奇妙な静けさの始まり
夏の午後、蝉の声だけが聞こえる事務所にひとり。今日は久しぶりの完全オフ。だけど、つい癖でパソコンを立ち上げてしまう。
机の上には処理しきれなかった登記書類の山。アイスコーヒーの氷が溶けていく音がやけに耳に残る。
せめて午後はのんびり過ごそうと思っていたその時、事務所のチャイムが不意に鳴った。
書類の山とアイスコーヒー
やれやれ、、、休日くらいは事務所に来ないようにしてるのに、つい整理しようと思って座ってしまう。片付けても片付けても減らない。
ふと手が止まる。手元の書類のひとつが、何かひっかかる。けれど考えるのも面倒で、コーヒーを飲んで一息ついた。
そんなとき、チャイムの音がした。誰だ、休日の午後三時に。
休日なのに鳴るチャイム
インターホンを覗くと、見覚えのない男が立っている。スーツ姿で、季節外れのマフラーを巻いていた。
妙な既視感を覚えたが、客商売の性か、つい「どうぞ」と招き入れてしまった。
彼は深く頭を下げると、茶封筒を差し出した。
知らない男の依頼
茶封筒の中には、登記識別情報通知と古い委任状。差出人は知らない名前だった。
依頼内容は「この土地の所有者を調べて欲しい」とのこと。ただ、それだけなら司法書士でなくてもいい。
男はあまり多くを語らず、ただ「調べてくれればいい」とだけ言って帰っていった。
封筒に書かれた旧字体の名前
封筒の宛名は、明らかに旧い書き方だった。今ではまず使われないような漢字が使われている。
まるで昭和の登記簿をそのまま持ち出してきたような感覚。登記情報を閲覧してみると、不思議なことにその名義人は現在も「存命」扱いだった。
しかし、調べてもその人間の足取りは十年以上も確認できていない。
過去の登記と現在の謎
登記簿の履歴を辿ると、その土地は一度も移転されていなかった。仮登記のまま放置されていた。
仮登記を入れた司法書士の名前を調べてみたが、すでに他界しており、詳細な記録も残っていない。
まるで意図的に隠されているかのような空白が、登記の歴史にぽっかりと口を開けていた。
サトウさんの冷たい推理
仕方なく、休日でも連絡がつく唯一の部下、サトウさんに電話をかけた。すぐに出たが、第一声は「なんですか?」だった。
事情を話すと、彼女は一言。「依頼人の身元、調べたんですか?」と冷静に言った。
やれやれ、、、こっちは休みだってのに、全く容赦がない。
「で、何がしたいんですか」
「その土地、今誰も住んでないんですよね? つまり、空家。それで依頼人は『誰が所有しているか知りたい』って、目的が曖昧です」
サトウさんの分析は、相変わらず鋭い。「もしかして、相続関係に絡んでる可能性ありますよ」
彼女の言葉を聞いて、僕はようやく重い腰を上げて、地元の役所に問い合わせることにした。
印鑑証明の落とし穴
役所の職員も戸惑っていた。その土地の過去の持ち主には失踪宣告が出ていたが、正式な登記はされていなかった。
さらに調査を進めると、数年前に偽造された印鑑証明で、仮登記のまま売買契約が結ばれかけていた形跡があった。
どうやら、この訪問者はその証拠を掴むために、あえて僕を選んで来たようだ。
空白の期間と失踪届
失踪届は十年前に提出されていた。その頃にちょうど仮登記が入っていた。奇妙な一致。
その時点で登記を申請したのは「所有権移転の準備」だったらしい。けれど、移転は完了していなかった。
つまり、その登記は誰かが「失踪を前提に動いていた」可能性を示している。
十年前の仮登記の真実
司法書士の記録には、「本人確認は済んでいる」とだけある。しかし、印鑑証明も本人確認資料もコピーが一切残っていなかった。
つまり、それはすべて偽物だった可能性が高い。仮登記の後、真の所有者は二度と姿を現さなかった。
もしこれが計画的な犯行だとしたら、目的は「土地を一時的に押さえること」だったのかもしれない。
元所有者はどこへ消えたのか
失踪宣告された人物は、高齢で独居だったことが判明した。近隣住民の証言では、見知らぬ若い男と何度か言い争っていたらしい。
さらに、その男の特徴は……休日に訪ねてきた依頼人と一致していた。
僕の背中に、冷たい汗が伝った。
司法書士の休日は終わらない
こうして、僕の休日は事件に飲み込まれていくことになった。
サザエさんのように、日曜の終わりを笑って過ごす予定だったのに。
やれやれ、、、休みの日に限って、ろくなことが起きない。
やれやれ、、、また謎解きか
それでも、僕は司法書士としての責任感から、事件の核心に向かって調査を進めることにした。
依頼人の素性を洗い、過去の記録を引っ張り出し、誰よりも慎重に手を動かす。
いつの間にか、空は暗くなっていた。
サザエさんのエンディングのようにはいかない
テレビからは「じゃんけんぽん」という声が聞こえる。日曜の終わり、現実に引き戻される音。
だけど僕の仕事はまだ終わらない。むしろ、これからが本番だ。
司法書士の休日に、安息はないのかもしれない。
午後六時の結末
夕暮れの光の中、再びチャイムが鳴った。訪ねてきたのは、地元警察の刑事だった。
依頼人と思しき男が、不正登記の疑いで任意同行されたという。
ようやく、全ての点と点が線になった。
不在者財産管理人が語る最後の証言
以前その土地の不在者財産管理人だった老弁護士が語った。「あの土地は誰にも渡しちゃいけない、あれは罠だ」と。
所有者は実はすでに亡くなっており、それを知っていた人間が不正を画策していたのだ。
つまり、依頼人はその証拠を消すために、僕を利用しようとしていた。
登記簿の余白に残された名前
登記簿には、最後に訂正印が一つだけ押されていた。それは「シンドウ」の印鑑。
まさか、うっかり提出してしまった仮申請書類に僕自身の情報が混じっていたのだ。
やれやれ、、、最後に活躍したのか、やらかしたのか、もう分からない。