雨が降ると事務所が静まりかえる理由
朝、目が覚めて窓の外が白くけぶっていると、もう気分が沈む。雨の日は、電話が鳴るより先に「今日は誰も来ないかもしれないな」と覚悟している自分がいる。地方で司法書士事務所を営んでいると、来所予定のキャンセルが天気と密接に連動しているのを実感する。特に高齢のお客様が多いこの地域では、足元が悪い日は「また今度にします」という連絡が当たり前のように入ってくる。たった一人の来所がなくなるだけで、その日のリズムがガラリと変わるのだから、雨の日は事務所全体が心ごと沈んでしまう。
突然のキャンセル連絡、そのたびにため息
「すみません、今日は雨なので……」と申し訳なさそうな声でかかってくる電話に、最初は「仕方ないですよ」と笑顔で返していた。だけど、3件、4件と続くと、さすがに笑えなくなってくる。せっかく前日から書類を準備して、段取りを組んで、朝も早めに出勤していたのに、それが無意味だったかのような虚無感に襲われる。まるでドミノ倒しのように、予定が崩れていくのを感じながら、ただ机に座る時間が増える。
「今日は無理です」の一報が心にくる
雨の日の朝に来る「今日は無理そうです」の電話一本で、心の中がズンと重くなる。この仕事は、人と会って話をして、そこで信頼を積み重ねていく。だからこそ、予定していた面談が流れると、ただの予定の変更ではなく「今日の意味」が失われたように感じるのだ。もちろん相手を責める気はない。でも、こちらも人間。準備にかけた時間や気持ちの切り替えが、一気に崩れるあの感覚は、なかなか慣れるものじゃない。
予定が崩れるだけでなく、気持ちも乱れる
予定がなくなると、何をしていいかわからなくなる。やるべき仕事はいくらでもあるのに、急に空いた時間をどう埋めていいかわからず、手持ち無沙汰になる。それに、空いた時間に別の仕事をねじ込もうとすると、今度は心がついていかない。気持ちを切り替えるのに時間がかかるのは、歳のせいなのか、それともこの仕事の性質なのか。とにかく、ただ「ぽっかり空いた時間」に呆然とするしかない瞬間が、雨の日には何度も訪れる。
来所を前提に組まれたスケジュールの脆さ
司法書士の仕事は「人と会ってなんぼ」の面が大きい。だからこそ、来所予定が崩れると、まるで土台から揺さぶられるような不安に襲われる。事務所の運営、進行中の案件、報酬の見込み、すべてが「誰かが来てくれる」ことを前提に組まれている。たった1日でも、面談が飛べば、契約も登記も先延ばしになる。地方では特に、1回逃すと次は1週間後、なんてことも珍しくない。だから雨が降ると、ただの天気以上に重くのしかかる。
一人のキャンセルが一日のペースを狂わせる
たとえば10時に来るはずだった方が来なくなるだけで、その日の流れは大きく変わる。午前の集中タイムが吹き飛び、午後の予定をずらさなければならないこともある。1人の予定がキャンセルになったことで、その後の調整が必要になると、事務員との連携もバタつく。普段は何でもない段取りが、妙に神経を使うものに変わってしまう。まるで歯車が一つ欠けた機械のように、事務所のテンポがぎくしゃくしてしまう。
キャンセルが続くとやる気まで持っていかれる
午前も午後も予定がキャンセルになってしまった日は、本当に心が折れそうになる。せっかく朝から意気込んで準備していたのに、それが空振りに終わった虚しさ。なんなら、自分の存在価値まで疑いたくなるほど。頑張ることが報われない感覚って、想像以上にしんどい。そういう日は「今日は早めに帰ってもいいかな」なんて思いながらも、事務所にいるだけでなんとなく時間を潰してしまう自分がいる。
結局、机に向かっても手につかない現実
「じゃあ、空いた時間で溜まった書類処理をやろう」と思っても、気持ちが乗らない。デスクに向かってみても、集中力が散漫で、一つひとつの作業に時間がかかる。事務員のキーボード音がやけに響いて、なんだか自分が置いていかれているような気にもなる。結局、無駄にネットニュースを眺めたり、意味もなくファイルを整理してみたりと、生産性の低い時間を過ごしてしまう。これがまた自己嫌悪を招くのだ。
天気のせいにしたくなる日がある
「今日は雨だから仕方ない」そう言い聞かせる日がある。そうでもしないと、やり場のないモヤモヤをどこに向けていいかわからなくなる。天気という“どうしようもない外的要因”に責任を押し付けることで、自分を納得させる。だけど、心の奥では「本当は自分に魅力がないからじゃないか?」という疑いも渦巻く。そんな日は、自分の存在意義まで揺らいでしまいそうになる。
「自分に魅力がないからでは?」という疑念
司法書士なんていくらでもいる。じゃあ、なぜ自分を選んでくれるのか。そんなことを雨の日に改めて考え始めてしまう。キャンセルが続くと、依頼人との信頼関係もどこかあやふやに感じてしまう。自分にとっては大事な一件でも、相手にとっては「雨だからやめとこか」程度のものなのかもしれない。そう思うと、自分の仕事そのものが薄っぺらく思えてくる。たった一本の電話が、そんな負の連鎖を呼び起こしてしまう。
雨のせいにできるうちはまだマシ
逆に言えば、「雨だから」と思えるうちは、まだ心が元気なのかもしれない。少なくとも、自分を責めずに済むからだ。だけど、そういう逃げ道がなくなると、本当に自分の中の何かが崩れていく気がする。事務所に響く雨音が、いつしか自分の中の空洞を鳴らしているような錯覚さえ覚える。静かな雨の日ほど、心の声が大きくなる。
孤独と不安がしみ込む午後の時間
午後3時、誰も来ないまま時間が過ぎると、静けさが重くのしかかってくる。事務員も言葉を発しなくなり、電話も鳴らず、ただ時計の音だけが響く。こんな時、独身の自分には話しかける相手もいないし、帰りを待つ人もいない。ふと、「この仕事、ずっと一人で続けるのか」と思ったりする。雨の午後は、現実だけじゃなく、未来までも滲ませてしまう。