何気ない一言に傷つく日もある
「大した仕事じゃないでしょ?」と笑いながら言われたことがある。それは旧友との飲み会だった。彼は会社員、私は司法書士。彼が酔った勢いで放ったその言葉に、笑って返したものの、内心ではザラリとしたものが残った。日々の仕事が軽んじられたような感覚は、時間が経つほどにじわじわと胸の奥に広がっていった。世間の見え方と実情とのギャップに、何度も心をすり減らしてきたが、この時ばかりは無性に虚しくなった。
「楽そうだね」に笑って返す自分が嫌になる
「ほとんど座ってるだけなんでしょ?」「電話取って、書類まとめるだけじゃん」…こんな言葉を何度耳にしただろうか。たしかに肉体労働ではない。けれど、書類の1枚1枚に責任が乗っかっている。名前のミス、日付のズレ、それだけで案件全体がストップする。軽い気持ちで言われた言葉に「まあね」と返す度、自分の価値まで小さくなっていくような気がする。
専門職という肩書の裏で、こっそり飲み込む感情
司法書士というと「資格があるからすごいね」と言ってもらえることもある。だが実際は、取った資格の先に待っていたのは地味で、誰にも気づかれない苦労の連続だった。書類の不備があれば、自分の責任。役所と顧客の板挟みにあい、怒鳴られることも珍しくない。そんなことをいちいち外には出せず、ただひとりで飲み込む日々。笑顔の奥では、何度も自問している。「これって、そんなにくだらない仕事なのか?」と。
司法書士って、本当に“ただの書類屋”ですか?
ある日、依頼者に言われた。「先生って、ただ書類つくってるだけでしょ?」。その瞬間、心の中の何かがカチリと音を立てた。その人に悪気はなかったと思う。ただ、書類というのは、依頼者にとっての“安心”の土台なのだ。私たちは、その“安心”を確実に形にするために、見えない努力と緊張の中で仕事をしている。誰でもできると思われがちだが、だからこそ正確さと経験がものを言う。
机の上の書類1枚に込めた想い
登記書類ひとつにしても、誤字脱字は命取り。法務局のチェックは想像以上に厳しく、記載ミスがあれば突き返される。時間も手間も無駄になる。依頼者には「今日中に何とかして」と言われ、プレッシャーだけが積もっていく。それでも、一字一句を確認して、不備がないように仕上げる。それは、信用を守るための小さな戦いだ。ひとつ終えるごとに、静かな達成感がある。そしてその達成感は、誰かに分かち合えるものではない。
失敗の許されない仕事に日々追われる
司法書士の仕事は、失敗してからでは遅い。事前準備と段取りが命。登記、供託、相続関係の書類――一つでもミスすれば信頼を失う。顧客は内容を理解せずとも、こちらにはすべてを見抜く目と判断が求められる。常に細部まで気を張り続ける日々は、見た目以上に消耗する。
登記が遅れれば、全責任はこちらです
「あの土地の登記、明日中に済ませてください」。そんな無茶ぶりもある。でも断れないのがこの仕事。依頼者は背景の事情を説明しないし、こちらも聞かない。でも、間に合わなければ「司法書士のせいだ」と言われる。急なトラブルが起きても、誰も肩代わりはしてくれない。
「簡単そう」に見せる努力って、報われにくい
スムーズに終わる仕事ほど、「楽そう」と言われる。けれど、それは事前に入念な準備をしているからこそ。例えるなら、料理人が開店前に仕込みを終えておくようなものだ。見えない努力を見せないのがプロだと言われるけど、それが一番しんどい時もある。
地方事務所のリアル:ひとり司法書士の孤独
地方の小さな事務所。事務員はひとり、あとは私ひとり。営業から対応、書類作成、申請、顧客対応まで全部やる。都会とは違い、分業は難しい。ひとりで何役もこなす日々は、知らず知らずに心身を削っていく。
雑務も全部、自分でやる毎日
プリンターの紙詰まりも、自分で直す。お茶出しも、自分。郵送の手配、行政からの電話、急な来客…誰かに頼る余裕がない。雑務に追われて、本来の専門業務に集中できない日もある。それでも誰も代わってくれない。静かな怒りを、無理やり飲み込んで、また書類に向き合う。
パートさんの前では気丈に、でも本音は…
うちの事務員さんは真面目でよく働いてくれる。でも、彼女の前で弱音は吐けない。だからひとりのとき、ふとした瞬間に虚しさが襲う。こんなに頑張っても「大した仕事じゃない」と言われるなら、なんのためにやってるんだろう――。そんな考えが、頭をよぎる。
モテない。独身。だから何だというのか
よく「先生ってモテそうですね」なんて言われるが、事実はその逆。土日も仕事、趣味もほとんどない。気づけば、恋愛も遠ざかっていた。誰かに頼ることができれば、もう少し違ったのかもしれないが、それも幻想。結局、今日もひとりで弁当をつつく。
世間が描く“成功”とは少し違う場所にいる
立派な肩書があっても、収入が安定していても、「すごいね」と言われるだけで心は満たされない。SNSで見るような“勝ち組”の人生とは、どこか違う。だけど、自分には自分の道があると信じたい。たとえそれが、静かで孤独であっても。
誰にも頼れず、でも誰かに褒められたい
小さな子どもが「えらいね」と言われて嬉しいように、大人だって誰かに認められたい。でも、司法書士はそれを誰からも言われない。だからこそ、せめてこの場で言わせてください。「今日もがんばった自分、えらい」って。
それでも、この仕事を辞めなかった理由
何度も辞めたいと思った。でも、やっぱりこの仕事を続けているのは、どこかで人の役に立っていると信じているからだ。誰かの不安を、安心に変えるために書類を整える。それが私の役割であり、存在意義なのかもしれない。
困っている誰かの「助かった」に救われる
先日、相続で悩んでいた高齢の女性がいた。戸籍集めから登記申請まで一緒に進め、最後に「ほんと助かりました」と頭を下げてくれた。その瞬間、心の奥で何かがじんわりと温かくなった。報酬より、肩書より、この言葉が何よりのご褒美だ。
司法書士にしかできないことが、確かにある
AIや自動化の時代にあっても、対人でしかできない配慮や気づかいが、司法書士には求められる。だからこそ、無くならない仕事だと信じている。まだまだ不器用で、完璧じゃないけれど、この道を選んだ自分を否定しないために、明日も机に向かう。
顔の見えない「ありがとう」が心を支える
書類を送っただけ、電話で話しただけの依頼者からも、ふとした瞬間に「ありがとう」と言われることがある。顔も知らない相手なのに、不思議とその一言が染みる。そして、それがまた次の一歩をくれる。
小さな誇りで、なんとか明日も生きていく
派手な実績もなければ、賞をもらったこともない。それでも、「今日も無事に終えられた」という小さな誇りがある。その積み重ねが、自分を支える。たとえ誰かに「大した仕事じゃない」と言われても、私にとっては、大切な仕事なのだ。