デート中に登記の締切が気になる

デート中に登記の締切が気になる

せっかくのデートでも頭の中は締切だらけ

たまの休日、久しぶりに人と会う予定がある。それだけでも珍しいのに、それが「デート」となれば、なおさら緊張する。ちゃんとした服を着て、少し髪型も整えて、いざ待ち合わせ場所へ。しかし待っている間も、頭の中では登記のスケジュールがぐるぐる回っている。「あの案件、補正入らないといいけど」「あの書類、今日発送できてるかな」…そんなことを考えている自分に、なんだか情けなさを感じてしまう。

カフェの笑顔の向こうにある「登記完了予定日」

隣にいる彼女は、よく笑う。初めてのデートなのに、変に気を遣わせることもなく、自然体でいられるのがありがたい。でも、目の前でコーヒーを飲みながら笑っているその向こうに、頭の中では「今週中に完了予定」と赤く書き込んだカレンダーの画面が浮かんでくる。「期限は過ぎてないよな…」と心の中で反芻しながら、うなずく自分が情けない。

話を聞きながらも脳内では補正リスクを計算

「最近読んだ小説の話なんだけどね」と彼女が話し出しても、正直ほとんど頭に入ってこない。「相手方の登記識別情報、ちゃんと同封してたっけ?」「添付書類に誤字なかったかな…」という確認作業が、脳内で勝手に始まってしまう。ふと「聞いてる?」と聞かれた時に、慌てて「うん、すごく面白そう」と返す自分がまた嫌になる。聞いてはいる、でも100%じゃない。

会話の途中で「法務局」の文字が浮かぶ瞬間

ふとした拍子に、スマホに通知が入る。「法務局からのメールかもしれない」と思ってチラッと確認する。実際にはただのメルマガだったとしても、その一瞬の気のそらし方で、空気が少しだけ冷めたような気がする。「ごめん、仕事の通知かと思って…」と取り繕っても、完全に元の空気には戻らない。やっぱり、心からリラックスして誰かと過ごすなんて、自分には無理なのかもしれない。

通知表より怖い登記識別情報通知の発送遅延

学生の頃、通知表をもらうのが怖かった。けれど今は、それよりも「登記識別情報が届いていない」という連絡の方が何倍も心臓に悪い。郵便が遅れているだけかもしれない。でも、それが依頼人に不安を与え、最悪信用を失うことにもつながる。たとえデート中でも、ポストの状況が頭から離れないのは、職業病というには重すぎる。

「今この瞬間も届いてないかも…」という不安

デートの帰り道、彼女と並んで歩いている時も、ふと「今この瞬間、うちのポストに何も届いてなかったらどうしよう」と思う。そのたびに気持ちは少し沈んでいく。書留の追跡番号まで確認しているくせに、実際に手元に届くまでは心が休まらない。こうやって「楽しいはずの時間」が、少しずつ不安で侵食されていくのが、たまらなくもったいない。

帰宅後すぐポストを確認する自分に冷める

「今日はありがとう。また会おうね」と彼女に見送られて家に着いた瞬間、玄関を開ける前にまずポストを覗く。その姿が、まるで恋人からの手紙を待っている中学生のようで、情けないやら可笑しいやら。封筒を確認して、登記識別情報の通知が入っているとホッとする。でも一方で、「これを気にしてばかりで、本当にいいのか」と自問してしまう。

相手には絶対に言えない、この職業病

どれだけ気になっていても、「今、登記の締切が不安で…」なんて、デートの相手に言えるはずもない。言ったところで伝わるものでもない。ましてや「だから少し心ここにあらずで…」なんて言おうものなら、「え、じゃあ今日なんで会ったの?」となるのが関の山だ。仕事への責任感が強いと言えば聞こえはいいが、ただの余裕のなさなのかもしれない。

「ちょっと気にしすぎかもね」と笑われたいけど

「仕事熱心だね」「ちゃんとしてるんだね」と笑って言ってくれる人がいれば救われる。でも、ほとんどの場合、「そんなに気にする必要あるの?」と言われる。そりゃ、他人から見たら、登記なんて日常の話じゃないし、神経質すぎると思われるのも当然だ。でも、こちらとしては一つの登記ミスが信頼の終わりにつながる世界。気にせずいられるわけがない。

本当は「気にしなきゃ職務怠慢」な世界

登記という仕事は、結果が全てで、過程を評価されることはほとんどない。だからこそ、目に見えないところで神経をすり減らしている。「締切が頭から離れない」のは気にしすぎではなく、むしろ正常な反応なのかもしれない。それでも、他人には理解されにくい。それがまた孤独感を深める。

安心して気を抜ける日なんて…いつだったか

ふと、「最後に心の底から気を抜いた日っていつだろう」と思う。何も考えず、目の前の相手だけに集中できた時間が、果たしてここ数年であっただろうか。おそらくない。こういう働き方をしている限り、それはきっと難しいのだろう。けれど、だからこそ、誰かといる時間には、少しでも笑っていたいと思う。

心ここにあらずの恋愛、それでも会いたい

結局、気になってしまうし、余裕もないけれど、それでも人と会いたいという気持ちは残る。誰かと話したい。ちょっとだけでも、笑い合いたい。仕事のことを完全に忘れられなくても、それでも隣に人がいてくれるだけで救われる気がする。だから今日もまた、ギリギリまで事務所を回して、少しの余白を抱えて出かけていく。

恋愛と仕事、なぜこんなに両立しにくいのか

「バランスを取ればいいじゃない」と簡単に言われる。でも、どちらかを優先すると、もう一方がすぐ崩れてしまう。特に一人事務所は代わりがいないから、恋愛に時間を割けばすぐに業務が積み上がる。逆に、仕事を優先すれば心の余裕がなくなり、恋愛どころじゃなくなる。毎日そのせめぎ合いだ。

ひとり事務所の限界。誰か、代わってくれ

自分の代わりに電話をとってくれる人がいない。登記書類をダブルチェックしてくれる人もいない。だから気になることはすべて自分で背負うしかない。これは誇れることじゃない。むしろしんどい。せめて、誰かとこの疲れを共有できれば、少しは違ったのかもしれない。

それでも「今日が楽しかった」と言ってくれた

そんなこんなで、登記の締切を気にしながらのデートだったけれど、帰り際に「今日はすごく楽しかった」と言ってくれた。救われたような気がした。その言葉ひとつで、また頑張ろうと思える。完全に心を開ける日はまだ先かもしれないけれど、それでも「会ってよかった」と思える瞬間がある限り、もう少し踏ん張れる気がする。

自分にはもったいない時間だったと思う

本当に優しい人だった。笑顔も話し方も、何もかもが落ち着いていて、一緒にいるだけで安心できた。こんなに忙しくて余裕のない自分が、その時間をもらえたことが奇跡のように思える。だからこそ、次こそはちゃんと心から笑いたい。登記のことを考えずにいられる時間を、少しでも増やしたい。

登記の締切と心の余裕は反比例する

当たり前だけど、締切が近づくほど気持ちに余裕はなくなる。登記を仕事にしている以上、これは避けられない宿命だ。けれど、だからこそ意識的に「心の余白」をつくる努力が必要なんだと思う。恋愛に限らず、人と関わるには、ほんの少しの余白が必要なのだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。