年末調整が嫌いなだけで心が折れそうになる日

年末調整が嫌いなだけで心が折れそうになる日

年末調整が嫌いな理由は単純じゃない

年末調整が嫌いだと口にすると、「ただの事務作業でしょ?」と言われることがある。でも、違うんだ。あの作業には、ただの紙仕事を超えたプレッシャーが詰まっている。期限が迫る中、年末のバタバタと重なって、ただでさえ忙しい日常に追い打ちをかけてくる。しかも間違いが許されない。そんな時に限って、事務員が風邪を引いたり、プリンターが紙詰まりを起こしたりする。年末調整って、書類を通して精神を削ってくる“静かな暴力”なんじゃないかと思う時がある。

ただの書類じゃない その向こうにある地味なストレス

年末調整の用紙って、なんであんなに字が小さくて読みにくいんだろう。老眼が始まったのか、最近ますます辛い。加えて、保険料控除だの扶養控除だの、毎年微妙にルールが変わっていて、調べ直しが必要になる。正直、「もう電子化してくれ」と心の底から思うけど、結局紙で持ってくるお客さんも多い。書類1枚1枚がまるでボクシングのジャブみたいにじわじわ効いてきて、年末が近づく頃には、気持ちがどんよりと沈んでしまう。

毎年同じことを繰り返しているのに慣れない不思議

司法書士として10年以上やってきて、年末調整も当然毎年の恒例行事だ。それなのに、なぜか「慣れた」と感じることがない。むしろ、年々しんどくなっている気がする。たぶん、他の仕事の負担と重なってくるからだろう。登記の締め切りもある、相談対応も増える、そこへ来ての年末調整。何かひとつでもミスをしたら、年明け早々に怒られるのは自分。そう思うと、気持ちがどんどん重くなる。

誰のための作業なのかと自問してしまう瞬間

お客さんの年末調整のサポートをしていて、ふと「これって誰のための作業なんだろう」と考えることがある。お客さんのためなんだけど、そのお客さんは「やってもらって当然」と思っている節もあって、感謝の言葉すらない時もある。こっちはサービスで対応してるだけなのに、それが当たり前になってしまうと、どこか虚しさが残る。年末調整に向き合うたびに、モチベーションの燃料がじわじわ減っていく感覚だ。

司法書士業と年末調整の微妙な関係

司法書士として働いていると、年末調整が本業ではないとわかっていても、なぜか避けて通れない。特に地方では「ちょっと聞いてもいい?」から始まる相談がそのまま丸投げされることもある。断ればケチと言われ、引き受ければ負担が増える。どちらを選んでも疲弊するという理不尽なスパイラル。これが年末調整の地味な怖さでもある。

登記とは関係ないけれど無関係ではいられない

登記業務と年末調整は一見すると別世界の話だが、実際にはそうでもない。お客さんの会社の登記手続きを請け負っていると、自然と「年末調整も見てくれないか」という流れになる。個人事業主の方からは、「税務署に出すやつってこれで合ってる?」なんて聞かれることも。そうなると、やんわりと断るのも気まずくて、結局自分で調べて処理する羽目に。便利屋になりたくて司法書士になったわけじゃないのに、というモヤモヤが残る。

事務員に任せきれない現実と、申し訳なさ

本音を言えば、こうした事務作業は事務員さんに任せたい。でも、年末調整はミスが命取りになるので、結局最後は自分で目を通す。チェックしながら「これ全部やらせるのも酷かな」と思うと、任せるにも任せられない。しかもうちの事務員さんはベテランではなく、まだ3年目。確認作業を重ねるたびに「自分でやった方が早い」と感じてしまうのも、またしんどい。

年末調整シーズンに限って他の案件が押し寄せる謎

不思議なもので、年末調整の書類に追われている時期に限って、なぜか相続案件や登記変更の依頼が立て続けに舞い込んでくる。これはもう“年末の呪い”とでも呼びたくなるレベルだ。依頼を断れない性格なので、全部受けた結果、自分の首がどんどん締まっていく。ああ、自分がもう一人いればいいのに。そんな妄想すらする12月の夜。

一人事務所の限界を感じる瞬間

一人事務所というのは、自由が利く反面、何もかも自分に降ってくる。大事なことも、些細なことも、すべて「自分がやらなきゃ」が前提だ。年末調整という「面倒くさいけど逃げられない仕事」があると、その限界をまざまざと感じさせられる。体も心も悲鳴を上げながら、それでもこなす毎日に、ふと「これでいいのか?」と立ち止まりたくなる。

年末調整のせいで日常業務がズレていく

普段のスケジュールが年末調整に引きずられて、どんどんズレていくのを感じる。朝イチでやろうと思っていた書類作成が後回しになり、結局夜に回る。休みの日も「ちょっとだけ」と思ってPCを開けば、気づけば数時間経っている。気持ちの余裕もどこかに消えていて、たまの食事すら楽しめなくなってしまう。

お客さんからの「年末調整まだ?」という無邪気な圧

一番つらいのは、「まだですか?」という無邪気な一言。悪気がないのはわかってる。わかってるんだけど、グサッとくる。こちらは他の仕事も抱えながら、なんとかやり繰りしてるのに、相手にとっては「書類一枚」の感覚。そう思うと、どこかで“こっちの事情”を分かってほしいという気持ちが湧いてきてしまう。余裕のない証拠だと思いつつも。

そろそろ限界かもと感じる12月の空気

12月の空気は嫌でも焦燥感を呼び起こす。クリスマスや年末年始の準備をしている街の空気の中、ひとり事務所でパソコンとにらめっこ。忘年会のお誘いすら来ない独身男が、年末調整と格闘している様は、なかなかに絵にならない。そんな中でふと、「来年もこれか…」と考えると、なんとも言えない虚しさがこみ上げる。

心が折れそうになる前にできること

こうして愚痴ばかりこぼしてしまったけど、それでもこの仕事が嫌いなわけじゃない。ただ、心が折れそうになる前に何かできることはないか、といつも模索している。年末調整が嫌いなのは事実。でも、嫌いなことに潰されるのは悔しいから。

全部を完璧にこなそうとしない勇気

元野球部だったせいか、「手を抜く=悪」みたいな考えが抜けない。でも社会に出て思うのは、全部を完璧にやろうとするのは、自分を壊すだけだということ。大事なのは優先順位をつけること。年末調整も、「できる範囲でいい」「必要以上に抱え込まない」と自分に言い聞かせるようになって、少しは楽になった気がする。

「やらない」ではなく「どう逃げるか」を考える

逃げると聞くとネガティブに聞こえるかもしれないけど、実は立派な戦術だと思う。年末調整を「やらない」と決めるのではなく、「自分がやらなくて済む形を探す」。その視点に変えるだけで、だいぶ気持ちが軽くなる。税理士さんやクラウドサービスの活用だって、そのひとつだ。

アウトソースという選択肢に目を向ける

ここ最近、年末調整の一部をアウトソーシングしている。他士業との連携で、「これはうちでは対応できません」と言えるようになったのも大きな変化だ。自分のキャパを認めて、人に任せる。それって逃げじゃなくて、続けていくための知恵なんだと思うようになった。

司法書士として生きるということ

年末調整ひとつ取っても、司法書士という仕事の裏側には、たくさんの葛藤がある。誰にも見えない地味な戦いがあって、誰にも気づかれないまま終わっていく作業がある。だけど、そんな一つ一つに意味を持たせられるのが、この仕事の醍醐味かもしれない。

年末調整に悩まされるのもまたこの仕事の一部

嫌いだからといって、逃げてばかりもいられない。それでも、嫌いなことを無理に「好きになろう」としないで済むのもまた、大人の知恵だと思う。年末調整と、ほどよく距離をとりながら付き合っていく。それが今の自分にとっての最適解だ。

好きになれなくても付き合っていく覚悟

結婚できなかったけど、年末調整とはもう切っても切れない関係。皮肉だけど、人生ってそういうもんかもしれない。好きになれないけど、避けて通れないなら、せめて傷つかない距離感でいたい。そう思いながら、今年もまた、用紙に向かってため息をつく。

「嫌い」が誰かの共感になるなら それも意味がある

この記事を読んで、「自分もそう思ってた」と感じてくれる誰かがいるなら、それだけで少し救われる。嫌いなものは嫌いでいい。だけど、その感情を吐き出して誰かと分かち合えた時、それはただの“愚痴”じゃなく、“共感”に変わる。そう信じて、今日もまた、机に向かってる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。