訪ねてきたのは無口な依頼人だった
朝一番、まだコーヒーも淹れ終わっていないうちに、ひとりの男性が事務所を訪ねてきた。
黒っぽいスーツにネクタイをきつく締め、まるで通夜帰りのような顔をしている。
名刺を差し出す手も震えていて、その緊張がこちらにも伝わってきた。
登記名義の変更を依頼されたが手続きは不可解だった
依頼は、亡くなった叔父の不動産について、自分名義にしたいというものだった。
戸籍や遺産分割協議書は揃っている。しかし、なぜかその物件の所在地が微妙に食い違っている。
私が指摘すると、彼は「間違いない」と言い張るだけで、根拠を示さなかった。
古びた登記簿が示した違和感の正体
法務局から取り寄せた閉鎖登記簿の謄本には、昭和時代の所有者変更が妙に多かった。
まるで何かを隠すかのように短期間で売買が繰り返されている。
だが、どの名義変更にも「正当な原因」が添えられていた。不自然だが、法的には整っている。
サトウさんの一言で見えてきた不一致
「これ、どう考えても相続じゃなくて、誰かに戻してるだけですよ」
隣の席から、サトウさんがぼそりと言った。
彼女の推理には、たまにコナンくんもびっくりしそうな瞬間がある。
申請書類に記された日付に隠された嘘
提出された協議書の日付と、被相続人の死亡日が数日ずれていた。
通常は死亡後すぐに協議されることが多いが、これはあまりに早すぎる。
まるで、死亡を知っていたかのように準備されていた印象を受けた。
名義変更の裏に潜む動機を探る
調べてみると、叔父とされる人物は十年前に一度、競売にかけられそうになっていた。
その際、物件は他人名義に一時的に移されていた経緯がある。
つまり、相続ではなく“戻す”ための書類が再利用された可能性が浮上した。
亡くなった前所有者の過去
地元の役所で少し突っ込んで尋ねると、思わぬ情報が得られた。
亡くなった人物は地元では“土地転がし”として有名だったらしい。
誰かに貸し、戻し、また貸すという手口で、巧みに名義を動かしていたようだ。
昔の所有権移転にまつわるある証言
「ええ、あの家なら何度も持ち主が変わったって話ですよ」
近所の古道具屋の主人が言った。
「最後は誰が住んでたのか、もう誰も知らないんじゃないですかねえ」
近所の住民が語った奇妙な噂
別の住民は「夜な夜な誰かが灯りをつけていた」と話した。
だが、電気契約はとっくに切られていたとされており、真偽は不明だった。
まるで怪盗キッドが一晩で屋敷の中を模様替えするような、現実離れした話だった。
やけに詳しい相続人の言動
依頼人は、登記簿の記載や過去の移転履歴について尋ねると、妙に詳しかった。
「調べたんです」と言い訳していたが、説明の仕方が実務家そのものだった。
司法書士が読むような行間を彼も読み解いているようだった。
なぜ彼は登記の詳細を把握していたのか
不審に思い、司法書士会の名簿を調べたが、彼の名前はなかった。
だが、研修を途中で辞めた元補助者として記録に残っていた。
やはり、彼は素人ではなかったのだ。
事務所に残されたメモが示す真実
後日、彼が置いていった封筒の中に、古い委任状の写しが見つかった。
その筆跡は、今回の協議書のものと酷似していた。
過去の書類を使い回して、名義を戻そうとしていたのだ。
登記情報に潜んでいた改ざんの痕跡
数枚の登記済証を精査してみると、印影が不自然に鮮明だった。
押印された印鑑は、同じ角度、同じ圧力で押されたように見える。
これは、スキャナかスタンプ印影を使った偽造の可能性が高い。
筆跡と印影の不自然な一致
筆跡鑑定まではできなかったが、コピーを重ねるとぴたりと一致した。
「どう見ても、同じ人が書いて同じ印鑑押してるでしょ」とサトウさん。
やれやれ、、、こっちは本物とにらめっこで目がしょぼしょぼだ。
司法書士の勘が導く手続きのほころび
最終的には、保存文書の番号と時期の不整合により、申請は却下となった。
彼の「戻し」の計画は、僅かな違和感とサトウさんの勘の良さで崩れた。
書類は完璧に見えても、ちょっとした「におい」は隠せないものだ。
決定的証拠は保存された謄本にあった
古い閉鎖登記簿の一部に、謄写ミスで訂正された記録があった。
そこには、依頼人の父親が一時的に所有していた記録が残っていたのだ。
これが“戻し”の事実を裏付ける決定打となった。
何気ない1枚が語る矛盾
本当に何気ない1枚だった。紙の色も黄ばんでいた。
だがその1枚が、他のすべての書類を嘘に変えた。
「紙一枚が人の欲を暴くって、皮肉なもんですね」とサトウさん。
法務局の備え付け台帳との比較
法務局の備え付け台帳には、訂正印が押された箇所があった。
これは写しでは見えない部分だったが、原本を確認して矛盾が確定した。
まさに探偵漫画の「原本確認オチ」さながらの逆転劇だった。
サトウさんは今日も塩対応だった
「だから最初から言ったじゃないですか、怪しいって」
事務所に戻ると、サトウさんはお茶を淹れながらそう言った。
その背中からは、少しだけ誇らしげな空気が漂っていた。
「最初からおかしいと思ってました」
口調は冷たいが、言っていることは正しい。
彼女の鋭さがなければ、私はあの書類を通していたかもしれない。
冷たくても、信頼できる。これがサトウさんの魅力だろう。
事件解決後の空っぽな事務所
夕方、依頼人から謝罪のメールが届いた。
法に触れる前に止められてよかった、とだけ書かれていた。
私は一息ついて、静まり返った事務所の空気を感じていた。
残された家と本当の相続人
調べ直すと、本来の相続人は遠い親戚の女性だった。
彼女は「こんなもの、いりません」と言ったが、相続登記だけは進めた。
これで、ようやく“正しい形”に戻ったと言えるだろう。
意志を継ぐということの意味
家を守るとは、ただの相続ではない。
そこに住まなくても、放置せず、責任を持つことだ。
それが登記簿に残る“最後の意志”なのだと、改めて思った。
故人の声が登記簿の中に宿っていた
登記簿は黙っている。だが、すべてを記録している。
その記録を読むことが、司法書士の仕事なのだろう。
そして今日も私は、また一冊、登記簿を開く。