朝の郵便と一通の封筒
その朝、事務所に届いた郵便の束の中に、ひときわ古びた封筒があった。茶封筒で、宛名は手書き。だが差出人が書かれていない。不審と言えば不審だが、たまにあることだ。俺は特に気にも留めず、束の端に置いた。
だが、封筒の表紙をちらりと見たサトウさんの表情が、いつもの無関心から一瞬だけ変化したのを俺は見逃さなかった。「見覚えでもあるのか?」と聞いてみたが、返ってきたのは「ないですけど」と、塩対応。うーむ、これは一筋縄ではいかない予感がする。
机に置かれた差出人不明の手紙
昼過ぎ、封筒を開けると、そこには一枚の便箋と、古びた登記識別情報の通知書が入っていた。便箋には短く、「この土地の真実を知りたい。あなたなら覚えているはず」とだけ記されている。
一体誰が何を言いたいのか。土地の地番を確認すると、見覚えがあった。俺の高校時代の通学路にある、あの空き地だ。懐かしさと不安が入り混じる中、俺は通知書の記載を確認し始めた。
依頼人は二十年前の同級生
その日の夕方、一人の女性が事務所にやってきた。名乗った名前に、俺は思わず声を漏らした。「お前、あの時の……」
彼女は高校の同級生。控えめな性格で、卒業以来会っていなかった。その彼女が、例の封筒を送ったのだという。なんでも、亡き婚約者の遺品から見つけた封筒の中に、俺宛の書類が入っていたらしい。
初恋の記憶が開いた封筒
彼女が語る話は、俺の中に眠っていた記憶を揺り起こすものだった。高校三年の夏、図書室でそっと渡された小さな封筒。結局開けずにしまい込み、そのまま忘れていた初恋の記憶。
だが、その封筒が今、土地の謎とともに現れるなんて、まるで怪盗キッドの仕掛けた謎解きショーのようだ。やれやれ、、、俺は恋愛にも土地にも不器用すぎたらしい。
手紙に記された土地の名義
登記簿を調べると、土地の名義人は現在も彼女の婚約者のままだった。だが、そこには仮登記が付けられており、しかも仮登記の原因が“贈与”になっていた。しかも受贈者の名義が、なぜか俺の名前。
「これ、どういうことかわかりますか?」と聞かれたが、俺にもわからない。贈与の意思も登記の手続きも記憶にない。しかも、贈与契約書なども存在しないようだ。これは一筋縄ではいかない事件になりそうだ。
なぜその地番なのか
土地の地番を見て、サトウさんがふと呟いた。「この並び、変ですね。飛び番になってる」確かに、通常の連番から外れた一筆。まるでそこだけ意図的に隔離されたような構成だ。
俺の頭の中に、昔見たルパン三世の回がよぎる。美術館の構造が地図とずれている理由を探った銭形警部のような気分だ。とすれば、隠された“何か”がこの地番にある可能性もある。
封筒の裏にあった指紋
念のため封筒をもう一度確認すると、裏の糊付け部分にかすかな指紋が残っていた。知り合いの警察OBに画像を送り確認してもらうと、驚きの報告が返ってきた。「これ、失踪中の司法書士・伊丹のものだと思う」
伊丹――10年前、贈与登記にまつわる不正で業務停止処分を受け、その後姿を消した男。まさか、こいつが関わっていたのか?
消えた司法書士の謎
調べを進めると、彼が当時担当していた案件の中に、彼女の婚約者の名義変更があったことが判明した。だが、登記原因も書類も不自然に整理されており、どうにも胡散臭い。
伊丹は失踪直前、この土地に仮登記を行い、贈与の名目で俺を名義に乗せた。それは何かを隠すためだったのか?もしくは、何かの“保険”だったのか?
サトウさんの鋭いツッコミ
「これ、婚約者が残した封筒じゃないと思いますよ」サトウさんの一言に、俺も彼女も目を見開いた。「字が違うんです。過去の筆跡と。あと、この封筒、実は最近の紙ですね」
分析好きなサトウさんの観察眼はすごい。確かに、紙の質感や糊の匂いはやや新しい。となると――誰かが過去を装い、俺たちに何かを気付かせようとしている?
登記簿と恋文の暗号
調べ直すと、地番の並びに法則があることに気づいた。数字の末尾をアルファベットに置き換えると「AIKOKU」――愛国? いや、「愛告」か。初恋の告白を暗号にしているとすれば、これは彼女の婚約者の仕業ではない。
つまり、これはあの時開かなかった恋文が、登記簿の中に形を変えて隠されていたということだ。まったく、ロマンチストにもほどがある。
封筒の差出人が語る真実
封筒の送り主は、彼女の弟だった。兄の遺品からすべてを知り、姉に真実を伝える方法を探していたという。だが、ストレートに言えば拒絶されるかもしれない。だから、司法書士であり、当時の「初恋相手」である俺を使ったというわけだ。
まるで少年探偵団が仕掛ける小芝居のようなやり方だが、結果として俺は巻き込まれ、彼女も過去と向き合うことになった。
事件の幕引きと残された想い
土地は彼女の名義に正式に移し替えられた。仮登記は職権抹消。伊丹の行方は依然不明だが、彼が最期に贈与登記で“俺の名”を使った理由は――おそらく彼自身の淡い恋心だったのだろう。
やれやれ、、、恋愛と登記がこんな形で交差するとは。俺もまだまだ現役ってことか。
サトウさんの冷たいお茶とほのかな香り
事務所に戻ると、サトウさんが冷たいお茶を差し出してくれた。「お疲れでしたね」と無表情で言うが、どこかほんのり優しい香りがする。少しだけ、サザエさんで波平が見せる“照れ”のような気配を感じた。
この事務所にも、封筒に入らない想いが、静かに漂っているのかもしれない。
余談としての一件報告書
今回の事件、いや出来事は、正式な事件とは言えないかもしれない。だが、司法書士としてではなく、一人の人間として、記憶に残る案件だったことは間違いない。
封筒に眠る初恋は登記できない。それでも、確かにそこに“想い”はあった。それを誰かに残せたのなら、それも一つの解決なのだろう。