SNSの向こうのキラキラ司法書士を見て、ため息が止まらない夜に

SNSの向こうのキラキラ司法書士を見て、ため息が止まらない夜に

SNSの向こうのキラキラ司法書士を見て、ため息が止まらない夜に

SNSを開くたび、心がざわつく

仕事がひと段落して、ようやく机に座ってスマホを開く。ふとInstagramやTwitterを見てしまうと、眩しい世界が広がっていて、なんだか自分が場違いな気がしてくる。お洒落なスーツ姿、豪華なランチ、研修会でのキラキラした集合写真——そういう投稿を眺めながら、「同じ司法書士のはずなのに、俺は今日、コンビニおにぎりだったな」なんて思ってしまう。別に比べたいわけじゃない。でも、心が勝手に反応してしまう。

なぜか毎回「自分と比べて」しまう

比べても意味がないとわかっていても、人はどうしても他人の生活と自分のそれを天秤にかけてしまうものだ。特にSNSは「見せたい瞬間」だけを切り取っているのに、それを「その人の全部」だと思い込んでしまう。投稿主は悪くない。問題は受け取り手の自分の心だ。今日は事務所に来たのが僕ひとり。誰にも会わずに18時を過ぎ、机に放り投げた書類を横目にスマホを見ると、あの人は「東京司法書士○○会の交流会でパネル登壇しました!」と笑っていた。心がギュッと締め付けられた。

見せたいものしか見せてないとわかっていても

Instagramのストーリーで「休みなしで働いてます」と言いながら、おしゃれなカフェにいたり、名刺交換を山ほどしている姿を見せていたりする人がいる。それはそれで努力の結果なんだろう。でも僕は、名刺の枚数よりも請求書の金額のほうが気になる。そんな余裕がなくて、自分の今日の成果は「FAXが詰まったのを直した」くらいしかない。見せたいものしか見せない。わかってる。だけど、それでも見せられたキラキラに、心がズシンと沈む。

「いいね」の数が自己肯定感を削ってくる

自分の投稿にはせいぜい数件の「いいね」。一方であの人の投稿には100以上。人と比べるための数字が目の前にあるって、なかなかに残酷だ。SNSが自己肯定感を削る刃物みたいに見える時がある。僕も昔は投稿してたけど、反応の薄さにどんどん気持ちが沈んで、今ではめったに何も書かない。承認欲求が悪いんじゃない。満たされなさが、そもそも日常にあるんだ。

同じ司法書士なのに、どうしてこうも違うのか

同じ資格、同じ業務、同じ制度の中で生きているはずなのに、どうしてここまで違うんだろうと思うことがある。SNSの中の彼らは、仕事も人脈も報酬もすべてが充実しているように見える。それに対して自分はといえば、地元の法務局に書類を持ち込み、ついでにスーパーで半額のお惣菜を買って帰る毎日。人としての価値が違うのかと、自分を責めたくなる時もある。

肩書きは同じでも、ステージが違いすぎる

「司法書士です」と名乗れば、街の人にはすごいと思われることもある。だけど、SNSの中の彼らは講演や本の出版、動画配信など、まるで別世界の住人だ。もはや「士業」じゃなくて「タレント」に近いんじゃないかと思うことさえある。自分がいるのは、田舎の2階建ての小さな事務所。電話が鳴るかどうかも読めない日々。そりゃあ違って当然かもしれないけれど、それを目の当たりにするのは、やっぱりしんどい。

「勝ち組司法書士」と「日々なんとかやってる自分」

たまに「月商◯百万」とか「登記件数年間◯千件」といった投稿を見る。すごいなと思う反面、「それって本当に現実なのか?」と疑う自分もいる。でも疑ったところで、自分の通帳残高は増えない。勝ち組と日々なんとか生きている組、その差はどこで生まれたんだろう。努力の差?環境の差?才能の差?考え始めると、堂々巡りで頭が痛くなる。

地方と都会、独立と法人、差が出るのは当然?

「地方で開業してる時点で限界あるよ」と自分を慰めたりする。でも、それって逃げなんじゃないかとも思ってしまう。法人で人を雇い、都市圏で営業展開してる人と、僕のようにひとりで地味にコツコツやってる人間とでは、スタート地点も違えば、土俵も違う。じゃあ、自分はどこで勝負すればいい? それがわからないまま、今日も書類を仕上げる。

事務所の現実は、SNSには載せにくい

SNSに載せられるような派手な案件は、そうそうない。むしろ、相続放棄の書類の確認や、認知症の親の成年後見の相談といった、地味で人に話しにくい案件が多い。それでも、それが誰かの役に立っているとは思う。だけどSNSでは映えない。だからと言って、その仕事が価値のないものだとは、決して思いたくない。

雑務、クレーム、請求書…誰も見せたがらない裏側

仕事の大半は、雑務や確認、問い合わせ対応だ。たとえば「まだ登記完了してませんか?」という電話一本で、30分の説明が必要になることもある。しかもその対応が請求に反映されることはほぼない。そういうリアルをSNSで共有しても、「いいね」は来ない。でも、それが本当の仕事の姿だと思っている。

一人事務員に支えられて、ギリギリの日々

うちの事務所には、ひとりだけ頼れる事務員さんがいる。彼女がいなければ、たぶんもうとっくに潰れていたと思う。細かい書類のチェックや、電話対応もすべて任せきりだ。けれど、彼女も体調を崩せば即戦力がゼロになる。小さなチームのもろさは、SNSの「組織の強み」とは真逆の緊張感がある。

繁忙期は孤独がピークになる

3月や12月など、登記の繁忙期になると、事務所はパンク寸前になる。相談の予約は詰まり、書類の山が机を占拠する。でも、誰とも話せず、事務員とたまに交わす一言が「コピー機詰まりました」だけの日もある。そんな中、SNSでは「今年も大成功でした!感謝!」の投稿。どこかで感情のズレが生まれてしまう。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。