書類の底に隠された恋

書類の底に隠された恋

書類の底に隠された恋

誰にも気づかれずに積み重なった紙の束。それはまるで、忘れられた恋心の層のようだった。司法書士という職業柄、書類は日常だ。だが、その日だけは、その一枚が特別な意味を持っていた。

朝一番の封筒とコーヒーの香り

事務所のドアを開けると、鼻に届いたのは微かなドリップコーヒーの香りと、サトウさんの無言の気配。そして、机の上にぽつんと置かれた未開封の封筒。差出人の欄には見覚えのある名前があった。

書類の山に紛れた違和感

「これ、今朝ポストに入ってました」 サトウさんが淡々と差し出す封筒に、少しだけ彼女の眉が動いたのを見逃さなかった。封筒の紙質が妙に古い。手に取ると、どこか懐かしい感触があった。

依頼人はいつもと違っていた

依頼は名義変更に関する登記。だが提出された戸籍や証明書類に妙な間があった。説明のつかない空白。依頼人の話は要領を得ず、時折うわの空で宙を見つめていた。

サトウさんの静かな疑問

「この方、本当に登記のためだけに来たんでしょうか」 書類をチェックしていたサトウさんが、手を止めずにぽつりと呟いた。的を射る言葉に、心のどこかで引っかかっていた感覚が形になった気がした。

封を切られた一通の恋文

封筒の中には書類の束と、一枚の便箋が挟まっていた。それは恋文だった。薄く黄ばんだ便箋には、達筆な文字で愛の言葉が綴られていた。差出人は既に亡くなった人物。受け取り人は依頼人の母親だった。

書式と筆跡に潜む矛盾

恋文の日付と、登記申請書の記載内容に食い違いがあった。登記上では既に関係が断たれていたはずの人物が、数年後にも手紙を送り続けていた。何かがおかしい。誰かが記録をいじった痕跡がある。

過去の登記簿が語り出す真実

古い閉架書庫から、昭和時代の登記簿の写しを取り寄せた。そこには一度抹消されたはずの共有持分の名が再登場していた。登記官の記載ミスか、あるいは意図的な操作か。真相は一枚の書類の裏に隠されていた。

昔の婚約と現在の所有者

恋文の主は、実は依頼人の実父だった。だが婚姻はなされず、母は他の男性と籍を入れた。現在の所有者はその男性の遺族。だが、この恋文と登記の矛盾は、父の遺志が正しく伝えられていなかったことを示していた。

小さな嘘が崩す大きな相続

母はずっと、恋文の存在を隠していた。それがあれば遺産分割協議の内容が変わる可能性があったからだ。依頼人は、父が残した本当の思いに触れたくて、登記を利用した。形式を守りながら、心を取り戻すために。

登記記録に仕組まれた罠

だがそこに目を付けたのは、現在の所有者たちだった。恋文が表に出れば相続がやり直される。書類の一部がすり替えられていたことに、サトウさんが気付いた。「この紙、微妙にサイズが違います」

やれやれというしかない午後

結局、再調査と再申請で1日が吹き飛んだ。古い恋文ひとつでここまで事務所が振り回されるとは。「やれやれ、、、」とつぶやきながら書類を綴じた。愛とは面倒で、けれど確かに誰かの人生を動かす力を持っている。

解決の糸口は付箋の裏に

封筒の裏に貼られた小さな付箋。そこにだけ「本当のことはあなたが決めてください」と書かれていた。依頼人の母が遺した最後の言葉。記録と心、その間をどう埋めるかは、いつも誰かの覚悟にかかっている。

サトウさんが笑った気がした

「珍しく役に立ちましたね」 皮肉のようなサトウさんの声。でも、その口元がいつもより柔らかく見えた。事件の真相は曖昧のままだが、誰かの気持ちは確かに伝わったのだろう。静かにファイルが閉じられた。

書類の山を超えて見えたもの

紙の山の向こうに、何かが確かに見えた気がする。恋とは、記録にも記憶にも残らぬこともある。それでも、こうして形になった瞬間、少しだけ世界が優しくなる。明日もまた書類の山と向き合う日々が始まる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓