ある日届いた相続の相談
事務所にかかってきた一本の電話は、ありふれた相続登記の依頼に思えた。依頼人は中年の女性で、亡くなった兄の不動産について相談したいという。聞けば、相続人の一人はまだ十五歳の少年。
「未成年か…ちょっと面倒だな」思わず口に出た独り言に、横でサトウさんが小さくため息をついた。やれやれ、、、また複雑なやつが来た。
すでに仕事は山積みなのに、こういう案件に限って一筋縄ではいかないのが常だ。嫌な予感が背中を撫でた。
サトウさんの冷静な観察眼
「登記簿見ます?」と淡々と画面を開くサトウさんの姿は、まるで刑事ドラマの相棒ポジション。冷静沈着で、しかも抜け目がない。
「この共有持分、変ですよね。母親のものが一度減って、また戻ってる。」
その指摘にゾクリとする。司法書士としての経験上、こういう波打つ持分は遺産トラブルの予兆だ。
未成年者が相続人?という違和感
未成年者が単独で相続人になるというだけでも慎重になるが、このケースでは少年が何かを「知っている」ような空気を纏っていた。
家庭裁判所の許可が必要になることを説明しながら、ふと「彼は自分の意思で何かを決めたがっている」と感じた。
まるで、封印された家族の秘密を暴きたい探偵のように。
登記簿に残された父の足跡
登記簿謄本を広げて、過去の所有権移転履歴を追っていく。昭和末期に取得された土地が、バブル期に借金の担保にされ、最終的に兄と妹の共有になっていた。
「この兄って、亡くなったって言ってた人?」 「はい。登記簿では名義変更されていません。相続登記は未了です」
そこには、誰にも語られなかった父の経済的転落の跡がくっきりと残っていた。
不自然な共有名義の構成
さらに奇妙だったのは、妹である依頼人が一時期その土地のすべてを保有していた時期があったことだ。なぜ、再び兄との共有に戻ったのか。
「差し戻し?」と口にした瞬間、サトウさんが「たぶん、誰かが譲渡したことに気づいて騒いだんですよ」と即答した。
その“誰か”とは誰なのか。名義の裏にある人間関係が騒がしくなる。
亡くなった父の二つの顔
調査を進めると、亡くなった父親には二つの家庭があった可能性が浮上した。正妻との間の子供たちと、もう一方の女性との間に生まれた少年。
「昼ドラみたいですね」とサトウさんが呟く。だが、この“昼ドラ”は現実だ。そして相続とは、こうした現実の泥臭さをすくい上げる仕事でもある。
「だから俺は、サザエさんくらい平和な家庭が理想なんだよ」とボヤくと、サトウさんが「波平さんも意外と腹黒いかもしれませんよ」と返してきた。
争う親族たちの証言
依頼人を含む兄弟姉妹が事務所に集まり、それぞれが自分の正当性を主張し始めた。言葉の応酬は、もはや法廷ドラマのようだった。
「兄は全財産を私に譲ると言っていた」「いいや、あの家は元々私たちのものだ」 サトウさんは黙ってメモを取りながら、何かを確信しているようだった。
「証言の食い違いが大きすぎますね。どこかに決定的な資料があるはずです」
伯父の主張と微妙な沈黙
中でも不自然だったのは伯父の発言だった。「兄さんは遺言を書いたって言ってたよ」 だが、肝心の遺言書はどこにもない。
その言葉に、少年が少しだけ顔をしかめたのを私は見逃さなかった。彼は何かを知っている。そして、おそらくそれは登記にも関係がある。
「黙ってたら、大人の言いなりになってしまうと思ったんだ」
「遺言書があったはず」という言葉
その後も遺言書の話題は出るが、証拠となる文書は見つからなかった。誰かが故意に隠したのか、それとも最初から存在しなかったのか。
「もしあったとして、それを証明するのは?」 「証拠、もしくは証人。でも証人は亡くなってるか、黙ってる」
すべてが霧の中に沈んでいくようだった。
十五歳の少年と一通の手紙
全員が帰ったあと、少年がポケットから一通の封筒を差し出した。「これ、父が亡くなる前に僕にくれたんです」
開封すると、そこには父親の筆跡で「すまない」とだけ書かれたメモと、相続に関する考えが箇条書きで綴られていた。
正式な遺言書ではないが、家族への想いはにじんでいた。
母が語らなかった真実
その手紙には、少年の母が父と事実婚状態だったことも記されていた。戸籍に記録されない関係、だが想いは本物だった。
「なぜこれを最初に出さなかった?」 「母に止められてた。でも、皆が争うのは父も望んでないと思って」
少年の決断が、この争いを終わらせる鍵になる気がした。
少年が隠していた封筒の中身
手紙と一緒にもう一枚の書類があった。それは、父が生前に一度、全財産を少年名義に移そうとしていた際の委任状のコピーだった。
ただし、その後の登記申請は却下されていた。その理由は「未成年者の単独行為によるもの」だった。
やはり、父は何かを残そうとしていたのだ。
偽造された署名と筆跡鑑定
再度、過去の登記書類を精査すると、ある共有名義変更の際の署名に不審な点が見つかった。明らかに同一人物が筆跡を装っていた。
筆跡鑑定により、依頼人が一部の書類を偽造していたことが判明する。 「登記って、怖いですね」とサトウさんが呟いた。
やれやれ、、、本当に怖いのは人間の欲だ。
第三の相続人の影
さらに調べると、登記には記載されていないが、もう一人の隠し子の存在が浮上する。登記簿の外にある“真実”は、まるで怪盗ルパンの置き手紙のように謎を残す。
だが、今回の事件に直接関係しないと判断し、これ以上は追わないことにした。
司法書士にも、探偵にもなれない線引きがある。
登記変更の申請ミスを装った細工
依頼人は「ミスだった」と弁明したが、あまりに不自然な申請内容とタイミングから意図的な操作だったと判断された。
相続登記は最終的に調停の末、少年とその母が主要な相続人として確定した。
「あなたの誠意が、争いを終わらせた」と私は少年に告げた。
鍵を握るのは未成年者だった
この事件で明らかになったのは、登記の形式よりも人の想いの重さだった。未成年だからといって軽く見てはいけない。
「これから司法書士を目指したら?」と冗談交じりに言うと、少年は照れ笑いを浮かべた。
少年の小さな手が、家族の未来を静かに繋いでいったのだった。
争族を止めた一言
調停の場で少年が言った一言がすべてを変えた。「父は、みんなで分けて仲良くしてほしいって言ってたんです」 その言葉に、親族たちは沈黙し、涙を流した。
少年の純粋さに、誰もが救われたのだ。
やれやれ、、、まさか十五歳に説教される日が来るとは。
やれやれ、、、相続ってやつは
事件が終わり、事務所でいつものようにお茶をすする。 「シンドウさん、今日はうっかりしませんでしたね」 「そりゃたまにはキマる日もあるさ。やれやれ、、、相続ってやつは骨が折れる」
サトウさんは苦笑しながら、次の案件の書類を差し出した。 そしてまた、僕らの物語は静かに始まる。