署名された真実

署名された真実

依頼は一枚の委任状から始まった

朝の静けさを破るように、玄関のチャイムが鳴った。小柄な中年男性が、やや緊張した面持ちで事務所に足を踏み入れる。手にはクリアファイル、そして折り目のついた委任状が一枚。

「土地の名義変更をお願いしたいんです」──そう言った彼の声はどこか不自然に上ずっていた。サトウさんは無言でうなずき、僕の目を見ずに資料を机に置いた。

静かな午前と訪問者

夏の陽射しがブラインド越しに揺れる中、僕はコーヒーを片手に委任状を眺めていた。なんというか、字が綺麗すぎる。あまりに整いすぎた署名に、ほんの少しの違和感が頭をよぎった。

そのとき、サトウさんがぽつりと呟いた。「この筆跡、どこかで見たことあります」――そう言われると、僕もなんとなく既視感があった。だが思い出せない。

土地売買と名義変更の相談

依頼の内容は至ってシンプル。父親名義の土地を、息子である自分に移転したいという話だった。書類も揃っていたし、委任状もある。だが、それだけに何かが引っかかる。

「このご時世、家族間でも詐欺は起こるもんですよ」サトウさんの皮肉まじりの言葉に、僕は苦笑いした。「やれやれ、、、そんな時代なのかね」

どこか歯車が噛み合わない

依頼人の話を聞けば聞くほど、どこかでボタンがかけ違っているような感覚に襲われた。細部の説明が曖昧で、登記理由も曖昧。

彼は何かを隠している――そんな直感だけが妙に鮮明だった。

サトウさんの違和感

昼休みの間、サトウさんがぽそっと言った。「この人、父親の住所を何度も言い間違えましたよ」……そうか、それだ。さっきから感じていた違和感の正体は。

父親の住所、つまり権利者の所在地は登記の根幹だ。それを間違えるとは、実の息子ではない可能性が浮上する。

委任状の署名が放つ違和感

署名欄を改めて見ると、まるで教科書の見本のような明朝体に近い文字だった。実際の高齢者の筆跡とは明らかに違う。

「これ、印刷してからボールペンでなぞったかもしれませんね」サトウさんが呟いた。なるほど、それで異様に整っていたのか。

調査開始と意外な経歴

やる気を出したサトウさんが、住民票や登記簿の履歴をひっくり返して調査を始める。僕はというと、そわそわしながらサザエさんの再放送を見ていた。

「あんたは波平か」と冷ややかに言われたが、まさにその通りだった。気が短い割に、人を信じやすい。そんなタイプは騙されやすいのだ。

依頼人の過去を洗う

調べてみると、依頼人の名前での不動産登記はこれが初めてだった。だが、問題はその実父とされる人物の名義の土地が、先月別人に売却されていたことだった。

つまり、今ここにある土地は「もうない」。だとすれば、この名義変更は何のために?

名前の影に潜む別人

住所地の聞き取りを進めると、父親本人は高齢者施設に入っており、親族との連絡は絶っているとのことだった。

施設のスタッフの証言により、「依頼人」は実の息子ではなく、かつて住み込みで働いていた元ヘルパーだという事実が浮上した。

偽りの委任状

ここに至って、ようやく全体像が見えた。依頼人は父親を名乗り、無断で委任状を作成し、あたかも親子間の贈与のように装っていたのだ。

だが、肝心の土地はすでに売却済み。つまり彼の狙いは“登記の権限そのもの”を奪い、不正な名義取得を狙ったものだった。

筆跡鑑定という名の決定打

筆跡鑑定を専門家に依頼した結果、「委任状の筆跡は父親のものではない」と断定された。これで駒はそろった。

僕はすぐに法務局に連絡し、登記の中止を申し出た。「無権代理人による申請の可能性あり」と報告し、手続きはストップした。

本人確認書類の矛盾

さらに提出された身分証も、免許証の住所と住民票の住所が一致しない。これは第三者による偽装の証拠として強い材料となった。

依頼人はその後、警察の事情聴取に呼ばれた。彼はあっさり罪を認めたが、その告白の中で「自分が本当の家族だと思っていた」と呟いたそうだ。

交錯する動機と真実

結局のところ、彼は父親に捨てられた過去を抱えながらも、「息子」として認められたかったのだろう。

だが、法は感情では動かない。登記とは事実と証拠の積み重ねであり、そこに「思い込み」は許されない。

親族の裏切りと財産欲

さらに調べを進めると、彼は他にも数件、似たような登記を試みていた記録が出てきた。どうやら彼の中の「家族」は、他人にとってはただの幻想だったようだ。

悲しいけれど、それが現実。法律は誰の味方でもない。事実の味方なのだ。

なぜ彼は代理人を装ったのか

最後に彼が残した言葉が、妙に耳に残っている。「印鑑を預かってただけじゃ、家族にはなれないんですか?」

それは彼なりの、精一杯の告白だったのかもしれない。

司法書士の矜持

事件が終わった翌朝、サトウさんが黙って机にコーヒーを置いた。「あんたもたまには役に立つんですね」と言われた。

「やれやれ、、、これで今日も一日平和ってわけでもないか」僕は背伸びをしながら空を見上げた。次の依頼は、もっと平穏であってほしい。

正しい登記とその重み

登記は、目に見えない真実を記録するものだ。だからこそ、その一行には重みがある。

僕たち司法書士は、その重みを知っている。だからこそ、今日もペンを握るのだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓