午前八時の来訪者
眠れぬ朝と鳴るチャイム
僕が事務所のソファでうたた寝していたところに、ピンポンとけたたましいチャイムが鳴り響いた。起きた瞬間、首がゴキッと音を立てた。やれやれ、、、寝違えたらしい。
ドアの向こうには、ネクタイの締まりすぎた中年男性が立っていた。名刺には「佐原総一郎」とあり、その眉間には深い皺が刻まれていた。
依頼人は三代目
祖父母の家に潜む影
佐原氏の話によると、祖父が亡くなった後に父が相続せず、そのまま放置された土地の名義を自分に移したいとのことだった。昭和の香りが漂う、山のふもとの古民家だという。
しかし、その土地にはなぜか第三者名義の登記がされていた。「うちの家系で、他人に譲った記憶なんてないんです」と彼は言う。
封印された遺産の謎
相続関係説明図に現れぬ名前
資料をもとに数次相続の関係説明図を作成してみると、確かに不自然な点があった。父が亡くなった時点で相続人は母と依頼人のはずなのに、登記には見知らぬ名義人の名前が記されていた。
その名義人「石橋時男」は戸籍にも記載されていない。もしかして、父が生前に何らかの処分をしたのか――。
途切れた家系図
名も知らぬ兄弟と転籍の記録
サトウさんが調べた結果、戦後すぐに転籍した人物がいたことがわかった。「佐原総一郎さんのお父様には、異母兄弟がいたようですね」と彼女はクールに告げる。
それが石橋時男である可能性が浮上した。まるで昔のサザエさんで“波平の兄貴”が突然現れる回のようだ、と内心で僕は思った。
戸籍の海に沈んだ相続人
昭和の終わりに消えた人物
戸籍の除籍簿から、石橋時男は昭和五十年代に失踪届が出されていたことがわかった。届け出たのは彼の妻。彼の存在は法律的には死亡とみなされるが、その確定には失踪宣告が必要だった。
しかし、そんな宣告記録も登記の前提も存在しない。いったい、誰がこの登記を動かしたのか。
登記簿に残された違和感
一筆書きでは届かない継承
登記簿には、所有権の移転理由として「相続」と書かれていた。しかし、そこには必要な相続人の同意や申述がまったくなかった。つまり、法的に無効な手続きの痕跡だった。
しかもその登記がされたのは、ちょうど石橋時男の失踪が報道された数週間後。タイミングがあまりに出来すぎている。
サトウさんの冷静な推理
断絶点は意図的に作られた
「たぶん、意図的に“相続の断絶”を装ったんでしょうね」と、サトウさんがプリンターに書類を送りながら言った。
「戸籍が追えない=相続できない、と思わせれば、他の親族を排除できる。誰かがそれを狙ったんでしょう」
なるほど。僕は思わず、元野球部の感覚で言えば“送りバントで点を盗られた”ような気分になった。
やれやれ事件の香りがしてきた
司法書士としてではなく探偵として
「司法書士の仕事のはずなのに、なんで俺はいつもこんなことばっかり……やれやれ、、、」
僕は溜息をつきながら、件の登記を申請した司法書士事務所の所在地を確認した。そこには、すでに廃業した事務所の名があった。
しかし、同じ住所に別名義で登記業務を続ける人物がいた。これは偶然か、それとも。
ひとつの遺言とふたつの影
封筒に込められた意思
佐原氏が持ち出してきた古い封筒。中には昭和五十年の日付で書かれた自筆証書遺言が入っていた。差出人は石橋時男、宛先は異母弟である佐原の父だった。
内容は簡素だったが、財産はすべて父に譲ると書かれていた。つまり、石橋は自分の死を予期していた可能性がある。
断たれた鎖をつなぐもの
最後の相続人に辿り着く鍵
石橋の妻はすでに他界しており、子もなかった。となれば、遺産は父を経由して佐原氏に届くはずだった。
サトウさんが見つけたのは、古い家庭裁判所の調停記録。そこには、相続放棄を撤回した旨が記されていた。何者かが故意に無視していたのだ。
そして誰も名義を持たなかった
法の盲点が招いた空白
真相は、相続の流れの中で一人ひとりが“少しずつ”目をつぶったことだった。形式だけが整い、実態のない継承が積み重なった結果がこの土地だった。
「結局、誰もこの土地を“持ってなかった”んですよ」
僕は苦笑しながら佐原氏に登記申請の正しい手続きを案内した。
登記完了のその先に
継がれぬ想いとひとつの答え
手続きが完了した数日後、佐原氏が事務所に土産を持って現れた。「これでようやく祖父の家を直せます」と、彼はほっとしたように笑っていた。
僕はそれを見て、心の奥に少しだけ温かいものを感じた。継がれるのは財産だけじゃない、記憶や想いもまた、誰かに引き継がれていくのだ。
やれやれ、、、たまにはこんな結末も悪くない。