なぜか胸が締めつけられる午後に思うこと

なぜか胸が締めつけられる午後に思うこと

ふと胸が締めつけられる午後がある

いつもどおり、朝から依頼対応と電話の応酬。なんだかんだで午前中は目の回るような忙しさ。だけど、午後3時を過ぎたあたり、急に時間が止まったように静まり返る瞬間がある。ふと椅子にもたれ、カレンダーを見る。そこで、不意に胸がギュッと締めつけられる。特別な出来事があったわけじゃない。ただ、妙に「自分は一人なんだな」と思うだけだ。

忙しさが一段落した“すき間”にくるもの

多分あの感じは、心にできた“すき間”に流れ込んでくるものなんだろう。ひたすら書類を作って、電話を取って、役所とやりとりしてる間は感じない。でも、一息ついたときに、それまで封じ込めていた感情が顔を出す。ちょうど冬の縁側にポツンと座る猫のように、何でもないのに、なぜか寂しい。事務所にいる事務員も、気を遣ってくれてるのか、そういう時はそっとしておいてくれるけど、その静けさがかえって胸にくる。

電話の鳴らない静けさが、妙にこたえる

電話が鳴っている時は「またか」とうんざりするくせに、まったく鳴らない時間が続くと今度は不安になる。あれだけ求めていた“静かな時間”が、いざ訪れると何もできなくなる。音がない事務所は、まるで誰も自分を必要としていないように錯覚させる。この静けさが怖いんだ。無音が、無関心に変わっていくような気がして。耳が慣れてくると、自分の鼓動だけがやけに大きく聞こえる。

「やることがない」のではなく「誰もいない」

タスクがないわけじゃない。期限までまだ余裕のある書類作成や、チェックすべき資料は山ほどある。でもそれに手が伸びない。やる気がないんじゃない。誰とも言葉を交わさず、独りでそれらに向き合う気力がわかないのだ。誰かが「お疲れさまです」と言ってくれるだけで変わるのに、その誰かがいない。自分が社会の中にいるという実感が薄れていく。

司法書士という職業の、孤独な側面

人と接する仕事でありながら、深くつながることは少ない。それが司法書士という仕事の特徴でもある。感謝の言葉をもらっても、その人とは基本的に一回きり。業務が終われば、はいサヨナラ。こちらが感情を乗せたところで、相手には伝わらない。結局のところ、“手続き”に人間味を求めること自体、無理があるのかもしれない。

感謝される仕事なのに、なぜか虚しくなる

「ありがとうございました」「助かりました」そんな言葉を言われても、心に残らない日がある。形式的な感謝よりも、その人の“人生の一部に触れた”という実感が欲しいのかもしれない。でも、それは求めすぎなのかも。手続きが正確に完了すればそれでいい。それがこの仕事の役割。割り切れと言われればそれまでだけど、人間ってそんなに機械みたいにうまく割り切れない。

「ありがとう」の重さと、心の空白

心のどこかで「この人、ほんとに感謝してるのかな」と疑ってしまう自分がいる。それがまた情けない。でも、そう思ってしまうのは、自分の心が疲れている証拠なのかもしれない。言葉が軽く聞こえてしまうのは、こちらの受け皿がもういっぱいな証でもある。「ありがとう」を素直に受け取れない自分に気づいたとき、ますます胸が締めつけられる。

“手続きのプロ”であっても、心の整理は下手

法的な手続きや書類の整備には自信がある。でも、自分自身の感情の整頓はまったくと言っていいほど苦手だ。誰かの相続の手続きを手際よく進めながら、ふと自分の老後のことを想像してしまう。何のために働いているのか、自分が何を残せるのか。プロとしての仕事はできても、個人としての自分は曖昧なまま。そういうとき、また胸がギュッとする。

モチベーションが急にしぼむ瞬間

朝は「よし、今日も頑張るぞ」と思っていたのに、午後になると急激にやる気がなくなることがある。自分でもコントロールできないその波に振り回されて、ただただ疲弊する。周りには「バリバリやってます」と見せているけど、内側はしおれてる。そんな日は、一日がやけに長い。

やってもやっても終わらない感覚

書類を一つ片付けても、また新たな書類が机の上に積まれる。まるで永遠に終わらないレゴの組み立てをしているみたいだ。完成のイメージが見えないから、ゴールの達成感もない。おまけに、間違えれば責任はすべてこちらにくる。そりゃあ疲れる。そりゃあ心が折れそうにもなる。

働いているのに、何も築けていないような錯覚

日々の労働は、確かにこなしている。でも、それが積み重なって何か“形”になっているのかと問われると、自信がない。建築士なら建物が残る。料理人なら味の記憶が残る。でも司法書士は、書類だけ。誰の記憶にも残らない労働って、どこかむなしいんだ。

「報われなさ」と「生活のため」の板挟み

この仕事を選んだときは、誇りを持っていた。自分の手で誰かの人生をサポートできるなんて、素敵なことだと思ってた。でも今は、生活のためにやってるという気持ちの方が強い。「辞めたい」と思っても、じゃあ他に何ができる?そう考えるたび、逃げ道はない。立ち止まるしかない。そして、また胸が痛む。

それでも仕事を続ける理由

正直、何度も辞めようと思ったことがある。孤独で、責任だけ重くて、報われる感覚も薄い。でも、それでも続けているのは、ほんの些細な出来事が心を支えてくれるからだ。誰かの笑顔だったり、たった一言の言葉だったり。それだけで、あともう一日だけ頑張ってみようと思える。

たまに届く依頼者の言葉が支えになる

この前、ある依頼者が帰り際にぽつりと「先生がいてくれてよかったです」と言ってくれた。その言葉に、涙が出そうになった。普段は絶対に表に出さないようにしているけど、その日は事務所に一人戻ってから、少しだけ泣いた。そんな瞬間のために、やってるのかもしれない。

「あなたに頼んでよかった」が、消えかけた火を灯す

数年に一回くらい、本当に心から感謝してくれる人に出会える。その「あなたに頼んでよかった」の一言が、消えかけていた心の火を再び灯してくれる。司法書士としての役割を果たせたという実感は、報酬や効率とは違う“深さ”がある。

自分の価値を、他人の人生で確認するような日々

矛盾しているけど、自分の存在意義を他人の人生で測ってしまうことがある。誰かの人生にとって、ほんの少しでもプラスになれたのなら、それが自分の価値になる気がしてしまう。そんな不安定な土台に立ってる自覚はあるけれど、今はそれでなんとか立っていられる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。