心の中で「無理です」って叫んだ日

心の中で「無理です」って叫んだ日

朝のメールチェックで心が折れる

司法書士の朝は、コーヒーよりも先にメールの確認から始まる。メールを開いた瞬間に、心の中で「無理です」とつぶやいた日が何度あったか。たった一晩で30件以上の未読通知。誰もが自分の案件を「急ぎ」と言う。それはもう、まるで火事場の現場指揮官のような状態。緊急対応が複数同時進行で降ってくる日など、どれから手をつけてよいか混乱する。まさに「仕事に殺される」という表現がピッタリだ。

一晩でたまった未読通知の恐怖

夜中に送られてきたメールが、朝の自分を追い詰める。たいていは21時や22時、こちらがようやくパソコンを閉じた頃合いに届いている。そして内容はというと、「至急確認願います」「明日午前中に返答ください」など。まるで相手の都合が世界の基準かのような圧。未読を開封するだけで胃が痛くなる。メールの差出人リストをスクロールするだけで、あぁ今日はきっと詰んでるなと悟る。これはもう、朝の儀式というよりも精神のロシアンルーレットだ。

差出人の名前だけで胃が痛くなる

「あの人からだ」と思った瞬間、手が止まる。毎回細かい指摘をしてくる依頼者、急かしてくる担当者、返答の早さで信用を測ってくるような相手。名前だけで反射的に気分が沈む。まるでホラー映画のBGMが脳内で流れ出すような、そんな感覚。読みたくない、でも読まなきゃというジレンマ。朝から胃薬が手放せない日もある。たった一人のメールで、その日一日が台無しになることすらある。

「ああ、またこの人か」とつぶやく日々

毎度のことながら、「またこの人か」と思ってしまう。そう思う自分が悪いのかとも悩むが、限界は限界だ。返信を書こうとしても、気持ちが追いつかない。タイピングの指が進まない。過去のやり取りを思い出しては、どうせまた…と予測してしまう。それでも返さないわけにはいかない。そうやって、自分の気力を毎日少しずつ削り取られていく。そんな朝が、この仕事には多すぎる。

相談じゃなくて依頼だった件

「ちょっとだけ相談なんですが」と電話が入る。その「ちょっと」が1時間になる。よくある話だ。こちらは事務処理の合間に少し話す程度と思って応じたのに、気づけば調査も調整も必要なガッツリ案件に変わっている。こうした“相談のフリをした依頼”が一番厄介だし、心の消耗が激しい。「これって依頼ですよね」と言いたくても言えない、そんな歯がゆさを毎度抱えている。

「ちょっと聞きたいだけ」が5通も届く

1日で5件、「少しだけ教えてほしいんですが」が届く。全部に丁寧に答えていたら、それだけで午前が潰れる。でも返事をしなければ「冷たい人」と思われる。司法書士の仕事は、無料相談と業務の境界が曖昧になりがちだ。「善意で聞いているだけ」と言われると、言い返しづらい。「時間は有限なんですが」と言いたいのに、口には出せない。このストレス、誰がわかってくれるのか。

無料相談の顔をした有料案件

どう考えても有料で処理すべき内容を、「ちょっとした相談」と言われると弱い。「じゃあ今回はこのくらいで…」と言って終わらせるしかないこともある。でもその“くらい”が重なって、自分の1日が埋まっていく。そういう日は、請求書に載らない仕事でいっぱいになる。何も得ていないはずなのに、ぐったり疲れる。そして「今日は何をやったっけ」と振り返っても、何も残っていない。

「いえ、それは正式なご依頼となりまして…」

ようやく我慢の限界を越えて、「それは正式なご依頼として…」と伝えると、相手の声色が変わる。「え?ちょっと聞いただけなんですけど」と言われてしまう。そんなやりとりをしていると、自分の価値ってなんだろうと考えてしまう。相談されること自体はありがたい。でも、見返りがなければ仕事は続かない。頭ではわかっていても、気持ちがついてこない。

事務員さんが早退した午後の絶望

たった一人の事務員が早退するだけで、世界が変わる。電話対応、郵便の受け取り、来客の応対、全部が自分に降ってくる。書類作成に集中したいのに、その“集中”の時間がゼロになる。やろうと思っていた仕事がどんどん後ろ倒しになっていく。定時を過ぎても、誰も助けてくれない。そんな午後は、心の中で「無理です」どころか「詰みました」と叫びたくなる。

留守番電話が鳴り止まない

電話のベルが鳴るたびに、肩がびくっとなる。すぐ出ても「すみません、●●さんいますか?」「今日はお休みでして…」の応酬。こちらが司法書士であることを告げる間もなく、話し始める相手もいる。パソコンのカーソルが点滅したまま、仕事が止まる。まるで邪魔されるために座っているような気持ちになる。そんな日は、時給制にしてくれと思ってしまう。

「人に任せる」という選択肢がない現実

もっと人を雇えれば違うんだろうけど、地方の個人事務所にはそんな余裕はない。人を育てる余力もない。だから「任せる」という選択肢自体がないのだ。自分でやるしかない。全部、自分で抱えるしかない。そんな状況が何年も続くと、もう「効率化」とか「改善」とかいう言葉が虚しく聞こえてくる。できる範囲でやるしかない。その範囲が狭まっていることには、目をつぶって。

自分が3人ほしいと思った日

今日ほど自分が3人いればと思った日はない。電話を取る自分、書類を書く自分、愚痴を聞いてくれる自分。その3人がいてようやく“まともな一日”が過ごせる。現実にはひとりしかいないから、全部を1人でこなして、最後はぐったりと椅子に沈む。誰かに褒められるわけでもない。給料が上がるわけでもない。ただその日を終えるだけ。それでも続けていくしかないのが、この仕事だ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。