静かな依頼人
月曜の朝に現れた老婦人
事務所のドアがきぃと音を立てて開いたのは、月曜の午前九時を少し回った頃だった。 手入れの行き届いた和装に身を包んだ老婦人は、まるで昭和の時代からそのまま歩いてきたような気配を漂わせていた。 「家を売りたいんです」と語る声には、どこか物悲しさがにじんでいた。
「家を売りたい」という曖昧な願い
聞けば、夫の死後に残された古い家を手放したいという。だが、詳細を尋ねても、名義や経緯については曖昧な返答が続く。 登記簿の謄本を取ると、そこには見知らぬ名前が共有者として記載されていた。 「息子ですの」と一言。だが、戸籍にはその人物の存在が確認できなかった。
過去に封じられた住所
登記簿から浮かび上がる旧姓と別名義
住所の変遷を追い、法務局の端末とにらめっこすること数時間。 そこには、依頼人が旧姓で所有していた時期の履歴と、突如登記名義に現れる男の名前があった。 まるで「ルパン三世」が偽名で忍び込んだかのように、登記簿の一部にだけ現れるその存在は、確かに不自然だった。
サトウさんの地味な鋭さが炸裂
「この謄本、前回取得時と比べて微妙に順番が違いますね」とサトウさん。 さすがサトウさん、登記識別情報の再発行履歴まで見逃さない。 この家は、どうやら一度名義を偽装して贈与された可能性が出てきた。
家族関係を結ぶ線と点
戸籍から読み解く複雑な姻族関係
依頼人の戸籍をたどると、そこには養子縁組の記録があった。 だが、その相手は現在名義人の男性ではなく、すでに亡くなった別の人物。 つまり今の所有者は、正当な相続人ではない可能性が高いのだ。
シンドウのうっかりが偶然を呼ぶ
コピー機に置き忘れた申請書を取りに戻ると、そこに一通の封筒が落ちていた。 差出人の名前を見て、思わず声が漏れる。「あれ、この名前……登記簿の共有者と同じだ」 やれやれ、、、こんな偶然があるとは思わなかった。
空き家の鍵が語るもの
閉ざされた部屋と未登記の痕跡
現地調査のために空き家を訪れると、ひと部屋だけ固く施錠されていた。 依頼人は「物置ですから」と笑ったが、そこからは生活感のある布団と写真立てが出てきた。 未登記の増築部分だったのだろう、壁の中に隠されたスペースには古い契約書があった。
旧型の金庫と謎の遺言書
押入れの奥にあった金庫は、昭和の刑事ドラマに出てきそうな重厚な鉄製。 開錠すると、そこには一通の遺言書と、複数の印鑑証明書。 筆跡は依頼人の亡夫と一致していたが、内容は「全財産を長男以外に」とあった。
偽装された贈与と名義変更
時効直前の登記変更の意味
名義変更は、相続開始からちょうど三年の直前に行われていた。 これは贈与の時効に合わせて急いで行われた操作のように見える。 贈与契約書もなく、依頼人のサインは偽造の疑いが強かった。
詐欺罪との境界線を探る
贈与を装った所有権移転は、明確な欺罔行為があれば詐欺とみなされる。 ただし、親族間でのやり取りであるため、民事と刑事の境界線は曖昧だ。 だが、このままでは依頼人の老後の住居も財産も、奪われて終わることになる。
サトウさんの冷静な分析
相続登記の時系列矛盾を突く
「死亡診断書の日付と、登記原因証明情報の作成日が逆転してますね」 サトウさんの一言に、私は我に返った。 確かに、そんな杜撰な書類を見落としたとは、、、野球部だった頃のノリでは通用しない。
一通の郵便物から動く真相
封筒の中には、本人確認資料の写しとともに「売却意思なし」と明記されたメモ。 これが本物なら、登記は虚偽の申請ということになる。 すべての点が、ようやく線になり始めた。
登場する謎の司法書士印
同業者の名前に潜む影
登記申請に使われた司法書士の職印が、どこか見覚えのあるものだった。 法務局で原本を取り寄せると、それは私がかつて研修で会った男のものだった。 まるで「名探偵コナン」の黒ずくめの組織を彷彿とさせる、陰の存在。
「やれやれ、、、」と思わず漏れる
私はコーヒーを一口すすりながら、天井を見上げた。 「やれやれ、、、また同業者か」と小さく呟く。 正義感より、疲労感の方が勝っている自分が少し情けなかった。
真相に迫る調査と駆け引き
土地家屋調査士からの意外な証言
以前の境界立会いを担当した調査士が、依頼人の夫に同行していた男の存在を証言。 その男こそが、現在の名義人だった。 つまり、この計画は生前から用意されていた可能性が高い。
サザエさん一家では済まされない事態
「息子が勝手にやったことなんです」と言い訳する依頼人の表情に、波平のような威厳は感じられなかった。 マスオさんのような婿養子の立場ではなく、まるでカツオが悪さをしたかのような軽さ。 だが、現実はテレビアニメほどぬるくない。
暴かれる家族の裏切り
子か親か 遺言に隠された選択
「あなたは本当に、その子に家を譲りたかったのですか?」 問いかけに老婦人は黙ってうなずいた。 しかし、その視線の先には写真立てに映る亡き夫と、もう一人の子の笑顔があった。
登記簿が告げたものは事実か希望か
登記簿に記された事実。それが真実であるとは限らない。 むしろ、その背後にある「意志」こそが重要なのだと改めて思う。 書面には残らない思いを、どう読み解くかが司法書士の仕事なのだ。
結末と静かな別れ
静かに事務所を去る老婦人の背中
手続きを終えた老婦人は、静かに頭を下げて事務所を後にした。 夏の陽射しの中、その背中はどこか満足げに見えた。 最後に一言、「ありがとう」とだけ残して。
シンドウの独り言とサトウさんの無言
私は大きく背伸びをして、ふぅとため息をついた。 「やれやれ、、、これだから人間関係は厄介だ」 サトウさんは何も言わず、冷えた麦茶を机に置いていった。