朝のメールと封筒の謎
朝の事務所は相変わらず静かだった。エアコンの風が書類を少しめくっている。コーヒーを淹れようとしたところで、ふと気づいた。
僕の机の上に、見慣れない白い封筒が置かれていた。差出人はなく、中には登記簿の写しと手紙が入っていた。手紙には「この登記は嘘です」とだけ書かれていた。
誰が置いたのか。どうしてうちの事務所なのか。朝の始業時刻を過ぎても、僕の頭はまだ目を覚ましていなかった。
机の上に置かれた一通の書類
封筒の中の登記簿謄本は、先月、僕が確かに処理したものだった。不動産の名義変更。売買の内容に不審点はなかったはずだ。
手紙の主は「裏切り者を許すな」とまで書いている。明らかに何かのトラブルに巻き込まれている気がした。が、僕は正直、ピンときていなかった。
「サトウさん、これ……知ってる?」と訊くと、「さあ」とだけ返ってきた。その表情がいつもより少し硬かったように見えたのは気のせいか。
サトウさんの無言の視線
無口なサトウさんが、じっと僕を見ていた。パソコンのキーボードを叩く手が止まり、何かを言いたげだった。
「この物件、何かあった?」と聞くと、「調べてみれば?」とだけ返された。そっけないが、どこか挑発的でもある。
その目は、「あなたが忘れているだけで、何かがあったはずですよ」と言っているようだった。やれやれ、、、また面倒なことになりそうだ。
依頼人の登場と微妙な違和感
その日の午後、依頼人の岡本という男が事務所を訪れた。名義変更を依頼してきた人物で、穏やかそうな見た目だったが、どこか腑に落ちない。
「この間はありがとうございました。うまくいって安心しています」と彼は言った。だが、僕の頭の中では警報が鳴っていた。
それは声だった。彼の声に、どこか聞き覚えがある。不思議な既視感。いや、既聴感というべきか。
声だけは覚えていた
その夜、サザエさんの再放送を見ながら思い出した。あの岡本という男の声は、先日、誰かが電話で「登記に問題がある」と言ってきた声と同じだった。
電話は非通知だったが、やけに慣れた調子で話す男の声。岡本だ。あのとき、自分で不安になった登記を、自分で確認に来ていたということか。
登記の内容をごまかしていた?いや、それとも他に理由が……。
過去の事件との奇妙な符合
僕は過去の案件のファイルをひっくり返した。すると、数年前のある案件で、同じような名義変更が行われていたことに気づいた。
奇妙な点があった。どちらも所有者が「病気のため急遽売却」されている。しかもその所有者、すべて高齢者であり、委任状の筆跡がどれも酷似していた。
これは偶然ではない。そう確信した。だが証拠がない。いや、証拠があるかどうか、まず見つけなければならない。
シンドウのうっかりと真実への道
僕は気がつけば、岡本に送るはずの登記済証を、別の封筒に入れてしまっていた。うっかりミスだったが、結果的にそれが決定打となる。
岡本が「封筒が違う」と言って戻ってきた時、サトウさんが「あ、それ確認しておいた方がいいですよ」と、珍しく割り込んできたのだ。
その言い方に、なにか裏があると気づいた僕は、封筒の中をあらため、そこに「正真正銘の委任状のコピー」を入れていたのを発見した。
違う書類を渡してしまった午後
そのコピーは、先日別件で調査した案件のものだった。しかし、それが偶然にも岡本の使っていた偽委任状と全く同じ書式だったのだ。
これで決定的だった。岡本は雛形を流用して複数の名義を操作していた。しかも、依頼人のふりをして複数回にわたり司法書士事務所を使い分けていた。
僕はサトウさんの視線を受けながら、警察への通報を決めた。
やれやれ、、、と言ったものの
「やれやれ、、、こっちは事務所回すだけでも手一杯なのに、探偵まがいのことまでやらされるとはね」
ため息をつきながら、僕は報告書に事件の経緯を書きつけた。が、それを黙って受け取ったサトウさんが一言。
「でも、最後は役に立ったじゃないですか。うっかりで」。塩対応なのに、妙に刺さるんだよなあ。
サザエさんも驚く逆転劇
岡本は翌日、警察に連行された。事務所で押収されたPCからは、複数の司法書士名での偽造データが見つかった。
僕の事務所がたまたま最初のターゲットではなかったことも判明し、警察からは感謝された。こっちはたまたま封筒を間違えただけなんだけど。
「サザエさんみたいにドジやらかしたら、逆に大当たりだったってわけか」そんなことをぼやきながら、僕はコーヒーをすすった。
証拠はいつも身近にある
「やっぱり証拠って、意外と身近にあるもんですね」
とサトウさんが呟いた時、僕は「いや、サトウさんの中にあるんだろ」と言いかけてやめた。
彼女はそれをわかっていた。最初から全部知っていた。けれど、僕に「気づかせた」だけだった。
ファイルの順番に隠された秘密
サトウさんの整理したファイルは、妙に順番が変わっていた。僕が間違えるように、そして気づくように設計されていたようだった。
「気づいたんですね」それだけ言って、彼女は次の登記の処理に移った。さっきの件なんてなかったかのように。
僕はファイルを見て、少しだけ笑った。「こっちが主役のはずなんだけどな」と、心の中で。
最後の告白と事務員の沈黙
封筒を置いたのは誰だったのか。僕は訊かなかった。サトウさんも答えなかった。答えはもうわかっている。
「正義感って、どこから来るんでしょうね」その問いに、サトウさんは少しだけ笑った。たぶん、答えは要らなかったのだろう。
事件は終わった。でも、次の朝もまた封筒が置かれていたら——今度は僕も、もっと早く気づける気がしている。