登記簿の頁が閉じた日

登記簿の頁が閉じた日

登記簿の頁が閉じた日

秋風が吹き始めた昼下がり、古びた貸金庫から見慣れない登記簿が持ち込まれた。依頼人は無口な中年男性で、話の要領を得なかったが、何かを隠しているのは明白だった。登記簿の表紙には、薄く擦れた墨文字で「明治三十七年 甲地番台帳」と記されていた。

古びた表紙に滲む違和感

貸金庫から現れた一冊の簿冊

重厚な皮表紙に包まれたその簿冊は、紙の匂いと埃をまとっていた。司法書士である僕の手には少々荷が重い代物だ。依頼人は「これを確認してくれ」と言ったきり、ぺこりと頭を下げて事務所を後にした。

表紙に記された明治期の地番

開いてみると、そこには手書きの筆跡で土地の履歴が記録されていた。驚いたのは、所有者の名義が昭和に一度も変わっていないことだった。普通なら数十年の間に何らかの移転があるはずだ。妙だなと思った矢先、サトウさんの視線が痛かった。

依頼人の沈黙と断片的な依頼

謄本の取得だけでは済まない話

「あの人、謄本だけで済む話じゃないですよね」サトウさんは冷静に言い放った。確かに、登記簿の内容は現行の登記情報と一致していない箇所が多く、まるで誰かが意図的に情報を伏せたように見えた。疑念が募る一方で、僕の頭はぐるぐると回っていた。

登記原因の不自然な年月日

とりわけ気になったのは、昭和二十三年の所有権移転登記。敗戦直後の混乱期、地番がごっそり移されたように見える。登記原因が「売買」となっていたが、売主の署名が震えるような筆跡だった。まるで強制的に書かされたかのような痕跡だった。

サトウさんの塩対応と正論

「それってただの調査依頼ですよね」

「司法書士の仕事、舐められてますよ」サトウさんは鼻で笑うように言った。確かに、ただの登記の確認にしては依頼人の態度が不自然だった。しかも、この地番は現地で見ると、今は更地。何かが起きていたと考えるべきだ。

コーヒーとファイルと小さな溜息

僕はサトウさんからコーヒーを受け取りながら、ため息をついた。机の上には、古い謄本、ブルーマップ、公図のコピー。どれも一致しない。まるでパズルのピースが全部違う箱から出てきたようだった。やれやれ、、、またか。

筆跡が語る裏の所有者

同一人物なのに別人の署名

筆跡鑑定の経験がある知人に写真を送ってみたところ、「これは別人の書いたものだね」との返答がきた。同じ名前でも、戦後の署名とそれ以前の署名では明らかに手が違う。誰かが所有権を乗っ取ったのだろうか。

旧所有権移転登記の謎

調査を進めると、その土地はかつて軍の倉庫だったことがわかった。占領軍が撤退する際、慌てて名義変更がなされた形跡があった。売買契約書などの原本は残っておらず、全てが証拠不十分。登記簿だけが真実を語っていた。

元地番に隠された土地交換

戦後の混乱期に起きた取引

一部の記録によれば、当時その土地は別の地主と交換されたという話もある。しかしその登記は存在しない。唯一の証拠は、旧地番の地図と、登記簿の欄外に小さく記された「代地割当」という朱書きだった。正式な手続きは、どうやらされていなかったようだ。

公図とブルーマップの矛盾

公図ではその場所に小さな倉庫があることになっていたが、ブルーマップでは住宅地になっていた。不動産登記の世界では「あるはずのない家」が最も厄介な存在だ。今回も、その類の「幽霊地権者」にぶつかってしまったらしい。

沈黙する第三者と未登記建物

昔の地主の孫が語ったこと

聞き込みの末、かつての地主の孫と会うことができた。彼は古びたアルバムを持ち出し、「この人が最後の所有者だった」と指差した。それは登記簿に記されていた名前とは違っていた。写真に写るその人物は、昭和二十年代のまま時が止まっていた。

崩れかけた倉庫と封印された部屋

現地へ向かうと、かろうじて残っていた倉庫の扉が開いていた。中は埃まみれの帳簿や、軍の記録らしき紙束。そこに「昭和二十三年名義移転済」のメモが残されていた。やはり誰かがこの倉庫で帳簿を改ざんしたに違いない。

やれやれ、、、地面の下まで登記できたら楽なのに

元野球部の勘が拾った小さな違和感

そのとき、なぜか足元が気になった。土が不自然に盛られていたからだ。何か埋まっているのではと疑い、地主の孫と一緒に掘ってみると、そこから古びた鉄箱が出てきた。中には、失踪扱いだった人物の遺骨と、遺言書が納められていた。

腐った支柱と押し入れの帳簿

それと同時に、倉庫の支柱がひとつ崩れ落ち、壁の裏からさらに古い帳簿が出てきた。そこには、失踪人が売買契約を拒否していた証拠があった。やはり、あの署名は偽造だったのだ。すべてのピースが、ようやく揃った。

「失踪宣告」前夜の真実

登記簿上の人間がまだ生きていた

司法書士会を通じて、失踪宣告の取り消し手続きが進められた。遺骨が発見されたことで、ようやく故人として扱うことができるようになった。家族も現れ、長年の胸のつかえが取れた様子だった。司法書士として、少しは役に立てたかもしれない。

罪を逃れるための名義書換

名義を勝手に変えたのは、戦後の混乱を利用して土地を乗っ取った隣地の元地主だった。すでに故人であり、罪を問うことはできない。けれど、真実を記録として残すことが、今の僕にできる唯一の正義だった。

サトウさんの一言で全てが繋がる

「つまり、売ったのは本人じゃなかったんですね」

事務所に戻ると、サトウさんは一言だけ言った。「登記簿って、嘘つかないんですね」。僕はその言葉に救われた気がした。証拠が残っていれば、たとえ時代が変わっても、真実はきっと見つけられるのだ。

所有権移転と失踪人の名義トリック

今回の件で学んだのは、登記の世界は紙一枚でも命運を分けるということだ。法の裏をかくような手口が存在する限り、僕たちの仕事は終わらない。うっかりしていられないな、と自分に言い聞かせた。

閉じられた頁と静かな終わり

修正登記の申し立てと家族の赦し

修正登記の申請が通り、土地はようやく正当な相続人の元へ戻った。依頼人はもう一度深く頭を下げ、「ありがとうございました」とだけ言って帰っていった。僕は、ただうなずくだけだった。

事務所に戻ったら今日も書類の山

デスクに戻ると、また新たな依頼書の山が待っていた。コーヒーはすっかり冷めていた。やれやれ、、、また一日が始まる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓