ラーメン屋のカウンター席にしか救われない夜がある

ラーメン屋のカウンター席にしか救われない夜がある

ラーメン屋のカウンター席にしか救われない夜がある

あの席だけは、何も聞いてこない

誰かと会話する気力もない夜がある。かといって、家で一人でコンビニ飯を広げるほど割り切れているわけでもない。そんな中途半端な夜、つい立ち寄ってしまうのが、近所のラーメン屋だ。カウンターだけの小さな店。店主は多くを語らないし、こちらも特に話したくない。だけど、黙って座れば、何も聞かずに「いつもの」を出してくれる。司法書士として、昼間は常に“答え”を求められる毎日だ。でもこのカウンター席だけは、問いも答えも求めてこない。ただ黙ってそこにあってくれる。

「こんばんは」も言わない店主が、ありがたい

最初は少し寂しく感じたものだ。入店しても「いらっしゃい」もなければ、帰りも「ありがとうございました」さえない。ただ黙々とラーメンを作っては運び、こちらの目を見ようともしない。でも今はそれがありがたい。誰にも気を使わなくていい場所って、思ったより少ない。仕事では気を配り、近所では世間体を気にする。そんな世界で、「誰にも期待されない場所」があることが、どれだけ貴重かを痛感する。

誰にも気を使わない空間に、肩の力が抜ける

カウンター席に腰掛けて、背中を丸める。正直な姿勢だ。昼間は姿勢よく話を聞き、理路整然と依頼者に説明し、無理な書類にも対応する。でもこの席では、背筋が丸まっていても誰も見ない。声が出なくても問題ない。食券機の前で悩んでいても誰も急かさない。誰にも気を使わないということは、こんなにも楽なのかと、スープを一口すするたびに実感する。

それでも“常連”として覚えられたときの戸惑い

何度も通ううちに、ある日、店主が「味玉、つけといた」と言った。その瞬間、心のどこかに動揺が走った。「ああ、自分はここでも“誰か”として認識されてしまったのか」と。なぜか焦った。でも次の瞬間、じわっと胸があたたかくなった。自分の存在がここにもちゃんとある。それは否定じゃなく、肯定されているという感覚だった。

孤独を食べるようにラーメンをすする夜

司法書士の仕事は、思った以上に人間関係の仕事だ。書類を相手にしているようで、実はずっと人の感情を受け止めている。だからか、帰り道は心がすっからかんになる。そんなときにラーメン屋の灯りを見ると、ほっとする。誰かと一緒じゃなくても、そこに「自分のための一杯」があると思えると、少しだけ孤独が和らぐ。

事務所にこもった12時間の終わりに

朝から夕方まで相談対応、書類作成、登記申請、電話応対、近隣トラブルの調整。気づけば20時を過ぎている。誰とも目を合わせたくないほど疲れた日は、コンビニにも寄らず、そのままラーメン屋へ。時間が遅くなるほど店内は静かで、照明も少し暗め。騒がしさがないから、ようやく自分の呼吸に気づける気がする。

晩飯というより「誰かに会わない時間」が欲しい

「空腹を満たす」というより、「静けさに沈む」ことが目的なのかもしれない。家に帰ればテレビがある。スマホもある。でもそのどれもが、情報を押し付けてくる。ラーメン屋のカウンター席には、沈黙と湯気しかない。ようやく「自分だけの時間」を噛みしめられるのだ。

独身司法書士、誰にも気づかれない疲労

独身であることを選んだつもりはない。でも気がつけば一人で生きていた。誰かと暮らしていれば、少しは愚痴をこぼす相手もいたのだろうか。いや、逆に気を使って言えなかったかもしれない。結局、一人だからこそ言えない感情もある。でもそんなとき、ラーメン屋のあの席に座るだけで、少し報われた気になる。

「楽な仕事でしょ?」と言われるつらさ

「司法書士って机に座って書類作ってるだけでしょ?楽そうでいいね」――そんな言葉を言われた日は、夜がしんどい。こちらの気持ちを知らずに、軽く言われた一言が、やけに深く刺さる。誰も見ていないところでの苦労は、評価されないとわかっている。でも、それでも傷つく。そんな夜に、あの店の湯気と、静けさが、染み込む。

“専門職”のくせに感情労働ばかりしている

法律の知識だけではこの仕事は成り立たない。相続にしても、登記にしても、背後には必ず「家族」の物語がある。そして、その感情をすべて受け止めなければ、手続きは進まない。理屈の世界に生きているつもりが、気づけば感情の波に巻き込まれている。疲れないわけがない。でも誰にも言えない。だからこそ、ラーメン屋のスープが、心にしみる。

せめてラーメンぐらい黙って食わせてほしい

外食ですら、隣の席から話しかけられると気が休まらない。「この仕事って食えるの?」とか「なんの資格?」とか。親切心なんだろうけど、今は一人で食べさせてくれ、と思う。だから、会話のないラーメン屋はありがたい。あの無言の空間が、日常では得られない“休憩”をくれる。

カウンターに座ると、言い訳がいらなくなる

「なんで結婚しないの?」「将来どうするの?」そんな問いは、外では常につきまとう。でもカウンター席にはそんな質問はない。湯気の向こうには、正解もアドバイスも存在しない。ただ今この瞬間、自分のための一杯があるというだけ。それで十分だと思える瞬間が、今の自分を支えてくれている。

家庭も恋人もいないけど、今夜はそれでいい

孤独であることに不安がないわけじゃない。でも、だからといって無理して誰かといるのも違う。中途半端な関係を続けるくらいなら、あのラーメン屋のカウンターで一人、黙ってスープをすする方がよっぽど心地いい。そんな夜があるから、また明日もなんとかやっていける。きっとそういうものだと思う。

「このままでいいのか」より「この一杯でいいや」

将来への不安、孤独、仕事のストレス。全部を抱え込んだまま、答えが出ないままの日々。でもそれでいいじゃないか、とふと思える夜がある。ラーメンの湯気が目にしみて、涙なのか汗なのか分からない。でもその瞬間、少しだけ自分を許せる。カウンター席は、そんな夜のために存在しているのかもしれない。

未来の不安より、今の湯気が心にしみる

人生の岐路とか、転機とか、そんな大それたものはない。ただ日々をやり過ごすだけの中で、一杯のラーメンがくれる「今、ここにいる」という感覚。それだけで、十分救われる夜がある。だからまたあの席に座るのだ。何も答えてくれないけど、何も否定しない席に。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。