公証人は知っていた
朝の来客と手帳の始まり
その朝、いつもより少しだけ涼しい風が事務所のブラインドを揺らしていた。
インターホンが鳴ると同時に、来客の影が扉越しに揺れた。
「公証人の遺言に関して相談がある」と語ったのは、見た目には穏やかな中年女性だった。
奇妙な遺言と筆跡の違和感
差し出された遺言書は確かに公証役場で作成されたもののようだった。
だが、日付の横に書かれた数字の「一」が明らかにおかしい。筆圧が違い、微妙に歪んでいる。
まるで、誰かが途中から筆跡を真似て書き足したような違和感があった。
公証役場に残された空白の時間
サトウさんが無言で調べ上げた記録には、公証人が当日15分間だけ席を外していた記録が残っていた。
そのわずかな時間に何かが起きたのだろう。
「サザエさんで言えば、波平さんの髪の毛が一瞬で増えるくらいの違和感ですね」とサトウさんが淡々と呟いた。
サトウさんの塩対応と名推理
「ところでシンドウさん、この書類のどこに違和感を持たれましたか?」
「いや、それはその、、、なんとなくで、、、」
冷たい視線をよそに、サトウさんはまるで探偵漫画の登場人物のように静かに推理を進めていた。
過去の登記と一致する不動産情報
問題の遺言に記された不動産は、10年前に一度名義変更が試みられていた記録が残っていた。
だが、その登記は途中で取り下げられていた。不自然な取り下げ理由——「委任状の期限切れ」。
それが今回の遺言とどう関係するのか、調査は続いた。
書かれていない内容を読む方法
「このノート、消しゴムで一度書いた文字を消してますね」とサトウさん。
ブラックライトをあてると、かすかに浮かび上がった文字列。「ミーティング 一六時 代筆完了」
やれやれ、、、ついに核心に近づいてしまったか。
公証人の息子が語った真実
公証人の息子は、遺言の日に父が強い疲労を訴えていたと語った。
「誰かに何か頼まれていたようでした」と伏し目がちに語るその顔は、何かを隠しているようだった。
そして、「父は正義感が強い人でした」とポツリとこぼした。
第三の証書と矛盾する日付
別の書庫から見つかった古い封筒には、「第三証書」と書かれた資料が入っていた。
そこには異なる日付、異なる内容、そして異なる相続人の名前が記されていた。
遺言書が三通存在していたことになる。どれが本物なのか。
司法書士シンドウのうっかり反撃
「この封筒、差出人が、、、あ、俺が預かったことになってる?」
サトウさんの目線が一瞬だけ氷点下まで下がった。
だが中身を精査するうちに、封筒の閉じ方が違うことに気付く。「これ、すり替えられてますよ」
やれやれという声が聞こえた
全ての証拠がそろい、偽造の証拠も整った頃、公証人の手帳の最後のページに手書きの一文があった。
「本当の正義は、書類の外にある」——その文字を見た瞬間、誰かがつぶやいた。
「やれやれ、、、これは一本取られたな」
真実はノートの裏に書かれていた
手帳の裏表紙には、見落とされがちなもう一つのページがあった。
そこには、証人としての公証人の本音が綴られていた。「私は知っていた。けれど、それを記すことはできなかった」
このノートこそが、沈黙の証言者だった。
公証人が隠した本当の理由
彼は誰かを守ろうとしていた。それが息子だったのか、相続人だったのか、今となっては確かめようがない。
だが、彼の選んだ「沈黙」という選択がすべてを語っていた。
正義とは、声高に叫ぶことだけではないのだ。
罪なき人を守るための嘘
公証人は嘘をついたのではない。
嘘をつかざるを得ない状況に追い込まれていた。それでも、その嘘は誰かの未来を救っていた。
静かな抵抗。それが彼の最後の仕事だった。
サトウさんの一言がすべてを変えた
「正しいかどうかじゃなくて、誰がそれを信じたかでしょ」
冷めた表情の奥に、優しさがあった。
その言葉に、シンドウの胸のどこかが少しだけ温かくなった。
事件の結末と誰も気づかなかった秘密
依頼人の女性は、泣きながら感謝の言葉を述べた。
シンドウは照れ隠しに机の上の書類をまとめながら、ぼそっと呟いた。「ほんと、やれやれ、、、」
そして、ふと気づいた。ノートの最後にもう一行、小さくこう記されていた——「ありがとう」。
手帳に残る一行のメッセージ
シンドウはそのページをそっと閉じた。
サトウさんは無言のまま、いつも通りパソコンに向かっていた。
今日もまた、日常の中に一つ、誰にも知られぬ物語が消えていく。