誰かの一言で救われる日を待っている
司法書士として働いていると、どうしても人に頼ることが難しくなる。「先生」と呼ばれる仕事柄、こちらが弱音を吐く場面なんてあってはならないような雰囲気がある。だけど、そんなことはない。たまにはただ「大丈夫?」と誰かに聞いてもらえるだけで、心が少し軽くなることだってある。誰かの何気ない一言でふっと肩の力が抜けるような、そんな瞬間を待っている自分に気づく日がある。
朝の机に向かう前にふと立ち止まる瞬間
朝、事務所のドアを開ける前に一度立ち止まる。鍵を差し込む手が止まるあの一瞬に、「今日もやりきれるだろうか」という不安がよぎる。毎日がルーティンのようでいて、まったく同じ日は一日たりともない。司法書士の仕事は、想定外との闘いだ。そんな日はコーヒーを淹れて、深呼吸をすることから始める。
コーヒーを飲みながら考える今日のタスク
誰に頼まれたわけでもないのに、つい引き受けてしまう仕事がある。「あの人、困ってそうだったから」と思って引き受けた案件が、気づけば自分の首を絞めていることもある。デスクの上に積まれた書類の山。その向こうにはクライアントの顔が浮かぶけれど、感謝の言葉よりも「まだですか?」の一言のほうが圧倒的に多いのが現実だ。
書類の山の向こうにいる誰かの期待とプレッシャー
どれだけ頑張っても「ありがとう」と言われることは稀で、むしろ「遅い」と責められる。なのに、また同じように全力でやってしまう。まるで無限ループだ。でも、あの日ふと「先生、ありがとうございます」と言われたあの一言だけで、数日は頑張れたことも確かだったりするから、厄介だ。
今日もまた電話に怯える
事務所の電話が鳴ると、無意識に肩がビクッとする。鳴るたびに「あの件かな?」「何かトラブルか?」と考えてしまう。慣れれば平気になるなんて、誰が言ったんだろう。もう十年以上この仕事をしてるけど、電話の音には一向に慣れない。そんな自分に少し嫌気がさす。
鳴るたびに心拍が上がるのは慣れない
特に午後一番の電話は要注意だ。午前中に積み上がった不安の種が、午後には芽を出してしまう。相手が名乗るまでの数秒で、脳内はフル回転する。可能性を全部洗い出して、最悪の事態に備える。それでも的外れな内容だった時の脱力感といったらない。
クレームよりも無言の沈黙が一番怖い
「……」という沈黙の時間が、心を一番えぐる。「あの、もしもし?」とこちらから促しても、向こうが何か考えている間の空白。その間に、こちらは勝手に「何かまずいことしたかな」「書類、ミスあったかも」と妄想を膨らませてしまう。結局、ただの確認電話だったとわかった時の疲労感。体力じゃなく、心が摩耗していく。
相談される側にも限界がある
司法書士という立場柄、相談されることは多い。それ自体が嫌なわけじゃない。むしろ頼られていると感じる瞬間でもある。でも、それが一日に何件も続けば、どんな人間でも摩耗する。「この人のために」と思える気持ちを維持するには、正直、かなりのエネルギーが必要だ。
頼られることがありがたいと感じたのはいつまでか
開業当初は、「こんな僕でも役に立てるんだ」と素直にうれしかった。でも、数年経つと、その気持ちが少しずつ薄れてきた。毎日同じような相談、同じようなトラブル。こっちの体力や気力のことは誰も気にしてくれない。こっちが疲れている時ほど、なぜか相談は増える。
愚痴を聞く余裕なんてこちらにはない日もある
「人の話をちゃんと聞ける人になりなさい」と育てられてきた。でも、それが限界を超えると、まるで自分がゴミ箱のように扱われているような感覚になる。こちらも人間だ。聞くのが辛い日もある。それでも「聞かなきゃ」という義務感に縛られて、無理をしてしまう。
誰かに大丈夫と聞かれることの救い
ある日、事務員さんにふと「先生、顔色悪いですけど大丈夫ですか?」と言われたことがある。たったそれだけの言葉なのに、なぜか泣きそうになった。誰かに気づいてもらえた、というだけで、救われる気持ちになることがある。自分が思っているよりも、人は言葉に支えられて生きている。
自分の中のSOSを見つける難しさ
自分の不調に、自分で気づくのは難しい。むしろ気づいても無視してしまうことが多い。「まだやれる」「これぐらいなら大丈夫」と、自分に嘘をつきながら、無理を重ねてしまう。そんな時こそ、他人の一言が大きな意味を持つ。だからこそ、「大丈夫?」の一言が、魔法のように効く。
優しさに鈍感にならないようにしたい
仕事に追われ、人間関係に疲れ、余裕がなくなると、優しさに気づく感度も下がってしまう。ふと差し出されたお茶、何気ない「寒くないですか?」の声掛け。そういった小さな気遣いを、ちゃんと受け取れる自分でいたい。誰かの一言で救われることがあるように、自分の一言が誰かを救うこともあるのだから。