そろそろ名刺に独身って刷り込みたくなる日

そろそろ名刺に独身って刷り込みたくなる日

名刺の肩書きじゃ足りない何か

司法書士という肩書きは、社会的にはそれなりに通用する。だけど最近、名刺を差し出すたびに「独身」と添えておきたい衝動に駆られる。自己紹介の第一声で、仕事の話より先に「はい、独身です」と笑い飛ばしたほうが、後々の沈黙を避けられる気がしてならないのだ。何の話かというと、名刺に肩書きだけじゃ伝えきれない孤独があるということ。誰にも求められていないような気がする日の夜に、ふと思ってしまう。俺の名刺、もっと俺のこと語ってくれないか?と。

司法書士ってだけでわかってもらえることとそうじゃないこと

司法書士の名刺を渡すと、たいてい「お堅いお仕事ですね」と言われる。そこまではいい。だけどその次が問題だ。「お忙しいんでしょうね」「頼れるご主人って感じですね」など、どうにも“家庭ありき”で評価される瞬間がある。すぐに否定するのも変だし、否定しないと誤解されるし。こういうとき、名刺の下に小さく「独身歴、更新中」とでも入れておけば、いちいち笑顔で訂正しなくて済むんじゃないかと思う。悲しみをにじませながら、なんとか場を取り繕う自分が毎回切ない。

独身を自虐的に添えたくなる理由

「ああ、また聞かれた」と思いながら、何度目かの「まだ独身です」を口にする。これが不思議なことに、名刺交換のような儀式の中で妙に響く。“仕事は順調、でも家庭は未完成”。そんな空白を勝手に相手が埋めようとしてくるようで、だからこそ自虐で先に言いたくなる。昔、野球部の先輩が「エラーは先に笑っとけ」と言っていたけれど、あれと同じ。笑っておけば、ダメージが少しだけ軽くなる気がする。

「仕事が恋人です」は言い訳なのか

飲み会の場で「仕事が恋人です」なんて言ったら、だいたい苦笑いされる。自分でもわかっている、そんなのはただの言い訳だって。でも、事実そうなんだ。土日もなんだかんだ事務所に行って書類をまとめ、平日の夜も調べ物をしていたら、気づけば日付が変わってる。趣味に没頭する時間もなく、誰かと出かける元気もない。だから、「独身」はもはや属性じゃなく、生活スタイル。それを名刺に記してもいいくらい、仕事に人生が埋め尽くされている。

肩書きの先にある生活感のなさ

司法書士って、外から見ればそれなりに堅実で、ちゃんとしてるように映るらしい。でも実態は、生活のリズムがガタガタだ。誰かと暮らしていれば、きっと整うであろう食事や睡眠時間も、独りだとどんどんズレていく。そんなとき、ふと「肩書きはあるのに、生活がないな」と思う。そしてまた、名刺の余白に“生活不在中”とか書きたくなる。

名刺交換の沈黙が教えてくれたこと

たまに参加する異業種交流会で、名刺交換の後に沈黙が訪れる瞬間がある。相手が既婚者で家庭の話を振ってきて、それにどう返すか迷ってしまうからだ。話題をそらしても、どこか空気が気まずくなる。沈黙を破るべきか、受け入れるべきか。そう考えているうちに、自分の孤独がくっきり浮かび上がってくる。名刺の肩書きだけじゃ、俺の人生は語りきれない。

誰も聞かないから余計に言いたくなる

誰も「あなたは幸せですか?」なんて聞いてこない。仕事の話、肩書きの話、最近の業績。そんなことは聞かれる。でも、「独身って寂しくないですか?」なんて聞かれたら、むしろ正直に話せる気がする。聞かれないから、言いたくなる。言いたくなるけど、言ったところで空気が凍る。だから、名刺にでも書いておけば…という妄想が繰り返される。

なぜか伝えたくなる孤独という情報

なぜか、名刺交換をするたびに自分の“独身情報”を発信したくなる。別に恋人募集中なわけでもない。ましてや婚活中でもない。ただ、「こういう人間です」と表す手段が名刺だけになると、そこに書かれていない部分が急に主張してくる気がする。肩書きはあっても、人となりまでは伝わらない。特に「独りです」という事実は、いちばん人柄に関わるのに、どこにも書けない。

司法書士にありがちな一人暮らしあるある

朝は食パンにマーガリン。昼はコンビニのおにぎりか冷凍うどん。夜は疲れて料理する気力もなく、スーパーの惣菜。これは完全に、僕の一週間の食事スケジュールだ。気づけば栄養も偏り、冷蔵庫は調味料とペットボトルの水ばかり。しかも誰にもツッコまれない。そんな生活を送っていると、「こんな暮らししてます」って名刺に書いてしまいたくなる。

冷蔵庫には水とウィダーインゼリーだけ

先週、ふと冷蔵庫を開けて気がついた。中には水とウィダーインゼリー、そして賞味期限切れの納豆。思わず笑ってしまった。高校時代の野球部では、食べることも練習のうちだったのに。今は、食事すら面倒になってる。独りだと、栄養バランスよりも手間のなさが優先される。これが続くと、どんどん“人間らしい生活”から遠ざかっていく。

平日の夜が誰よりも静か

仕事が終わって帰宅したあと、部屋の中は静まり返っている。テレビをつけなければ、物音ひとつしない。たまにこの静けさに救われることもあるけど、ふと寂しさがこみあげる夜もある。そんなときは、名刺に「静かな夜の住人」とでも書いておきたくなる。誰にも言わないけど、きっとみんなも似たような孤独を抱えてるはずだ。

独身を意識する瞬間ベスト3

独身であることを意識させられる瞬間が、年に何度かある。それは突然やってくるし、たいていは他人の何気ない一言や季節の行事が引き金だ。無理して笑ってごまかすけれど、内心では「やっぱり俺ってひとりだな」と痛感する。だからこそ、その痛みを和らげる手段として“名刺に書いてしまえ”という発想が出てくるのかもしれない。

年賀状が届かなくなったとき

以前は届いていた年賀状が、ここ数年めっきり減った。特に、友人が結婚して以降、急激に途絶えた感じがする。たぶん、「あいつは家庭もってないし送ってもな…」という無意識の判断なんだろう。そんなふうに少しずつ社会的な繋がりが薄れていくのを感じるたびに、自分の“独身”という存在を、どこかに刻みたくなる。

親戚からの電話が用件なく長いとき

たまに親戚から電話が来る。「元気か?」「ご飯ちゃんと食べてるか?」のあとに続く沈黙がつらい。明らかに言いたいけど言えない「結婚はまだなの?」という空気が漂っている。そんな電話を切ったあと、名刺を眺めながら思う。「この名前の下に“独身”って印字しておいたら、全部解決するのにな」って。

独身と向き合うという肩書きのない戦い

独身であることを、哀しみや劣等感として語るつもりはない。でも、時々それが“戦い”になるときがある。名刺のように整った顔をした自分と、静かな部屋で冷えた唐揚げを食べてる自分。そのギャップに耐えられなくなる日がある。肩書きではカバーできない感情が、確かに存在している。

仕事では評価されても家では空っぽ

登記の案件を無事に終え、お客様から「助かりました」と言われた日でも、家に帰れば誰もいない。拍手も祝杯もない。ただ、静かな夜と、明日も同じように繰り返す書類の束だけが待っている。仕事がうまくいけばいくほど、私生活の空虚さが際立つ。それを誰にも言えず、名刺にも書けず、ただ黙って過ごしている。

名刺に救われてきたけれど

名刺は、自分を表す大切な道具だ。肩書きがあるから信用され、仕事も広がる。だけど最近、ふと思うようになった。「この肩書きの下に、もう一行ほしい」と。それが“独身”なのか、“人肌恋しい”なのかはわからない。でも、人間としての自分を、少しだけ伝えられる余白が欲しいと思うようになったのは、年齢のせいだろうか。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。