境界杭のそばで死んだ
雨の中の登記相談
しとしとと降る小雨の中、事務所のドアがぎいと音を立てて開いた。現れたのは、長靴に傘をさした中年の男。農作業帰りなのか、全身が泥まみれだった。 「地目変更をお願いしたいんです」と男は言ったが、その表情には妙な焦りがにじんでいた。 司法書士の直感が、小さな違和感にざわつき始めていた。
地目変更をめぐる微妙な依頼
「畑から宅地に変えたいんです。建て替えの予定がありまして」 理由としてはありきたりだ。だが、提出された書類の日付が微妙に古い。そして添付された公図の写しが、なぜかコピーのさらにコピーのように不鮮明だった。 「建築確認の予定地が違っているように見えるんですが……」と口にすると、男は曖昧な笑みでごまかした。
依頼人の嘘と笑顔
「いやあ、兄が管理していたもんでね。詳しくは知らないんですよ」 不自然だった。地目変更の申請をする者が、その土地の使用目的を把握していないということがあるだろうか。 「やれやれ、、、また面倒なのに巻き込まれたか」と心の中でつぶやいた。
登記情報にひそむ不一致
オンライン登記情報を照会してみると、数年前に地目変更の履歴がすでにあった。しかも所有者が最近変更されていたにもかかわらず、その件に触れなかったのはなぜだ? 「他にも土地を持ってるんですか?」と聞いても、依頼人は首を横に振るばかりだった。 背中に薄く冷たい汗が流れた。これはただの地目変更の話じゃない。
土地の境界をめぐる争い
隣地の所有者に電話で話を聞くと、意外な答えが返ってきた。 「あの人、数年前に境界でもめて裁判になりかけたことがあるんですよ」 境界杭をめぐる争いは、まさに泥沼だった。現地には未だに古い杭と新しい杭が並んで打たれているらしい。
サトウさんの冷静な一言
「シンドウ先生、あの人の住所履歴、妙ですよ。移転登記が済んでいないのに転居届が二度も出てます」 デスクに座るサトウさんが、淡々と情報を指し示す。 その指先は、裁判所の判決文と、申請中の農地転用許可証の矛盾をピンポイントで突いていた。
昔の測量図と新しい杭
「これは……サザエさんのオープニングで波平さんが建てた杭がカツオに引っこ抜かれるレベルのズレだな」 そう冗談めかして言いながら、シンドウは旧測量図と新たな杭の位置を照合していた。 明らかに誰かが、土地の面積を拡げようと杭を意図的に打ち直していたのだ。
山奥の原野に眠る秘密
登記された所在地を頼りに、現地に赴いた。そこは昔、炭焼き小屋があったという山奥の原野。 雑草に覆われた土地の一角に、新しいコンクリが流された跡があった。 そして、その中央には見慣れない金属杭がひとつ、異様に目立っていた。
現地確認と長靴と転倒と
足元のぬかるみに注意しながら、杭に近づくとズルリと足を取られ、泥の中へ思いきり転倒した。 「やれやれ、、、これじゃ帰ってもサトウさんに笑われるな」と、泥だらけのスーツを見下ろしつつつぶやく。 だが、その瞬間、杭の根本に埋まっていた小さな金属製の札に気づいたのだ。
地目が変わるとき人も変わる
札には、行方不明とされていた依頼人の兄の名前が彫られていた。 つまり、この杭は単なる測量用ではない。ここが“その人の終着点”なのだ。 地目を変えるという名目で、地表の下に秘密を埋めたのは他ならぬ依頼人だった。
登記簿に記された最期の証拠
土地の所有者が変更された時期と、兄の失踪が一致していた。 登記の付属書類を精査したところ、兄の筆跡に似せた偽造書類が見つかる。 筆跡鑑定の結果は決定的だった。
警察より一足早く
司法書士の役割ではないとわかっていても、ここまで来たら引けなかった。 警察に連絡するより先に、証拠を揃える必要があった。 不動産登記は、嘘をつかない。いや、嘘をついても必ず痕跡を残す。
犯人が仕込んだ一手
依頼人は、すでに国外逃亡を図ろうとしていた。 だが、サトウさんが手配していた法務局の協力で出国直前に拘束された。 「登記申請のとき、あの笑顔が一番怪しかったですね」と彼女は言った。
登記をめぐる動機と執念
兄と共同名義だった土地を、自分のものにするために全てを仕組んだ。 農地のままでは売却できないから、まずは地目変更。兄の不在を利用した完全犯罪。 だが、ほんの些細な登記ミスが、すべてを露見させた。
真実はいつも境界の向こうに
事務所に戻ると、サトウさんが呆れた顔で言った。 「またスーツ泥だらけですね。クリーニング代は先生持ちで」 やれやれ、、、結局、事件よりもサトウさんの言葉のほうが痛いのだった。