雨音と旧い依頼
閉じられたファイルとひとつの疑問
昼過ぎの事務所に、じとっとした湿気が充満していた。そんな中、ポストに落ちる音がひときわ重く響いた。届いた封筒には、古びた筆跡で俺の名前が書かれている。
封を切ると、中には十五年前の契約書の写しと、短い手紙が入っていた。「真実を証明してほしい」とだけ書かれていた。だが、その真実がどこにあるのか、まだ何も見えない。
俺はソファにもたれかかり、天井を見上げた。思い出したのは、当時の不動産登記の案件。たしか、どこか腑に落ちない内容だった気がする。
十五年前の契約書
そこに記された矛盾
契約書の写しはやけに綺麗に保管されていた。ただ、問題はそこに記された「契約日」だ。印字の上に二重線が引かれ、手書きで修正されていた。
「これ、わざとかもしれませんね」とサトウさんがぼそりと言う。まるで警部補みたいな冷静さで。俺の頭に浮かんだのは、コナンくんのあの決め台詞だった。「真実はいつもひとつ」とか言ってみたいもんだ。
でも現実の俺は、コナンくんどころか、ノリスケさんの方に近い気がして、やれやれ、、、と呟かざるを得なかった。
依頼人の影
隠された登記の意図
登記内容を見返していると、奇妙な点が浮かび上がる。本来の所有権移転が、なぜか完了していなかったのだ。しかも当事者は数年前に亡くなっている。
それなのに、最近その物件に誰かが出入りしているという情報がある。過去の書類が関係しているのか、それとも別の理由か。
俺は資料をまとめながら、ふと胸騒ぎを覚えた。この話、ただの登記ミスでは終わらなさそうだ。
名義の裏にある真実
登記記録と失われた居住者
近隣住民の話では、夜になると見知らぬ男が懐中電灯を持って空き家をうろついていたらしい。警察沙汰にはならなかったが、不気味な話ではある。
俺の経験上、そういうときこそ何かが隠されている。空き家にまつわる登記不備は、たいてい誰かが得をする構造になっているのだ。
しかも今回の物件は角地で、将来的に土地の評価も高くなる。思い出した。あのときの依頼人は、物件に何か執着していたように見えた。
過去の証言
近隣住民が語る夜の訪問者
「五日くらい前にも見たよ、あの人。毎晩同じ時間に来てる。顔はよく見えなかったけど、スーツ姿だったね」と老婦人が語った。
まるで怪盗キッドのように現れては消えるその人物。だが、盗むのは宝石ではなく、過去の記憶と権利だったのかもしれない。
俺は、ふとその家に足を踏み入れてみたくなった。何か見落としている気がしてならなかった。
隠された日付のトリック
原本と写しの微妙な差
遺族の協力を得て、書類が保管されている実家の倉庫を探した。そこで見つけた原本には、修正の痕跡すらなく、まったく別の日付が記載されていた。
「この日付が本物なら、時効はまだ成立してませんね」とサトウさん。俺は思わず彼女を見る。彼女の目にはわずかな怒りと、冷たい正義が宿っていた。
それは、俺のような凡人が何年もかけてようやくたどり着く境地を、さらりと越えていく者の目だった。
時計の針は動いていた
時効成立の壁を越えるもの
その原本を元に、俺たちは登記を阻止するための訴えを起こした。裁判所は証拠の信ぴょう性を認め、時効の成立を否定した。
依頼人は、無言で深く頭を下げた。そして「母の思い出を、誰にも奪われたくなかった」とだけ言った。
ああ、やっぱり人は物ではなく、記憶のために戦うんだと改めて思った。
交錯する動機
なぜ隠されたのか
一連の流れをたどると、どうやら当時の共有者の一人が意図的に登記手続きを遅らせ、時効取得を狙っていたらしい。それもまた法律の裏を突いた「合法的な侵略」だった。
彼の行動は巧妙だった。記録には残らないよう、すべて手紙と口約束で進めていたのだ。それが今回の契約書によって崩れた。
サトウさんは淡々と「誰よりも賢い人が、たまに一番浅はかなんですよ」と言った。言葉に刃があった。
結末と法の光
依頼人の正体と最後の証明
依頼人の正体は、十五年前に俺が担当したあの依頼者の息子だった。彼はまだ若かったが、言葉の端々に誠意がにじんでいた。
「父はもういません。でも、この家を守りたかったんです」。その言葉を聞いて、俺は少しだけ重い荷物を下ろした気がした。
俺はただの司法書士だ。事件を解決する探偵じゃない。だが、こうして誰かの記憶を守る手伝いができたなら、それでいい。
そして今日も書類に埋もれる
雨は止みそうにない
事務所に戻ると、机の上には次の案件が積まれていた。サトウさんは黙って書類をトントンと揃えると、そっと湯呑みを置いた。
「明日も忙しくなりそうですね」。その言葉に、俺は天井を見上げて深く息を吐いた。「やれやれ、、、晴れ間はいつ来るんだか」。
雨音はまだ止まない。でも、この仕事に晴れの日なんて、最初からなかったのかもしれない。