉に、男は観念したように帽子を取った。
嘘を重ねた理由
男は、実の兄がこの土地を相続することに納得できず、母親を騙して仮登記の手続きを進めたのだという。「ただ、少しでも形見を残したかった」と、悔しそうに視線を落とした。
真の目的とは
彼の目的は金ではなかった。家族の記憶を、自分だけのものとして手元に残したかった。それだけだった。しかし手段が悪すぎた。登記制度は、想い出ではなく権利の証明なのだから。
シンドウの推理
今回の件は、「仮登記」の性質が悪用された典型だった。実体の伴わない登記は、必ず歪みを生む。いくら装っても、時間が経てばボロが出るものだ。正義は遅れてやってくる。いつも、サザエさんの時間帯みたいに。
不自然な登記時期の意味
仮登記が行われた時期、それは相続が未確定な期間だった。あえてその時期を狙い、手続きを進めた計画性は見事だが、詰めが甘かった。証拠を隠しきれなかった。
過去と現在をつなぐ仮登記
結局、仮登記は「過去の欲望」と「現在の嘘」をつなぐ一本の糸だった。そして、その糸を手繰った先に、真実がぶら下がっていた。それを解いたのは、司法書士とその事務員だった。
事件の終息
男には、正式な登記取消と和解を勧めた。刑事事件にはせず、民事での処理にとどめるよう遺族とも調整した。司法書士にできるのはそこまでだ。あとは、当事者たちの気持ち次第。
修正登記と和解の提案
正規の相続人の登記がなされ、仮登記は抹消された。土地は本来の手に戻り、依頼人も書面での謝罪を提出した。争いの火種は消えたが、残された記憶は消えない。
遺された者たちの選択
母の遺影の前で、兄弟は無言で並んだ。言葉にできない想いが、夏の蝉の声にかき消されていった。仮登記は消えても、家族の記憶は記録として残る。それが登記簿のもうひとつの顔かもしれない。
やれやれまたこんな朝か
翌朝、シンドウはいつものようにコーヒーを淹れた。椅子に腰を沈めると、天井を見上げてひとり呟いた。「やれやれ、、、結局、俺は便利屋か」
コーヒー片手にため息を
「登記簿って、人生そのものだよな……」
コーヒーの湯気の向こうで、シンドウは独り言を続けた。そこにサトウさんが現れ、目も合わせずに書類を机に置く。
サトウさんの無言の一瞥
「次の相談、もう来てますよ」
塩対応の言葉とともに、サトウさんは淡々と業務に戻った。シンドウは目を閉じ、短く深いため息をついた。