登記簿が照らす家族の闇

登記簿が照らす家族の闇

ある朝の依頼人

事務所のドアが開いたのは、まだ午前九時前だった。蒸し暑い空気が流れ込み、サトウさんが小さくため息をついた。入ってきたのは、黒い喪服に身を包んだ男だった。

「亡き父のことでご相談がありまして……」そう言って差し出されたのは、封の切られた遺言書だった。俺はまたか、と心の中でつぶやいた。こういう時期は続くものである。

サトウさんの冷たいコーヒーと暑苦しい男

「冷たいコーヒー、要りますか?」と聞くサトウさんに、依頼人は「いえ」と首を振った。代わりに俺がそれをもらった。うん、苦い。

依頼人は田所と名乗り、父親の死後、兄妹との間で揉め事が起きているという。特に義理の姉と名乗る女性が現れ、父の遺産について主張し始めたらしい。

「遺言書には、僕の名しか書かれていないんですが……」と、田所は眉間にしわを寄せた。俺の仕事は、そこに書かれたことが法的に整合性あるかどうかを見極めることだ。

父の死と一通の遺言書

確認すると、その遺言書は公正証書ではなかった。自筆証書遺言。しかも、日付と署名の筆跡が怪しい。何より、保管場所が「冷蔵庫の野菜室」だったという点が気になる。

「サザエさんじゃないんだから……」とサトウさんが呟いた。まさに、カツオがやらかしそうな話だ。俺は苦笑いしながら、遺言の記載と印影を確認した。

見た目には形式不備はない。だが、裏がありそうだった。

遺産分割協議の火種

数日後、事務所にはその“義理の姉”と名乗る女がやってきた。田所とは明らかに血のつながりがなさそうで、雰囲気も全く違う。

「私は正妻の娘です。父は私にも財産を残すつもりだったはず」と彼女は言った。その声は冷たく、どこか演技がかっていた。

義理の姉と名乗る女

名前は浅川といった。戸籍には名前がないが、父親が数年前に養子縁組を検討していたという話が出てきた。だが、それが本当に実行されたのかどうかは不明だ。

彼女は「実際に一緒に暮らしていました」と主張し、周囲の証言もあるという。遺産が絡むと、家族の“記憶”が急に都合よくなるものだ。

「じゃあ、その証拠を見せてください」と俺が言うと、浅川は「明日、持ってきます」と言い残し、事務所を後にした。

隠された養子縁組の痕跡

調べてみると、確かに市役所に提出された養子縁組届の控えがあった。しかし、そこには決定的な問題があった。届出人の父親の署名がコピーだったのだ。

「これ、真正な届出って言えるんですかね……?」とサトウさんが言う。俺は首をかしげながらも、これはひとつの突破口だと感じていた。

養子縁組が無効となれば、浅川には法定相続権はない。あとは、それをどう立証するかだ。

登記簿に残された違和感

相続登記の準備に入るため、俺は対象不動産の登記簿を閲覧した。だが、そこに思わぬ“空白”があった。

建物の名義が、十年以上前から父親のままで止まっている。それに、固定資産税の納税者情報が「別人」になっていたのだ。

名義変更がされていない理由

どうやら、父親が亡くなった数年前から、この物件には田所ではない別の人物が住んでいたらしい。しかも、賃貸契約も存在しない。

「これは、事実上の“譲渡”だったのかもしれませんね」と俺は呟いた。だが登記がそのままでは、法的には誰のものとも言えない。

これは“登記簿の闇”とも言える構造だ。所有権があるのに、使っているのは別人。闇が深い。

住宅ローンと登記の空白期間

調べを進めると、その別人が住宅ローンの連帯保証人になっていたことが判明した。父親が借金を抱え、それを肩代わりしたのが浅川だったのだ。

つまり、金銭的なつながりはあった。だが、法的な親子関係はなかった。俺たちは、着実に“答え”に近づいていた。

サトウさんは、「このままじゃ裁判になりそうですね」と呟いた。俺も同感だった。

親族会議での対立

ついに、田所と浅川、そして他の兄妹を交えた親族会議が開かれた。会場は、なんと実家の仏間だった。

香の匂いが漂う中、誰もが自分の正当性を主張し始めた。会話というより、もはや戦争である。

誰が本当の相続人なのか

田所が遺言書を掲げれば、浅川は「養子縁組届がある」と叫ぶ。他の兄妹たちは、ただ黙ってそれを見ている。

だが、その養子縁組届がコピーだったことを俺が伝えると、場の空気が一変した。浅川は顔をこわばらせ、口を閉じた。

「その届出は無効の可能性が高い」と俺は言った。証拠はすべて揃っていた。

家庭裁判所の調停申立ての影

浅川は、「不服です。調停を申し立てます」と言った。ここまできたら、もう司法の手に委ねるしかない。

だが、俺の本当の仕事は、ここからが本番だった。調停前の調整、そして裁判所提出書類の作成。やれやれ、、、仕事が増える。

俺は帰り際、玄関で転びかけた。昔からのドジが治らない。

サトウさんの一言

事務所に戻った俺に、サトウさんが冷たく言った。「それ、司法書士の仕事でしたっけ?」

「ん?まあ、限界ギリギリですね……」俺は曖昧に笑った。彼女の表情は微動だにしない。

「せめて転ぶのはやめてください。昭和の探偵じゃないんですから」痛烈だが的確だ。まるで、サザエさんのカツオのように扱われている気分だ。

調査開始

調停を有利に進めるため、戸籍と住民票の追跡が必要だった。市役所での資料請求、そして古い登記情報の収集。これぞ俺の得意分野だ。

「俺、地味な作業だけは得意なんです」とぼやくと、サトウさんは「それしか取り柄ないですから」と、ため息交じりに言った。

本当に、彼女は的を射すことしかしない。

元住民票から追う戸籍の謎

父親が一時期だけ転籍していた事実が明らかになった。その際、浅川が同一世帯に入った形跡がある。

しかし、それが“住民票上の操作”であり、実際の戸籍には反映されていないことが分かった。つまり、形式的な同居に過ぎなかったのだ。

浅川の“親子関係”の主張は、ここで完全に崩れた。

銀行と土地家屋調査士への訪問

銀行に確認すると、ローン返済は父親名義で続いていた。連帯保証人としての浅川の名前はあれど、物件の所有者にはなっていなかった。

土地家屋調査士からは、父親が生前に誰かに物件の管理を委ねた形跡があったが、正式な契約書はなかった。

つまり、浅川の「実質的所有」も証明できなかったのだ。

記録に潜む小さな手がかり

登記簿の“表題部”と“権利部”を何度も見返していた俺は、ある不自然な点に気づいた。

父親が最後に変更登記をした日付と、養子縁組届の日付が完全に一致していた。まるで、何かを隠すための煙幕のようだった。

表題部と所有者欄の微妙なズレ

登記の変更には司法書士が関与していなかった。その結果、書類に不備があり、修正申請が出されていた。

浅川が持ってきた書類の一部には、筆跡の異なる署名があった。サトウさんが指摘するまで、俺は気づかなかった。くそ、またしても彼女の方が先に気づく。

だが、悔しいが助かる。

赤いハンコと三文判の謎

押印された印鑑は100均の三文判だった。それだけなら問題ないが、印鑑証明との照合ができなかった。

つまり、捺印者は父親本人ではない可能性が高い。印鑑証明書の原本を取り寄せ、筆跡鑑定を依頼することになった。

「大人って、本当にズルいですね」とサトウさんが呟いた。

司法書士シンドウの推理

ここまで来て、ようやくパズルが埋まった。父親は、借金返済のために浅川に物件を“貸していた”が、正式な手続きはしていなかった。

浅川はそれを利用して、養子縁組届を偽造し、相続権を得ようとしたのだ。

「この登記、実は書き換えられてますよね」

浅川にそう問い詰めると、彼女は一瞬、目をそらした。俺はその一瞬を見逃さなかった。

「登記は嘘をつかない。けど、つかせようとする人間はいる」それが俺の仕事の真骨頂だ。

証拠は揃っていた。あとは提出するだけだった。

養子縁組届が偽造だった可能性

調査の末、養子縁組届の署名が、父親の筆跡と一致しないと鑑定結果が出た。

浅川は観念し、調停から手を引いた。こうして、田所の相続は正式に確定した。

「やれやれ、、、また太った案件だったな」と俺はぼやいた。

結末の一筆

必要書類を整え、法務局に提出。登記の変更が完了したのは、それから一週間後だった。

田所は深く頭を下げて帰っていった。俺はようやく一息ついた。

裁判所への提出書類と遺産の行方

正式な遺言書の内容に従い、不動産の相続登記が完了。財産の処分も法的に整った。

残されたのは、書類の山と、コーヒーの空き缶だった。

静かな午後が戻ってきたと思ったその時、また事務所のドアが開いた。

サトウさんの塩対応と俺のため息

「また新しい相談です」

「うわ、またですか……」

サトウさんは俺をチラリと見て、「ほら、司法書士探偵の出番ですよ」と言った。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓